高台寺党余話 Part3
「浪士組? ならば、取締役の清河八郎殿とはお知り合いか」
篠原泰之進が身を乗り出すと、藤堂平助はわずかに眉根を寄せた。
「奴は大樹公との盟約を反古にして、江戸に向かった。今の浪士組は、近藤勇先生がまとめておられる」
「近藤…聞かん名だ」
藤堂はムッとして、そのナツメのような眼を怒らせた。
「おまえ、京へ何しに来た?清河になんの用だ?返答によっちゃあ、しょっ引かなきゃならん」
売り言葉に買い言葉と言おうか、篠原も相手の態度についカっとなった。
「ふん、やってみるがいい」
「おう、よく言った。その喧嘩、買ってやるぜ」
二人の間に火花が散り、なぜか話の矛先が逸れて、阿部十郎は、面白そうに事の成り行きを眺めている。
「おうおう勇ましいねえ?」
突然、里勢がバンと畳を叩いた。
「お黙り!」
一同がギョッとして里勢に注視すると、
里勢はもう一度、今度は座布団を叩いた。
「浪士組のお若い方、ここにお座りなはれ。ほんでこれをお上りやす」
朴葉に載った鯖寿司を差し出された藤堂は、戸惑いながら寿司と女将の顔を交互に見比べた。
「え…ええ?なんで?」
「血の気が多いのも結構どすけど、力に訴える前に、まずは、お話し合いをなさるべきやおへんか?」
いきなり捕吏に説教を始めた義母に、嫁の貞は狼狽えた。
「お…お義母様、いきなり何を…?」
「貞、あんたかて口出し無用え!」
すっかりこの場の主導権を握った里勢は、続いて阿部に命じた。
「ほんで、ほれ! そこの腰抜けも、逃げいでここへお座り」
里勢は膝を正して、居並ぶ男たちを鋭い眼光で見渡した。
「近ごろの若いお侍ときたら、二言目には斬るやの、殺すやの!そないなことは論議を尽くして、実際に自分の眼で真実を確かめてからでも遅うないはずどす!違いますか?!」
篠原は若い浪士をまえに、深く頷いた。
「…女将の言うとおりだ。お若いの、あんたらはろくに話も聞かず、あたら報国の志の芽を摘もうとしている。清河殿が向かわれたという東国で、いま実際何が起こっているかを知れば、我が国の置かれた状況が如何に逼迫しているか分かるはずだ。貴殿は生麦の一件をご存じか?」
藤堂は「馬鹿にするな」と鼻を鳴らした。
「ああ、知らないわけないだろ。島津の殿さんの行列を、馬に跨ったまま横切ったイギリス商人が無礼討ちにあった」
「正確には前の藩主、島津公の御尊父だ」
篠原が訂正すると、初めてその話を聞いた阿部が知ったかぶって口を挟む。
「どっちでも一緒だろ。それの何が問題だ? 奴らだって自分の主君がそんな辱めを受ければ、同じことをするはずだ」
「その通り、当然の報いだ。ところが、夷狄どもはご公儀と薩摩相手に金を払って償えと強談判に及び、こともあろうか幕閣どもはろくに言い返すことも出来ぬ始末……」
単純な阿部は、その屈辱に簡単に頭に血が上った。
「ふざけんな! そんな道理がとおるか!」
しかし、親藩である会津に仕える藤堂としては、簡単に焚きつけられるわけにはいかない。 「だから、どうした」
「あんたにゃ、義憤に駆られるってことがねえのか?」
阿部が畳を叩いて叫ぶが、藤堂は冷ややかに応じた。
「奴らがそんなことをやらかした理由など、理解しようったって、どだい無理な話さ。で、それがお前を見逃す理由になるのか?」
篠原は阿部の肩に手を置き、静かに藤堂を諭した。
「こういう志をもつ者たちの力が、遠からず必要になるということだ。皆がそう思わばこそ、侍は藩籍を抜け、百姓や商人も刀を持つ決意をしたんじゃないのか」
「百歩譲ってそれはよしとしよう。だが、ご公儀の頭越しに暴走する輩を放っておくことは出来ん」
黒船を巡っては、この国のあちこちで議論が百出している。
しかし「開国」や「倒幕」などという思想が横行するのはもう少し先の話で、
今、つまり文久3年現在、外国人たちを退けるべしという一点においては、ほとんどの者が意見の一致を見ていた。
欧米列強は、アジア・アフリカの国々を次々と植民地化しており、薩摩の振る舞いは、現代の感覚からすれば如何にも野蛮に見えるが、
リンカーンの登場までアフリカ大陸の民族が受けてきた仕打ちを思えば、この暴力的な歓迎は「舐められない」ために多少なりとも効力を発揮したと言えるかもしれない。
確かに、この頃の志士たちは、まだ欧米との実力差を見誤っていたが、藤堂が思うような無知蒙昧の人種ではなかった。
篠原は強情な藤堂の情に訴えることにした。
