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三笠浪士組 Part1

舞台は江戸に移ろい、

文久三年四月十日、

早朝。


深川佐賀町にある北辰一刀流ほくしんいっとうりゅう伊東道場の師範しはん鈴木大蔵すずきおおくらは、所用のため夜も明けきらぬうちに永代橋を通りかかった。

まだ、通りにも人影はまばらで、朝の冷えた空気が心地いい。

川べりの土手は菜の花の黄色に塗りつぶされていた。


橋の中ほどまで来たとき、大蔵おおくらは、一人の若い侍が橋の欄干らんかんに腰掛けて川を眺めているのに目を留めた。

素知らぬ風を装っているが、男は明らかにこちらを意識している。


役人には見えない。

辺りはまだ薄暗いし、こんな場所に一人で突っ立っているなど、

辻斬りか、野盗のたぐいだろうか。


大蔵おおくらはゆっくりと男に近づき、目深まぶかかぶ陣笠じんがさの下を盗み見た。

その横顔には見覚えがあった。


「…中沢さん?」

声をかけると、男は微笑みながら振り返り、一礼した。


「ここに居れば、あんたに会えると思って。ご無沙汰ぶさたしてます」

大蔵おおくらは緊張を解くと、軽く返礼して皮肉っぽく口の端を吊り上げた。

「もう帰ってきたんですか?」

「ご挨拶あいさつだな。10日ほど前にね。初鰹はつがつおの季節には間に合いましたよ」

中沢はそう言うと、また背を向け、川の流れに眼を落とした。

大蔵おおくらがその視線の先を追うと、

川上からプカリプカリと流れてくる「何か」が目に入った。


見れば、それは首のない死体で、さらに目をらすと、後方からもう一つ、やはり首から下だけのむくろがやってくる。


「清河が戻ってきた途端とたん、江戸も物騒ぶっそうになった」

中沢は、浮いたり、沈んだりを繰り返す死体に眼を据えたまま、ポツリと漏らした。


盂蘭盆会うらぼんえ(お盆のこと)にはまだ早いが、黄泉よみの国に直接死体を流すのが、今どきの流儀というわけですか。せっかちな江戸っ子らしい」

大蔵おおくらは、皮肉に紛らせて、中沢の説明を求めた。


「ああ…ありゃ、浪士組の仕業だ」

中沢は苦々(にがにが)し気に応えた。


浪士組とは、庄内を脱藩した清河八郎という男の発案で幕府がき集めた、その名の通り浪士の集団で、本来は近々予定されている将軍の上京に合わせ都の平穏を取り戻すために先遣せんけんされた治安部隊、のはずであった。

ところが、この清河八郎という策士は京に到着すると突然(てのひら)を返し、独断で「浪士組は尊王攘夷そんのうじょうい先鋒せんぽうとして働きたい」と、幕府の頭越しに朝廷へ建白書を提出してしまった。

元々攘夷じょういに積極的だった朝廷は直ちにこれを認め、清河は天子のお墨付きを得た形で、今や実質的に私兵となった浪士組を引き連れ、東へ取って返すと宣言。

もっとも、幕府の方も、このような物騒ぶっそう極まる部隊を京に留め置くことを良しとせず、双方の利害が一致した形で、ひとまず彼らは江戸に腰を落ち着けることになったのである。


「あなたも、その一味だ」

大蔵おおくらは、中沢に厳然げんぜんたる事実を突きつけた。

そう、大蔵おおくらが指摘した通り、この中沢もその浪士組の一員だった。


浪士組は、この年の3月13日に京都を離れると、中山道なかせんどうを通り、28日、江戸に帰着した。

大蔵おおくらが耳にしたうわさでは、きた攘夷じょういさきがけとして、庶民の喝采かっさいを浴びながら市中に入り、そのまま、本所三笠町ほんじょみかさちょうにある、いわくつきの空き屋敷に本陣ほんじんを構えたという。

この屋敷のあるじ小笠原加賀守おがさわらかがのかみは、安政の大獄たいごくの頃、京都町奉行を務めた男で、井伊直弼いいなおすけ側近そっきん長野主膳ながのしゅぜんが主導する攘夷派じょういはの弾圧に加担かたんして、出世街道をひた走っていた。

しかし、桜田門外の変が起きて政局の潮目しおめが変わると、またたく間に要職ようしょく罷免ひめんされ、隠居いんきょ処分を言い渡されたのだった。

つまり、攘夷派じょういはの清河からすれば、敵の旗本屋敷はたもとやしきを乗っ取った形、まさに我が世の春である。


「ああ。否定はしない。だが、俺は奴とは違う。これ以上、清河の好きにさせるつもりはない」


この中沢良之助という男は、正直であり、誠実であり、愚直ぐちょくに幕府の正義を信じている。

その意味で、ただ食いつなぐために浪士組に入った多くの隊士たちとは違う。

彼は公儀こうぎの口にする理想を額面通がくめんどおり受け取って浪士組に加盟し、

それ故に、清河の翻意ほんいいきどおりを覚えている。

だが、その濁りのない眼が、いつも大蔵おおくらをイラつかせた。


「…君のその実直さは、古い友人を思い出させる」

それは水戸遊学時代、共に研鑽けんさんを積んだ森山繁之助もりやましげのすけという同い年の水戸藩士だった。

お互い正反対の性格で、会うたびに反発しあったが、二人の間には奇妙な信頼があった。

たぶん、中沢は繁之助と同じ種類の人間なのだ。

その見立てを裏付けるように、中沢は真っ直ぐ大蔵おおくらを見つめ返した。

「何の話だ?」

大蔵おおくらは、旧友の末路を想った。

「つまり、理想郷を追い求めても、そんなものは存在しないという話さ。例えば、君はあれをどう説明する?」

そう言って、すでに橋の下をすぎ、川下へと消えてゆく二つのむくろあごで指すと、浪士組の内紛を嘲笑あざわらうかの様に口元をゆがめた。

中沢は歯噛はがみした。

「隊士のあずかり知らぬところで、幹部連中が暴走している!飯田町の冬青木坂モチノキざか屋敷に詰め込まれている我々下っ端(したっぱ)には、口惜くやしいかな、三笠にいる清河たちの動向がまるで見えないんだよ」


「つまり、道場うちの藤堂も関わっていない?」

それは、浪士組に加盟した大蔵おおくらの弟子、藤堂平助のことだった。

桜田門の事件以来、ご政道せいどうとやらに絶望した大蔵おおくらは酒におぼれ、すさんだ日々を送っている。

攘夷じょういなどもはやどうでもよかったが、やはり身内のことは気掛かりだった。



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