導火線
「ごめん。好きな人が出来たんだ、別れよう。」
彼女に別れを告げた。
電話越しに炎華の泣き声が聞こえる。
炎華「樹くん…私、別れたくない。
もうすぐ付き合って三年になるんだよ?
それに…突然過ぎる。好きな子って誰?」
樹「ごめんって。でもこのまま気持ちを偽って
付き合うなんて出来ないから。ごめんな。
今までありがとう。」
炎華「ちょっと待って!私まだ納得してない!」
樹「悪いけどもう気持ちが戻ることはないから。
学校ではこれからも普通に接して。じゃあね。」
樹は炎華の返事を聞かずに電話を切った。
罪悪感はない。
やっと胡桃ちゃんと付き合える。
頭の中は次の恋に進める喜びでいっぱいだった。
炎華は樹の幼なじみ。
大人しくて、体が弱く学校を休みがちなせいか、
友達が出来ずいつも一人で絵を描いていた。
昔から炎華の家族によろしくね、と
頼まれていたこともあり、放っておけなかった。
炎華は唯一親しくしてくれる樹が
憧れの存在だったのだろう。
それがいつしか恋心に変わっていったようで、
中学一年生の夏休みに告白された。
炎華「あのね、私…樹くんの事が好きなんだ」
顔を真っ赤にして、今にも泣き出しそう。
彼女の健気な姿に、ほんの少しだけドキっとした。
正直、炎華に恋愛感情を抱いたことはない。
ただ、思春期で異性への興味が高まっている時期。
そんな年頃の夏休みに、部屋で二人きり。
友達より早く彼女を作りたい。
初体験をして皆に自慢したい。
そんな欲求に駆られ、樹は炎華と付き合う事にした。
その場で
樹「わかった。じゃあ付き合おっか。」
そう言って、そのままベッドに押し倒す。
テーブルに二つ、並んで置かれたグラスの中の氷は
二人がベッドへ沈んでいくのと同時に
夏の暑さで溶け、カラン、と音を立てた。
*****
それから今日まで付き合ってきたが、
どれだけ二人の時間を過ごしても、
何度身体を重ねても、彼女に対して
恋愛感情を抱く事はなかった。
好きな子が出来るまでは付き合うか。
樹は自分勝手な都合で炎華を繋ぎ止めていた。
気持ちが変わったのは高校に入学してからだ。
炎華と樹は同じ高校を受験し、合格した。
入学式当日。
二人は両親と登校し、玄関口に立て掛けられた
クラス名簿から自分達の名前を探す。
炎華と樹は別々のクラスになった。
炎華「どうしよう…樹くんがいないと不安だよ…」
樹「あのな、今皆がスタートラインにいるんだよ。
友達を作るなら今しかないぞ?頑張れ」
樹は不安そうな炎華の背中を軽く叩き、
手を振ってそれぞれの教室へ入った。
式典が終わり、炎華の様子を見に隣のクラスへ行くと
炎華が一人の女の子と笑顔で会話していた。
驚いた表情で固まる樹を見つけた炎華は嬉しそうに
手を振り、一緒にいる女の子がこちらを見てお辞儀をした。
『かわいい……』
樹は彼女を一目で好きになってしまった。
心を奪われて呆然としていると、二人が近寄ってきた。
炎華「お友達が出来たの!胡桃ちゃんです」
胡桃「初めまして、樹くん。よろしくね」
樹「あ、あぁ。胡桃ちゃん…よろしく」
胡桃の髪は、名前のように柔らかな茶色で
肩まで伸びている。
色白で目が大きく、よく使われがちな
「お人形さんみたい」という表現がピッタリだ。
近くにいた男子達も
「あの子、可愛いよな」と、方々で耳打ちをしている。
これが一目惚れってやつか…
樹は炎華には感じたことがない想いを
初対面の胡桃に抱いてしまった。
この日以来、胡桃のことばかり考えてしまい、
炎華の話が頭に入って来なくなった。
炎華「樹くん…話聞いてる?最近ずっとぼーっとしてる」
樹「え?あ…ごめん。考え事してた」
炎華「考え事?何か悩みでもあるの?」
樹「悩みなんてないよ。大丈夫大丈夫」
