蟲魔《コクーン》『ハダニ』
初名は高速で向かってくる何かに反応するのがほんの少し遅かった。声をだす暇もない。
対応するのにも、僅かな動作にも追いつかない。
だが、向かってくるバケモノにも僅かな隙があった。ワンテンポ、軸がブレたように体制が崩れたのだ。その一瞬の隙が初名の反撃となる。
しかし。
「っ!?」
不意に初名の背後から肩を掴まれ、力強く後ろへと引っ張られる。強引に入れ替わるように前へと出たのは香輔だった。
翡翠のオーラを身に纏い、自然能力を発動した彼は、
バチィィィッッッ! と。紫電を放出して、バケモノを吹き飛ばした。
初名はやっとのことで声を出す。彼女を守るように立つ人物を。
「コウ………ちゃん?」
翡翠のオーラと紫電を身体に纏わせた彼は自然能力を発動している。
「逃げろ!!」
ビクッ、と肩を震わせる初名。自分自身でも声を荒げたことに戸惑いつつ、香輔は焦り始めた。
(最悪なパターンだ! 成虫体に遭遇するなんて……!)
予想はしていた。
無数のシロカブリが絶滅したことで、蓄えていた『穢れ』が一気に放出したのだ。嫌な予感を覚える前にもっと速くここから立ち去るべきだった。
「……」
改めてバケモノを確認する。
植物状で作られたように、蔓を八本の足に胴体がヤシの実、顔のパーツは淡い紫の花、ストライガ。臀部には泥団子に苔が生えている。身の丈は有に三メートルを超えていた。まるで無理やりつなぎ合わせたツギハギの植物のようだ。
外見フォルムだけ見ると蜘蛛のように見えるが、これは。
(モデル『ハダニ』の蟲魔)
葉を吸汁する害虫の一種。それを模した蟲魔。
彼の自然能力、『アナライズ』によって得た情報が入り込む。
「鶴宮! 二人を連れて逃げてくれ! 僕が囮になる!」
「香輔、何を言って……」
「頼む! 《《あいつの狙いは初名だ》》」
自然能力の保持者が放つ翡翠色のオーラを身に纏い蟲魔と対峙する。
蟲魔は自然エネルギーを糧とする。それはつまり、自然エネルギーを取り込んだ自然能力保持者を狙う筈だ。自分が囮になって、初名が逃げ切るまで戦うしかない。
「あかんっ!」
初名が叫ぶ。
「コウちゃんが戦う必要なんてない! わえの使命なの!」
「ダメだ! お前だと状況が悪化する。一旦ここから離れろ!」
「コウちゃん!」
「梅咲さん。今は自然能力を持つ星雪くんに任せるしかない。俺たちはこのことを『ラタトスク』に報告しよう。鶴宮さんもそれでいいね?」
「……ええ」
正誓の説得に唇を噛み締めて杏は答えた。
「香輔、……もう無茶はしないで」
その言葉を残して、杏たちは『ラタトスク』の増援に走り去る。
(……ごめん。その約束は無理。僕が今、直面しているこの状況が、初名を護れる手段なんだ)
右拳を強く握る。翡翠のオーラがより一層拡大する。
対して、目線の先。『ハダニ』はこちらを睨んだまま微動にしない。
(獲物を前にして全く動かない? 自然エネルギーを放出しても、あくまで狙いは初名か?)
両者とも全く動かないこの状況に、香輔は今にもここから逃げ出したい思いで手が震えていた。
だが、退ける訳にはいかない。
初名達が『ラタトスク』に報告を得るまで時間を稼ぐ必要がある。
倒す必要は無いのだ。
白色に塗りつぶされた草原の場所に蟲魔と香輔だけが取り残された空間が、無限とも言える時間が流れているようだった。
むしろ、このまま何も起こらず、『ラタトスク』の増援が来てくれることに僅かな希望が込み上げていた。
だが、そんな安い希望はすぐに打ち破れる。
バシュッ、と苔の生えた丸い泥団子の臀部全体に何かが飛び出た。
「っ、 根っこ!?」
泥団子から生えるように飛び出した根が、不意打ちに襲いかかった。
おびただしい根の量が触手のように香輔を拘束する。
(ぐっ、自然エネルギーを吸い取るつもりか)
巻きつかれた香輔は身動きができない。
それどころか翠のオーラが消えていくのが分かる。この根が吸いとっているのか、吸収スピードが早い。
(幾らエネルギーを構築しても間に合わない。このままだと『植物状態』《ロスト》に……)
「がっ……。いっ!」
自然エネルギーで纏っていたオーラがついに消える。ミシミシと骨が軋む痛みが伝わってきた。息が上がり、胸が苦しい。
だが、不思議と、彼の心は冷めていた。
(僕は本当に、これで良かったんだろうか……)
それは、ほんの心の片隅で吐いた弱音。
自分の為すべきこと、生きる意味がわからない。
星雪香輔は自分の意志で魔豊学校に来たわけじゃない。
星雪の名を借りたただの人形。
(兄さんなら、どうしただろうか)
星雪香散見の代用品。
ここで植物状態になろうが、誰にも責められずに済む。自分はよく頑張ったと、褒められるかもしれない。何もかも全てを捨てて、自分だけ逃げるのもありだな、とそんなふうに自分の甘い考えが過ぎった。
だからもういい。
自然エネルギーによる補強を解除しようとする瞬間であった。
バチバチッ、と。紫電の電熱で根っこが切断された。
自分自身の能力では無い。
拘束が解かれた香輔は、眼前の紫電が流れる黒い棍棒を手にする彼女に。
(ああ。どうして、君は……)
だけど、一つだけ彼には想いがあった。
「な、何で戻って来たんだ。……初名!」
だけよりも、彼女の味方でありたいことだ。




