ギリギリセーフ
朝、目覚めるたびに私は鏡の前に走って行き、自分の姿を見て安心する。
今日も女性の姿だと。
あれからずっと女のままで、呪いは解けたのではないかと錯覚してしまうが、毎日のように顔を見に来てくれるケリエル様からは、そんな話は聞かない。
ただ、新しい呪いは前の物よりさほど複雑ではないようだ。
詳細は聞いても気分が落ち込むだけだろうと教えてはもらっていないが、やはり厄介なのは前回の呪いの方だと聞く。
けれど、新しい呪いが加えられたことにより解明された部分もあるので悪いことばかりじゃないと勇気づけられる。
「近いうちにちゃんと呪いは解くからね。もう少しだけ待ってて」と言うケリエル様に「大丈夫です。ケリエル様を信じています」と言いたいのだが、恥ずかしくてそんな言葉は言えない私は、ただ黙ってコクリと頷くだけだ。
それでもニコニコと笑ってくれるケリエル様に、私はいつも助けられる。
夜会当日。
どうにかお母様による恐怖の指導で、淑女の所作が最低限見られるようになった私は、ケリエル様に送ってもらったドレスと装飾品を身にまとい、彼の訪れを待っていた。
「ああ、本当に綺麗だわ。クリス」
「そうしていると、生まれながらの女性に見えるよ」
……生まれながらの女性です、お父様。
お母様は私をしっかりと娘として理解し楽しんでいるようだが、お父様は時々私が元は息子だったのではないかと錯覚しているらしい。
男の姿の時にしていたお父様の仕事の手伝いも、当然のようにさせようとしてお母様に怒鳴られていた。
私としては女の姿になっても手伝いたいと思っていたのだが、女には女のやるべきことがあるというお母様の主張に、私とお父様は負けた。
気が付けば完璧……とは言えないが、十年の空白が嘘のように淑女として磨き上げられた。
これならば、ケリエル様に恥は欠かせないだろうとの太鼓判をお母様からいただいた。
今の私は、ラベンダー色のプリンセスドレスに身を包んでいる。
胸元には細かな小花の刺繍がされていて、上半身からドレスの下にかけてグラデーションになっており、一番先の裾の部分は濃い紫になっている。
胸元には先日、ケリエル様にいただいたアメシストのネックレスが煌めいていた。
別の装飾品を送ると言われたのだが、私がこれがいいと言ったのだ。
だって、初めての夜会なのだもの。
やっぱりケリエル様からいただいた、初めての装飾品で過ごしたいではないか。
その代わりにと、白い真珠の耳飾りと髪飾りをいただいた。
真珠は山に囲まれたこのネルギニ国では、とても珍しくお高い物だ。
結い上げた髪につけるとそれはとても繊細で愛らしく、私まで可愛くなったと錯覚させられる。
そういえば、ケリエル様は何かと紫の品物を送ってくれるが、紫が好きなのだろうか?
だったらこちらから何かを送る時も紫にしようと考えていると、カーターがケリエル様の来訪を告げにきた。
「おお、クリス様が大変身。最高級の美女におなりだ。ケリエル様もお喜びになりますね」
主人を揶揄った態度の悪いカーターだが、彼流に褒めてくれているのだろうと、私は一応ありがとうと礼を言っておく。
そのままエントランスに向かうと、用意が整っていた両親と会話しているケリエル様がいた。
「!」
うげっ、目が潰れる!