炎華「そうならいいけど…。私には全部話してね。
だって、彼女なんだから」
炎華は照れくさそうにそう言った。
先を歩く炎華の背中を見つめ、
樹はいつ別れを切り出そうかと思っていた。
胡桃には、彼氏だと紹介されているだろう。
もし炎華と別れて胡桃と付き合えたとしても、
二人は友達だから大っぴらには付き合えない。
…まずは炎華がいない時を狙って連絡先を手に入れよう。
炎華の純粋な想いを裏切るかのように、
樹は胡桃と上手く繋がる事ばかりを考えていた。
*****
入学して一ヶ月が経った頃、
炎華が体調を崩して学校を休んだ。
帰りに隣のクラスの前を通ると、胡桃が声をかけてきた。
胡桃「樹くん!炎華ちゃん、大丈夫?」
樹「炎華は昔から体が弱いから、一度体調を崩すと
休みがちになるんだよ」
胡桃「そうなんだ…詳しいんだね。あの子のこと」
樹「そりゃあ小さい頃からずっと一緒だから」
胡桃「…彼女だからじゃなくて?」
樹「え?あ…あぁ。そうだよ」
胡桃「ねぇ、今日一緒に帰らない?」
胡桃は上目遣いでそう言った。
樹は顔を赤らめながら頷く。
何も話さないまま廊下を歩いて校門を出ると、
胡桃は帰る方向とは逆を歩いて行こうとする。
樹「ちょっと待って!帰り道、逆だよね?
そっちは俺の帰り道。胡桃ちゃんの家の
近くまで送っていくよ。」
胡桃「…そんなに早く帰りたいの?」
樹「いや、そういう訳じゃ…」
胡桃「ふふ。じゃあ行こ?」
胡桃は樹の手を引きながら前を歩く。
少し歩くと、公園に着いた。
この公園は樹の家から近く、幼少期はよく遊んだ。
そして、彼女はそのまま迷わず
屈んでトンネルの遊具の中へと入って行く。
トンネルの中心部に着くと、胡桃は
振り返ってじっと見つめてきた。
…暗闇で二人きり。
樹の心臓はバクバクしている。
荒くなった呼吸に気付かれないようにしていると、
胡桃は樹の両手をぎゅっと握ってきた。
胡桃「やっと二人っきりになれた。ずっと
二人になりたかったんだ。あのね、私…
入学式の後、初めて話したあの日。樹くんに
一目惚れしちゃったんだ。それなのに…
炎華と付き合ってるなんて、ショックだった。
樹くん、本当に炎華の事が好きなの?」
思いがけない告白に、樹は戸惑う。
だがすぐに冷静になり、気持ちを伝えた。
樹「実は…俺も入学式の日に胡桃ちゃんに
一目惚れして…炎華のことは、長く付き合っても
幼なじみ以上の感情が持てなくて。この先
どうしようか考えていたところだったんだ」
胡桃「本当?!嬉しい…!じゃあさ、
両思いだって分かったし、炎華とは別れて
内緒で付き合わない?樹くんは幼なじみで、
私は友達だもん。バレたらまずいでしょ?」
胡桃からの提案に、樹は目を輝かさせた。
樹「うん。俺、胡桃ちゃんと付き合いたいから
炎華とは別れる。お互い炎華とこの先気まずく
ならないように、不本意だけど…こっそり会おうか」
胡桃「いいの。樹くんの彼女になれるなら。
…あのね、ちゃんと別れる約束として…
キスしてほしいな、なんて…」
顔を真っ赤にして恥ずかしそうにする胡桃を見て、
気付いたら抱き締めていた。
そして二人は、暗くなるまでキスを繰り返した。
炎華はそのまま二週間欠席し、樹が別れを告げたのは
炎華が登校を再開した初日だった。
*****
樹は炎華に別れを告げてすぐに胡桃へ連絡した。
『炎華とちゃんと別れたよ。明日の帰りに会おう』
送信と同時に、解放感と達成感に包まれた。
喜びのあまり、今の状況を相談していた
親友の水谷へ、スピーカーに設定して電話をかける。
水谷「どした?進展あり?」
樹「別れた!炎華と」
水谷「まじか!よかったのか?本当に」
樹「全っ然未練とかない!すっきりした!」
水谷「お前最低だな…炎華ちゃんだっけ?
