『天雷梅』
香輔と初名は『樹界公園』の入口から現れた。
「う、うゔぉえ」
自然能力を解除した時、腹の底から込み上げるような吐き気と強烈な頭痛が襲い掛かる。これは精神が安定していない状態で空間移動をした緊張とプレッシャーによるものだ。
(ヤ、ヤバかった! 一か八かの賭けだったけど、飛梅がこんなに複雑な豊穣術だったとは……。自然能力の補助が無かったら……)
一般的な飛梅の豊穣術は『移植』。座標を指定して放物線のように移動する魔豊植物だ。普通なら樹木などを移動させるための豊穣術。
彼の自然能力、『アナライズ』がこの飛梅の生態を知り、自然能力の補助でようやく本来の豊穣術を扱える。
彼は飛梅を使う寸前、逃げるという強い想いにこの場所を座標に設定したが、下手をすれば地面の中に埋もれて窒息死もあり得たのだ。
ゾッ、と全身の毛が逆立つのが分かる。
だが、いつまでも休んではいられない。香輔は胃から込み上げる不快感よりも、恐れていた事態となった。
(くそっ!!)
バレてしまった。彼女の正体が、もしも表に広がってしまったらもはや居場所が無くなってしまう。
「コウちゃん……」
(今は逃げるしかない。けど、少し落ち着いてからじゃないと無理だ。連続で使えないとなると一気に、もっと遠くまで座標を整えてないと)
「コウちゃん」
(とにかく追いつかれる前にできるだけ走るしか……。くそ! また僕はここでも役に立たないのか。こんな終わり方があってたまるか!)
「コウちゃん!!」
「っ!」
ようやく呼ばれた事に気づいた香輔は初名の顔をゆっくりと見る。彼女の目線は真っ直ぐ香輔の眼を合わせていた。その揺らぎのない決意の瞳は、あっさりと香輔の希望を裏切る。
「もう、ええんよ」
「…………もう……いい?」
酷く、端的なその言葉に香輔は恐ろしいほど、脱力感を覚えた。
(何でそんな顔をするんだ。初名)
彼女はいつもの柔和な表情で香輔に向いていた。
「もともと、わえは存在自体が許されない蟲魔。むしろ、ここまで普通に暮していたのが奇跡だったんよ」
彼女は笑顔で続ける。
「どこへ逃げても結末は同じ。もう、これ以上のわがままはでけへん」
ーーまた、その笑顔か。
(僕は、お前を……)
「コウちゃん。わえは大丈夫」
ーー違う、そんなんじゃない。
香輔は脳裏に宿った。
無理矢理にでも逃げるべきなんじゃないかと。
そうしないと、何もかも終わってしまうと思ったからだ。
「諦めない」
「コウちゃん……?」
「こんなの絶対におかしい。ただ生きるだけでも罪なのか? 初名は何もしていない!」
駄々をこねるわがままな子供のように、理不尽な世界のルールに唱えても無駄だ。無力な彼にはなす術がない。
(だからこそ諦めてたまるか!)
「初名。お前が魔豊学校に来たのは、友達を作ってみんなと一緒にいる事だろ」
「……うん。やけど、それはもうとっくに叶えてる。もちろん短いときだったけど、わえは充分満たされたんよ」
「本当なのか? 本当に初名はこれでいいと思っているのか!?」
「……わえは」
初名は俯き言葉を濁す。
「初名自身が望む選択なら僕は何も言わない。けど、僕はお前の心に触れた」
彼女は他人を傷つけない。むしろ自分を犠牲にする優しい心の持ち主だと香輔は知っている。だからこそ自分を素直になれない彼女を放ってはおけない。
「そう。お前には心があるんだ。他の誰でもない自分自身の心が。だから、その気持ちに従って自分を諦めるな!」
僅かな淡い欲。『生きる』という希望は彼女にとって苦痛かもしれない。
「わえだって−−−」
「やっと追いついたわ」
その希望がさらなる苦痛の絶望へと落ちるようだった。
スーツの女性、竹下恵が忽然と現れた。
彼女の自然能力『アクセラレート』の能力で鳴滝義機も連れて現れたのだ。
(くそっ、この人と鳴滝先生の自然能力だと、どこに行ってもすぐに追いつかれる。まだ精神が安定していないっていうのに!)