ああ、申しわけありません。淑女として下品な呻き声を上げてしまいました。ていうか、思わず声を荒げてしまうほど、輝かしいケリエル様がそこにはいた。
紺の正装で色は大人しめだけど、上着には金の糸で刺繍が施されており、耳にも金のピアスに黒のイヤーカフを付けている。
いつもは長い前髪を後ろに撫でつけている姿は、正に王子様。
か~っこ、いい~~~~~♡
内心キャーキャー言っている私は、そのまま階段の途中で固まってしまっていた。
何故かケリエル様も動かずにいたのだが、カーターに促されてこちらに向かって歩いて来てくれた。
エスコートすべく手を差し出しながら「綺麗だね。あまりの美しさに時が止まってしまったよ」と言ってくれた。
社交辞令と分かってはいるけれど、思わず涙が出そうになった。
ううう~、男の姿になって滅茶苦茶やさぐれたけれど、諦めずに生きてて良かった。
ガタゴトと馬車に揺られること、数十分。
お城を目にした途端、私は緊張に息が止まった。
男の姿では何度も登城したのに、女性の姿では初めてなのだ。
私、おかしい所はないよね? ちゃんと女性として皆の目に映るるよね?
手に汗が浮かび上がり、手袋が濡れるのではないかと心配した時、隣にいるケリエル様がギュッとその手を握りしめてくれた。
おおお~、汗が、汗が、汗が~~~。
「大丈夫。私も一緒だよ。それに伯爵も夫人も前の馬車に乗っている。先に降りて君を待っていてくれるよ。安心して」
ケリエル様の微笑に、焦っていた私の心は落ち着いていく。
ああ、ケリエル様の笑顔は私の安定剤だ。
城に到着し馬車が止まると、先にケリエル様が降りて私が降りやすいように手を差し伸べてくれる。
私は意を決して、その手をとる。
大丈夫、大丈夫。ケリエル様が一緒なら何も怖くない。
会場に着くと、一斉にどよめきが起きた。
ひいいぃぃぃ~~~。
内心の怯えをひた隠しにしながらも、私は前を向いて歩く。
私の手に力が入ったのに気が付いたのか、ケリエル様がエスコートの手を強く握り返してくれた。
ここにいるよという気持ちが伝わってくる。
緊張のあまり周りが何を言っているのかよく分からないけれど、どうせケリエル様が変な女をエスコートしているとかなんとか、悪口を言われているに決まっている。
私は耳を塞ぐことにした。
聞こえない。聞こえない。聞こえないよ~っだ。
そんな私の耳元で「クリス」というケリエル様の甘い声が聞こえる。
ギャー、ケリエル様、耳元で囁かないで。
非難を込めた目をケリエル様に向けると、目の前にはケリエル様のお父様とお母様。イブニーズル侯爵と侯爵夫人がいた。
ギャー、ケリエル様、ごめんなさい。
「こ、こ、侯爵……」
「やあ、クリスティーナ。長期療養、ご苦労様。よく頑張ったね。こうして戻ってきてくれたこと、嬉しく思うよ。改めてお帰り」
「クリスティーナ、お顔をよく見せて。ああ、本当に昔と変わらないわ。とても愛らしい。ケリエルにはもったいないわね」
ニコニコと笑う侯爵と夫人に、涙が出そうになる。
昔はこの二人にも、実の娘のように可愛がってもらっていた。
だけど、男の姿になってからどう接していいのか分からなくなって、結局は彼らの目にふれないように、彼らが訪れた日は部屋に籠るようになった。
ケリエル様だけは、私がシーツを被って引きこもっている場所にもひょいと現れて何も言わずに座っていたが、彼らはそこまでしなかった。
寂しそうに笑って、帰って行く姿をいつも窓から見つめていたのだ。
「……侯爵様、侯爵夫人、長い間……本当に、申しわけありませんでした」
私が頭を下げようとすると、ケリエル様がそれを止める。
「クリス、二人は謝ってほしいわけじゃないんだよ」
「そうだよ、クリスティーナ。私は君の笑顔が見たいな」
「フフフ、昔のようにお義母様と呼んでくれるのなら、なんでも許してしまうわよ」
ケリエル様ご家族が尊い!
なんて素敵な家族なんだ。
長年にわたっての私の無礼を、笑顔一つで許してくれる寛大なお心。
私が涙ぐむと、横からお母様に「淑女がこんな所で涙を見せない」と怒られた。
お母様のお怒りに、涙はすぐに引っ込んだ。
お母様、本気で怖え~。