とうとう現れた
「件の事件が、やっと魔法騎士団の手を離れるようだ。本日中にケリエルも戻ってくると思うから、出迎えてやってくれるかい?」
朝食後、二人でお出掛けになる前の侯爵夫妻にそう説明された私は、嬉しくって満面の笑顔で頷いた。
落ち着いてケリエル様にお会いできるなんて、いつ以来だろうか?
三日に一度ぐらいの割合で顔を出してはくれていたが、それはほんの数分だけ。
ギュッと抱きしめられたかと思うと、すぐに仕事へと戻ってしまう。
仕方がないと我慢してはいたが、寂しいものは寂しい。
以前、男の姿の時だった十年の間にも、会えなかった時期はあった。
あの時は離れるつもりでいたから、会えないのも受け入れていたし、わざと逃げていた部分もあった。
寂しくてもいつか慣れなくてはいけないと、自分に言い聞かせてもいた。
だけど今は、一日でも会えないと辛いと感じてしまう。
同じ屋敷に住んでいるのに何故会えないんだと、拗ねてしまう私がいるのだ。
こんなにも大事にされているのに、なんて欲張りになったのだろうと自分に呆れてしまう。
だが、そんな辛い日々も今日までだ。
まだ男の姿のままだから、自分から抱きついて喜びを表すようなことはできないが、それでも笑顔でお迎えしよう。
会いたかったと素直に伝えるぐらいは許されるだろう。
ケリエル様も会いたかったと言ってくれるかな?
えへへと一人、妄想に耽っていると、後方で控えていたカーターに「顔、顔。人様に見せられないぐらいに緩んでいますよ」と注意された。
ハッと我に返る私。
思わず涎は出ていなかったよねと、口元を確認してしまう。
「嬉しいのは十分理解していますが、顔には力を入れておいてくださいね。そんな表情、ケリエル様に見せたら速攻、寝室へと連行されてしまいますよ。なんせかなり溜めていますからね、色々と。ええ、色々とです」
「…………………………」
私は暫し考えて、無言でコクリと頷いた。
お戻りになったケリエル様とは、何を言われても二人きりにならないようにしよう。ええ、そうしましょう。
そうして侯爵夫妻がお出掛けするのを見届けると、私はお庭へと移動した。
「お義母様とお義父様は本日、どちらへお出掛けなの? 詳しいことは、お聞きしなかったのだけれど」
土いじりをしながら、後ろにいるカーターに声をかける。
カーターは私が花の手入れをしやすいように、道具を持ってくれている。
「記念日らしいですけど、なんの記念日かは知りません。あの二人は昔から何かと記念日を作ると、その日は二人だけで過ごすのですよ。どこに行かれているのかは、誰も知らないそうです」
「それは、いいね」
初めて聞くお二人の素敵なルールに、私は顔を輝かせる。
それって、お誕生日とか結婚記念日とかだけじゃないってことだよね。
例えば初めて出会った日とか、想いが通じ合った日とか、そういうのを二人で決めて、その都度お祝いしているということでしょう。
それも二人だけで出掛けるなんて、最強騎士と最強魔法使いだからできることなのかも知れないけれど、そんなの憧れしかない。
なんて素敵なの。私もケリエル様とそんな風に過ごしてみたい。
思わず頬を両手で挟むと、半眼のカーターに「手袋、汚れてますよ。顔に土が付きました」と冷静に注意された。
慌てる私に、カーターはポケットに入れていたハンカチで顔を拭ってくれる。
「どうせケリエル様は早くても、夕食後のお帰りになるでしょうから、庭の手入れが終わったらお風呂に入って身支度をしてくださいね。肌の手入れもしますか?」
「……お風呂には入るけど、肌の手入れはしなくてもいいでしょう? どうせまだ男なんだし」
「男でも、肌の手入れぐらいはしますよ。クリス様だって化粧水ぐらいは付けるじゃないですか」
「それは、流石に。でもそれぐらいでしょう? え、まさかカーター、それ以上に何かしているの?」
「フフフ、まあ、それなりに。ああ、そうか。クリス様はそのままで奇跡の美貌を手に入れてますから、何もしなくてもモッチリすべすべの肌なんですね」
「奇跡の美貌って何? ていうか、やっぱり色々としているのね。まさかケリエル様も?」
「あの方は忙しいから、肌荒れしても魔法で一気に治してますよ。十五歳ぐらいまでは何もしなくても大丈夫だったみたいですが、年々気になるようにはなってきたようですね。まあ、無理もありません。あれだけ寝ずに動き回っていたら、肌荒れぐらいしますって」
――言葉がない。
ケリエル様が忙しいのは大半が私の所為だから、肌荒れの原因も私だろう。
一気に落ち込み始めた私に「あれ、落ち込む姿、久しぶりにみましたよ」とカーターにツッコまれた。
クラリウスに変装するようになった私は、以前より落ち込むことが格段に減ったのだ。
色々と前向きに考えられるようになった私だが、それでもケリエル様のこととなると感情の起伏が激しくなる。
「恋する乙女だからね、私」と胸を張ると、カーターに「はいはい」と軽くいなされた。
「あれ? おかしいな。僕の呪いで、君は一人孤独に生きているはずなのに、どうしてそんなに楽しそうにしているのかな?」
突如、頭上から声がした。
カーターが私を背に隠し、身構えながら空を見上げる。
そこには黒いローブに身を包んだ灰色の目と髪の男が、不気味な笑みを顔に張り付けてこちらを見下ろしていた。
その姿を見た瞬間、走馬灯のように私は全てを思い出す。
ケリエル様と過ごした幼い日々。
彼が私の前で魔法を使う。
美しい花々を咲かせたり、荷物を運んだり。
ああ、幼いカーターの姿もある。
侯爵夫妻が私を実の娘のように抱擁してくれる。
エリオットが私達の後ろをついて来る。
お父様とお母様が微笑んでいる。
侍女達の笑い声。
女の子同士の秘密の話よと言って、幼い私にも聞かせてくれる恋の話。
楽しい日々。
私はこの日常が永遠に続くのだと信じていた。
そして、あの日の出来事。
この男に、私は捕まった。
気が付けば、私は楽しいことなど何も思い出せないでいた。
辛い。
苦しい。
悲しい。
嫌い。
皆、嫌い。
だけど、この人だけは……。
私はケリエル様の恋心だけに、しがみつく。
この人が好き。
だけど離れなければいけない。
こんな私は誰かれも必要とされない。
好かれない。
いらない。
誰もいらない。
だけど、この人だけは……。
そうして全てを思い出した私に、その男はさも楽しそうに話しかけてくる。
「まあ、いいか。君が男の姿でいるということは、奴には僕の魔法は解けなかったようだ。僕は奴に勝ったのだ。フフフ、奴は今、どんな表情をしているのかな? 悔しがっている? それとも男の君には、もう興味がなくなった? それでも君がここにいるということは、君と奴の関係は続いているということだね。ならば、そんな君を僕が連れて行こう。約束しただろう。迎えに行くと。ああ、君はそんな姿でも美しい」
濁った眼で見られ、私は背筋に悪寒が走るのを感じた。
思わず震えると、カーターが身構えたまま片手でギュッと私を抱きしめてくれた。
「俺の存在、忘れないでくださいよ。クリス様は一人ではないです」
その力強さに、やっと息ができるようになる。
そうだ、あんな奴に引きずられてはいけない。
もう二度と、思い通りにはさせないんだから。
私はキッと奴を睨みつけた。