いい子なのに…俺が付き合っちゃおうかな」
樹「いいじゃん!あいつ純粋で単純だから
優しくすればすぐにころっと行くと思うよ。
あ〜〜!早く胡桃に会いたいよ〜!」
樹は枕を胡桃に見立てて抱き締めながら
足をジタバタさせて大騒ぎした。
―ドア越しに話をしに来た炎華がいることなど、
まるで気が付かないまま―
しばらく水谷と話して、電話を切ると
母がお菓子を持って部屋に入ってきた。
母「あれ?炎華ちゃんは?いつの間に帰った?」
樹「え?炎華は来てないよ。俺、今まで電話してたし」
母「もう!あんたが電話してたから仕方なく
帰ったってことじゃない。かわいそうに。
ちゃんと電話して謝りなさいよ!」
怒った母はドアを力強く閉めて出て行った。
樹「やばい……聞かれたかも」
さっきまで舞い上がっていたとは思えないほど
血相を変え、階段を駆け下りて炎華の家へと走った。
五分後、家の前に着き、立ち止まって息を整えていると
玄関が開いて、飼い犬のフラムが出てきた。
そのままドアが閉まり、フラムは不思議そうに振り返る。
次の瞬間、
一階部分が炎に包まれた。
突然の出来事に体が震え、通報しようとするも
スマホを持つ手が言うことを聞かない。
フラムはひたすらキャンキャンと鳴いている。
心臓に手を当て、必死に気持ちを落ち着かせて
樹「炎華!!聞こえるか!炎華!!」と叫ぶ。
その声に応じるかのように、
2階のベランダに炎華が出てきた。
樹「炎華…!大丈夫か!今助けるから!」
必死に叫ぶ彼を見た炎華は、
涙を流しながらニコッと笑った。
その後すぐに笑顔は憎悪に満ちる。
今まで見たことのない、恐ろしい表情だ。
炎華の表情にただならぬ恐怖を感じ、
再び体が震え出す。
樹に背を向け、火が燃え盛る部屋に戻っていく炎華。
樹「待って!だめだ!炎華!」
彼女に樹の声は届かなかった。
隣人の通報で駆けつけた消防隊の力も及ばず、
炎華の家は全焼した。
その日は家に炎華一人だけだった。
警察はガスコンロの消し忘れだと断定したが、
樹はわかっていた。
炎華は自ら火を放ったのだと。
火を放つ前にフラムを外に逃がしたのだ。
巻き添えにしないために。
水谷との通話を聞かれた直後のこと。
…炎華は自分のせいで自殺を測ったんだ。
樹は受け入れられない現実に、気を失って倒れた。
その後、駆けつけた救急隊の処置により
病院に搬送される前に救急車内で目を覚ました。
連絡を受けた母が同乗していて、樹が目を覚ますと
安堵で涙を流した。
母は段々と嗚咽混じりになり、こう言った。
母「樹…炎華ちゃんが…死んじゃったよ」
樹は一気に現実に引き戻される。
お願いだから、夢であってくれ
そんな身勝手な思いを神に祈るように、
再び目を閉じた。
そして、炎華が自殺をしてから
あの電話がかかってくるようになった。




