心の暴走
「色々とちゃんと考えたいって何? それは私との仲のこと? 婚約破棄ってことじゃないよな?」
クリスが走り去る後姿を呆然と見送った私は、暫く動けないでいた。
カーターの「しっかりしてくださ~い」という声で我に返る。
そうして叫んだのが先程の言葉なのだが、それに対して誰も何も言わずに顔を背けるのはどういうことだ?
おおお~い!
恨みがましい目で周囲を見つめていると、母上に「自業自得よ。クリスの気持ちも考えないで、何もするなはないんじゃないの」と、これ見よがしに大きな溜息を吐かれた。
ムッとした私は、ビシッと母上とカーターを指差した。
「そもそも二人が内緒で、クリスを連れ出していたのが悪いんでしょう。しかも、変装ってなんです? ペルに話を聞いて、部下達の前で動揺した私の気持ちが分かりますか? まあ、ペルはクリスだってことに気付いてはいませんでしたが」
「部下の前で動揺って、そんなのいつもの貴方の奇行に比べたら些細なことじゃない。今更、何カッコつけているのかしら?」
私が原因は母上達にあると言ってやるが、母上はあっさりとそれを受け流す。
しかもあろうことか、私が普段から異常な行動を取っているかのような発言をされてしまった。
「失礼な。誰が奇行なんてしてますか。ああ、もうそんなのはどうでもいい。それよりも、どうして私にクリスが外出していることを教えてくれなかったのですか?」
根本的な問題は、私が何も知らなかったということだと言うと、母上は「馬鹿ね」と半眼になる。
「そんなこと話したら、貴方、仕事放って追っかけて来るでしょう」
「当然です。クリス以上に大切なことはありませんから」
「そんな状態で言えるはずないでしょう!」
母上がグワッと私に牙をむく。
思わず、たじろく。
母上の圧力に私が言い淀むと、母上はゆっくりと侍女が用意した新しいお茶を飲む。
私は改めて、母上に説明を求めることにした。
「どうして変装までして、外出なんてしたのですか? しかも私が忙しい時に」
「忙しい時期を狙ったの。私、クリスがこの家に来て初めて知ったのよ。クリスが何も知らないことをね。まともに街に出かけたこともなければ、観劇もオペラハウスだって行ったことがない。貴方、今までクリスのそばにいて何をしていたの?」
一回も遊びに連れて行かなかったのかと、呆れた目で見つめられる。
けれどそれは、この十年のことを考えるとできることではなかった。
「それは……クリスがあのような状態でしたので、誘っても断られてしまって」
それに関しては、母上も思うところはあるのだろう。
少しだけ気まずい表情をすると、コホンと咳をする。
「そうね。それは仕方がなかったかもしれないわね。でもそれなら、クリスが興味をもった今、止めるべきではないんじゃないのかしら?」
「私が一緒なら、どこにでも連れて行ってあげますよ。クリスが望むなら、船にも乗せて他国にだって連れて行きます。けれど今は、どうしても時間がつくれないのです」
流石に今の仕事を放って遊びにはいけないと説明するが、母上は納得できないらしい。
「じゃあ、貴方が動けるようになるまでクリスにも我慢しろと言うの? 引きこもりのクリスがせっかく楽しそうに外出しているというのに? それは貴方のエゴじゃないかしら?」
そう言われて、私は眉間に皺を寄せる。
「誰も行くなとは言っていません。もう少し、私が落ち着くまで待ってほしいとお願いしているだけです」
「そうかしら? 貴方の言い方は、まるで自分がいない所で勝手な行動はとるなと言っているようだわ」
「それの何がいけないのです? クリスを守るためには、仕方がないことです。あんなに綺麗な子がフラフラしていたら危ないと、母上だって仰っていたではありませんか」
「そうだけど、貴方が一緒にいる必要はないでしょう。なんのためにカーターをそばに置いているの? 私だっているのです。クリスの言うように、十分安全は確保して行動しているわ」
段々と言い合いがヒートアップしていく私達に、父上が待ったをかけた。
「二人共、少し冷静になりなさい。クリスに拒否されて興奮するケリエルの気持ちも分かるが、確かにお前が一緒では外にも出るなというのは、流石に束縛が過ぎると思うぞ」
そう言った父上に、私は強く唇を噛む。
誰がいつ、束縛などした?
私はいつも、クリスを気遣っている。
美しいクリスは老若男女、誰からも狙われている。
私がそばで目を光らせていないと、あっという間に他人の毒牙にかかるのだ。
そう、十年前のあの時のように……。
私はグッと拳を握る。
「お二人は、この十年のクリスを知らないから、そんなことが言えるのです。無理矢理性別を変えられて何にも興味が持てず、自信が持てない自己肯定感の低いクリスを」
「だから、外にも興味をもたせて自信を付けさせてあげようと思ったんじゃない。それの何がいけないことなの?」
私の言葉に母上が、またもや同じことを言う。
私はカッとして、母上に詰め寄った。
「ですから、私がいない時にすることではないでしょうと言っているのです。私がいない間にクリスに万が一があれば、私はどうしたらいいのですか? 男にされたあの時の後悔してもし足りない気持ち、もう二度と味わいたくないのですよ」
生まれて初めて、母上に声を荒げた。
私にとって母上は、物心ついた頃より怖い存在であったのだ。
私は産まれた時から魔力が多く、気が付けばその力をよく暴走させていた。
それを全て押さえていたのが、同じ魔力量の多い魔法使いである母上だった。
その時点ですでに私は、母上には勝てないと幼心に刻み込まれていたのだ。
そんな母上に、私は唯一残る後悔を叫んでしまった。
守れるはずだった小さな存在。
愛らしく華やかな少女が、一時目を離した瞬間に傷付けられた。
私のこの膨大な力は、大切な少女一人も助けられない無駄なものだったのだと暴れ狂いそうになった。
だがそれ以上に、その少女の傷付いた心を支えるので精一杯だった。
虚無感を抱く少女に、何もできない自分が惨めだった。
冷静を装いながらも、怒りと不安とやりきれない気持ちを交差させながらも生きていたというのに、先日その理由が私の所為であるかもしれないと知った。
悪いのは呪いをかけた奴だということは充分、理解している。
だが、割り切れないものもある。
そんな心の葛藤が、クリスを自分の腕の中に閉じ込めることで、安心しようとしていたのかもしれない……。
そこで私は、己の考えにハッとする。
何を言っているのだ⁉
今回、彼女は私の目の前で呪いを戻され男にされたというのに全然、守り切れていないではないか。
私の腕の中なら安心? 馬鹿も休む休み言えというものだ。
彼女のために全く何もできていないというのに、何もするなとはよくも言えたものだ。
現状を思い出した私は、愕然とその場に立ち尽くす。
「あれ? あの、ケリエル様?」
カーターが動かなくなった私を揺さぶって来るが、私は呆然としたまま動けなくなった。
もしかして私は、役立たずなのか?
「あ、ちょっと、これ、やばいかもしれませんね」
「どういうこと、カーター?」
「クリス様が極限状態まで落ち込んだ状況に似ています。自己肯定感が地の底まで低くなっているのです。多分クリス様に拒否られて、皆様に注意されて自分の考えが間違っていると気が付かれたのでしょう。俺様ケリエル様が初めて味わっているネガティブ感情でしょうね」
「……何、それ⁉ 面倒くさいわね」
「はい、心底面倒くさいです。どうしましょう?」
そんな会話が私の横でされているとは知らずに、私はどんどん暗い考えに落ち込んでいく。
役立たずの私は、このままクリスに捨てられてしまうのだろうか……?




