本心
『収穫祭』模擬戦の大まかな説明を終えて、講堂から一年生がぞろぞろと退出していく。
この後は学生寮に戻り、生徒たちは各々好きな自由時間となる。
ただ一人、鶴宮杏だけは女子寮とは違う場所へと向かう。
目的は一つ。香輔に問い詰めるためだ。
(蟲魔と対峙した上に、自然能力を使ったなんて……! いくらなんでも想定外ですわ!)
自分は香輔の世話係ーー言い換えれば監視する立場にあった。だからこそ、彼の行動がどれほど常軌を逸しているか、そしてそれがどれほど危険なことか、嫌というほど理解していたのはずだった。
(一体、梅咲初名という方は何者ですの? あの雷は彼女自身の能力……?)
香輔が初名を庇うように能力を使役したあの紫電は、魔豊植物による豊穣術なのか。香輔自身の能力ではないはずだ。
『アナライズ』。全ての植物の特徴と豊穣術を理解する自然能力。
それがもし、梅咲初名がきっかけで発動したのならば……。
(初名さん本人が魔豊植物? いいえ、そんなのありえませんわ)
杏はかぶりを振る。
そんな荒唐無稽な仮説に縋るほど、彼女は冷静を失ってはいない。
どこからどう見ても普通の女の子としか思えない初名を魔豊植物と見間違えるのか。
(……それに、あの雷は豊穣術には見えなかった)
全てを拒絶するような紫電が豊穣を司るとは思えなかった。もっと、別の意味を表すような……。
そう、それこそ−−−蟲魔
「っ!」
杏は息を呑み、すぐさま首を横に振った。
(馬鹿げてますわ)
自分の思考を、強引に押し戻す。
(わたくしは何を考えて……、人と蟲魔を結びつける。そんな発想−−)
ありえない。
そう結論づけたのに。
胸の奥に残る違和感だけが、消えなかった。
だから、問い詰める。
(香輔が何を直面しているのか、わたくしには知る必要がある。わたくしは……星雪家に任されているのだから!)
早足で男子寮の入り口付近に着いた杏は、見知った後ろ姿を目撃する。
「香輔!」
珍しく声を張り上げる自分に動揺しつつ、香輔に詰め寄った。
「一体あなたは、どういうつもりですの!? あれだけ自分の能力に過信してはいけないと、何度も警告をしたのに。そもそも、初名さんにも聞きたいことが−−」
「ん? 何?」
振り返った疑問を投げる彼の表情は、至って普通だった。
普通だからこそ杏の胸の奥に残る違和感が、チクリと刺す痛みでさらに増加する。
「……あ」
杏は口が固まった。
今、杏の前にいる星雪香輔に問い詰めるために、文句やら説教やらを吐き捨てる台詞が全て消え去った。
「……えっと、どうしたの鶴宮?」
決定的な証拠があるわけではない。
だが、長く側にいたからこそ分かる『ズレ』があった。
表情は自然。声音もいつも通り。
――なのに、その奥が見えない。
まるで、別の誰かが演じているような感覚。
「……香輔」
先ほどまでの勢いは消え、声が低く落ちる。
「あなた、本当に……何もないとお思いですの?」
「何もって?」
首を傾げる。その仕草すら自然で――
だからこそ、不気味だった。
「蟲魔と遭遇し、通常ではありえない状況で能力を行使し、それでも平然としている」
一歩、踏み込む。
「それを『何もない』で済ませるつもりですの?」
香輔は一瞬だけ沈黙した。
ほんの僅か。けれど杏は、その間を見逃さない。
「……別に、鶴宮が心配することじゃない」
「――どういう意味ですの?」
言葉を探すように、彼は視線を逸らす。
自分を騙すための『香輔』になるために。
(やはり、能力の代償が……)
確信が強まる。
「初名さんのこともですわ」
「――っ」
今度ははっきりと反応があった。
(彼女だけは、明確に認識している? わたくしではなく)
「あの方、何者ですの?」
「何者って……、ただのクラスメイトだろ?」
「そういう意味ではありません」
即答だった。
自分でも驚くほど、迷いがない。
「あなたが庇うほどのただのクラスメイトがいますの? あの場で、あのような力を見せた方が?」
香輔の眉がわずかに動く。
――核心に近い。
「それに……あの雷」
杏はゆっくりと言葉を紡ぐ。
「あなたが初名さんを庇った直後に放ったあの雷……、豊穣術には見えませんでしたわ。むしろ――拒絶。あれは、生かすための力ではない」
じっと見据える。
「まるで、蟲魔のような――」
「やめろ」
短く、鋭い声。
空気が一瞬で張り詰める。
杏は息を止めた。
それ以上踏み過ぎれば、壊れてしまう。直感がそう告げた。
「……」
沈黙。
肯定でも否定でもないそれが、何より雄弁だった。
杏は唇を噛む。
「香輔、これだけは教えて?」
彼の名を呼ぶ。目の前の『星雪香輔』に向かって。
「わたくしはあなたの監視役ですわ。ですが――そんなの関係ありません。わたくし自身が、問いただしたいのです」
一瞬、言葉に詰まる。
それでも、逸らさない。逸らすことができなかった。
視線がぶつかる。逃げ場はない。
「本当に、コウちゃんなの?」
はっきりと言い切る。
いつもの、彼の名を呼ぶ本音を口にして。
これ以上、一歩踏み込めば壊れることを予感しているのにどうしても知りたかった。
だけど、
「何言ってんだよ、鶴宮」
声音は柔らかい。
いつも通りの、気の抜けた調子。
「僕は僕だろ。星雪香輔以外の何に見えるんだ?」
間を置かない。考える隙を見せないように。
「大袈裟なんだよ、鶴宮は」
苦笑すら浮かべる。
香輔は視線を逸らさない。
逃げていることを悟らせないために。
「怪我もしていないし、後遺症もない」
嘘だとバレているかもしれない。とっくに傷ついているかもしれない。それでも、自分が彼女を守るためには、突き放すべきだと心から訴えかける。
香輔は、ゆっくりと息を吐く。
「だから」
一歩、わずかに距離を取る。
無意識を装って。
「何も心配いなくていいよ」
その言葉だけが、本音だった。
しかし、杏は何も言わない。
目の前にいるのは、『星雪香輔』のはずなのに。
「……そう、ですの」
ぽつりと零す、絞り出すような声。
彼女の表情は良く見えなかった。
杏は何も言わず、踵を返す。そのまま寮へと歩き去っていく。
ただ、その後ろ姿を見届けるしかなかった。
振り返らなくっても分かってしまうから。