「なぜあなたが蟲魔を庇うのか、それについては後でじっくりと話しましょう」
竹下はジリジリと詰め寄る。
「害虫駆除よ。そこをどきなさい」
「ま、待って下さい‼︎」
香輔は反射的に初名を庇うように前へでる。
「初名は確かに蟲魔だけど、あなたたちが危険視するほどの脅威はありません‼︎」
「脅威があろうがなかろうが、私たちの敵である事は変わりないわ」
やはり聞く耳を持たないのか、尚も詰め寄る。
しかし、香輔は引かない。
「敵ではありません! 彼女は蟲魔を殱滅できる唯一の個体です。つまり、蟲魔の天敵になります!」
敵ではない事を明かすには、梅咲初名のメリットを与えるのだ。
少しでも、信頼を得るために。
「……それを信じろって言うの?」
「僕の自然能力です。僕は植物を触れることで特性を知ることが出来ます。それは蟲魔も例外じゃあない。鳴滝先生なら見た筈です! 彼女の戦闘を!」
「……だとしても、蟲魔である以上、人類に脅かす存在。私たちの敵よ」
尚も迫る男性礼装の女性。
(くっ、やっぱり飛梅で逃げるべきか!)
「ちょっと待て」
スーツ姿の女性の後ろにもう一人の男が制止した。
鳴滝義機。
「なに? 早めに要件を言って」
「この二人を見逃してくれないか?」
「……なんですって?」
明らかにイラついた声音だった。
鳴滝はそれを無視して続けた。
「星雪の言っていることは本当だ。俺の自然能力で《《観た》》が、こいつは嘘を言っていない」
「だからどうしたって言うの? 彼が本当のことを言っているなら、そこの蟲魔は人に化けてるってことでしょ? 駆除すべきよ」
「二人は俺の生徒だ」
「……貴方、頭沸いてんじゃないの?」
竹下という女性は心底呆れていた。
「さっきから何を言い出すかと思えば、『生徒』ですって? ふざけているの? まさか蟲魔相手に愛情でも湧いた?」
「竹下。落ち着いて聞け」
「私はいつだって冷静よ」
(この人、冷静とは裏腹に敵意が完全に解けていない。今にでも僕と初名を取り押さえる気だ)
ジリジリ、と竹下恵は問い詰める。
「あんたの『眼』で分からなかったの? ソレが蟲魔だってことを」
「梅咲には蟲魔独特の『瘴気』を発してなかった。俺の眼では分からなかったんだ」
「ウソじゃないでしょうね?」
「じゃあ、どうやったら信じてもらえるんだ。俺以外の『眼』じゃ確かめようがないだろ」
(鳴滝先生の自然能力は人の真偽が分かるのか?)
だとしたら、尚更分が悪いかもしれない。
鳴滝はサングラスを外し、香輔の眼をまっすぐ見た。彼の眼は少し灰色に濁っていた。つまり、自然能力の特徴である翡翠色ではない。真剣に話を聞いてくれることを表しているのだろう。
「星雪、お前なら説明できるはずだ。梅咲初名は蟲魔なのか?」
「初名は……」
しかし、香輔は口が淀み、言葉にするのを躊躇った。
もしも、この二人に説得できたとしても、梅咲初名の処遇はかんばしくないだろう。
せめて自分ならいくらでも罰は受けるが、初名の処遇をどうにかするべきだと思った。
だから、
「天雷梅の蟲魔なんです」
梅咲初名の存在を利点に変えるべきだ。