「道中の横浜で、ある女に会った。妾として紅毛人に捕らわれていた彼女は、公使館を抜け出し、追っ手から逃れるために私に助けを求めたのだ」
篠原は、居留地で外国人たちが如何に傍若無人に振舞っているか、熱っぽく語った。
「あんた、紅毛人とやり合ったのか」
藤堂は目を丸くした。
篠原が大きく頷く。
「相手はたかだか二人。良移心頭流で組み伏せてやったわ」
都合の悪い事実は伏せたまま、話をつづけた。
「しかし、結局…女は我が身を儚んで喉を突いた」
「…許せんな」
藤堂の口から、隠しきれない本音が漏れた。
「そうだろ?」
藤堂は鯖寿司を口に放り込み、しばし沈思黙考した。
「…うん、美味い」
「仕入れ先がよろしおすさかい」
お茶を持ってきた貞が合の手を入れる。
そこに里勢が割って入った。
「その赤毛の大男どもが、せんどウチに泊まりに来るようなったら、ああ!考えただけでゾッとしますわ。部屋中の鴨居に頭を打ちつけられて、この宿はきっと屋台骨から崩れてまう。連中のせいで屋根の下敷きになって死ぬくらいなら、うちが大黒柱切り倒して、旅籠諸共、奴らを瓦礫に埋めてやった方がよほど清々する言うもんどす」
「まあ、お義母様ったら口の悪い……」
貞が眉をひそめると、阿部が毒づいた。
「心配すんな婆さん。あんた以外の女がみんな国から逃げ出したとしても、あんたみたいに口の減らん女に男は寄ってこねえさ」
「おや大変。そないなったら、あんた方男衆は、自分より阿呆な女と喋って優越感に浸る楽しみが無うなりますがな」
阿部はぐうの音も出なかった。
「言ったろ? 奴らの神も、奴らの士道も、きっとオレたちには遠く考えも及ばんシロモノだ。つまり、逆もまた然りってわけさ」
藤堂が呟くと、里勢が毅然として応じた。
「やはり、お若い。郷に入っては郷に従え。この国に足を踏み入れた以上、紅毛人はうちらの決めた規範に従うべきやおへんか?それが道理ゆうもんどすやろ」
「けど攘夷志士は、その規範の外で周旋活動をしてる。では、法とは?」
「神聖不可侵の天子様こそがこの国の法どす」
ピシリと言い放つ里勢に、すっかり溜飲を下げた篠原は、胸を反らして高笑いした。
「ぶははは!婆さん、気に入ったぞ!あんたは一廉の勤皇家だ!」
「…分かってるさ。奴らとは一戦交える他なく、オレもその覚悟はできている」
藤堂は決意を秘めた目で呟くと、阿部を追い払うように手を振った。
「この女将に免じて、今回だけは見逃してやる。行け」
「なんかよく分からんが恩に着るぜ」
阿部は言い捨てると、飄々とその場を立ち去った。
余談ながら、この三人は、一年後に新選組の同志となり、さらにその三年後には御陵衛士として共に働くことになるのだが、もちろん、神ならぬ身の知る由もない。
藤堂平助は、阿部が出ていくのを見届けると、あらためて篠原の方に膝を詰めた。
「清河八郎について言っといてやるがね。オレは江戸から道中を共にしてきたが、アレが乱世の奸雄か、救国の英雄か、未だどちらとも判じ兼ねてる」
藤堂は膝に両手をついて、更ににじり寄る。
「で、これからどうなさるおつもりか?」
「各地を遊歴した後、江戸に帰ろうと思う」
「なら、ぜひ深川の伊東道場を訪ねられるといい。鈴木大蔵先生は勤王の志も篤く、高潔なお方です」
「鈴木大蔵殿、覚えておこう」
散り散りに去っていく浪士たちを見送りながら、里勢がボヤいた。
「あの男、なんや胡散臭うて、うちは好きになれしまへん」
「なんや、いちびったはる(調子がいい)し、お義母様ならそう言わはる思てましたわ。やんちゃな浪士組の方は、まだおぼこい感じどすしなあ」
里勢は世間ずれしていない嫁を流し見て、小さな溜息をついた。
「違います。あの大きい方どす」
しかしその訂正も、貞の耳には入っていなかった。
「あ、これ!あの浪人の忘れ物!」
貞が手にした信玄袋から、スミス&ウェッソンのリボルバーが顔を覗かせている。
「あんた!そない物騒なもん!仕舞ときなはれ!」
里勢はそのずっしりと重い忘れ物を嫁の手から取り上げた。
時代は幕末。一つの時代が、まもなく終わりを迎えようとしている。
民衆にとって、二百六十年続いた日常は、未来永劫続くであろうと錯覚するには十分すぎる時間だった。
しかし、浦賀沖に黒船が現れたその日から、全ては変わってしまった。
「開国」か「戦争」か。
日本は今、未知の来訪者である列強諸国から、過酷な選択を迫られていた。
国論は割れ、人々は惑い、日本はまだ、答えを見出せずにいた。




