初めての喧嘩
私はケリエル様の綺麗なお顔を、呆然と見つめていた。
いま、ケリエル様は自分のいない所で頑張るのは、勘弁してほしいと仰ったが、それはどういう意味なのだろう?
私が頑張る必要などないという意味? それとも、ただ単に心配だからという意味?
余りにも長い間、私が何も言わずに見つめていたので、ケリエル様も自分の発言を考えたようだ。
あっという表情をした後、クリスと私の名前を優しく呼ぶ。
「勘違いしないでね。今日、クリスが頑張ってくれたことには感謝している。お蔭で女性達の口から、私の関わっている事件の情報が手に入ったのだから。それでもやっぱり、クリスの身を案じてしまうんだ。私はクリスにもしものことがあったら、生きてはいけないからね」
するすると、私を甘やかすように頬を撫でるケリエル様。
そんなケリエル様に、私は何故だろう? いつものような安堵感を得られない。
どうしても頷きたくなくて、視線を逸らしたまま反論してしまう。
「……大袈裟です」
「大袈裟じゃない。これは本当のことなんだ。だから私のことを少しでも考えてくれるのなら、できるだけ無茶はしないでほしいんだ」
その言い方は卑怯だと、ムッとした私はケリエル様を睨んでしまう。
「それじゃあ……私は、何もできません」
「何もする必要はないでしょう。クリスのことは、私が全てしてあげるから」
「!」
ケリエル様の言葉が何故か引っかかる。
心配しての言葉だと十分分かっているつもりではあるが、どうしても納得できない。
それじゃあ、私はただのお人形と一緒ではないだろうか?
ただ、愛でるだけのお人形。
女だろうと男だろうと関係ないと言ってくれるケリエル様を、とっても嬉しく思うが、何もするなと言うのは流石に違うと感じる。
私の意思は必要ないと言っているように聞こえてしまうのだ。
私はグイッとケリエル様を押すと、彼の膝の上から降りようともがいた。
「どうしたの、クリス? もう少し君を堪能したいな」
ニッコリ微笑んだであろうケリエル様の顔を見たくなくて、俯いたまま暴れる。
「……私は、お人形じゃありません」
「え?」
「何もするなは酷過ぎます。私は感情がある人間なのですから」
そう言ってキッと睨むと、ケリエル様は酷く驚いた顔をしていた。
ああ、何言ってるんだこいつ。と思われているんでしょうね。
そうだよね。散々甘えて自分では何一つできずにケリエル様に任せっきりだった小娘が、お人形じゃないとかいきなり暴れても、笑わせるなって話だよね。
でも、それでも、ケリエル様にはそういう風には言ってほしくなかった。
「ク、クリス?」
困惑したケリエル様に申しわけないと思いながらも、力の抜けた瞬間を狙って膝から降りる。
「あっ」
逃げられたと慌てて私を捕まえようと手を伸ばしたケリエル様をヒョイとかわして、私は扉まで走る。
扉を開く前にクルリと向きを変えて、侯爵夫妻にペコリと頭を下げた。
「申しわけありません。今ちょっと私、混乱しています。色々とちゃんと考えたいので、部屋に戻らせていただきます。失礼します」
挨拶だけすませると、脱兎のごとく駆け出した。
淑女としては絶対にアウトな行動だけど、今は男。問題ない。
私は自分にそう言い聞かせて、部屋へと一直線に向かった。
今はとにかくケリエル様の顔を見たくないと、私は生まれて初めてそう思ってしまったのだ。
男でいた十年の間にもケリエル様と距離を取ろうとしてはいたが、それはあくまでケリエル様に男の私など相応しくないと諦めての結果だ。
ケリエル様が大好きだからこその決断。
決して今のように、もやもやする気持ちを抱えて、拗ねるようなそんな気持ちではない。
別に嫌いになったとかそういうわけでもないが、どうしてだろう?
どうしても、どうしても、どうしても、今は顔を見たくない。
顔を突き合わせていたら、私は何を言うか分からないという不安にも駆られる。
それこそ、心にもないことを平気で言いそうだったのだ。
ケリエル様が傷付くであろう言葉を……。
部屋に辿り着いた私は勢いよく扉を開けると、そのまま寝台に飛び乗った。
せっかくちょっとだけ、本当にちょっとだけだけど、後ろ向きな考えを振り払って勇気を持てたというのに。
ここ数日のことを思い出し、私は首をブンブンと振る。
普通の人には当然できるような行為でも、私にはかなりの勇気がいったのだ。
お義母様に変装させてもらって、クラリウスという人物になって、やっと自分でないものになれて勇気が持てるようになった。
無表情で嫌われ者のクリスティーンではなく、人気者のクラリウス。
クラリウスになって、私は初めて自分の容姿はそれなりに評価されるものだと分かったのだ。
直接、賞賛する人々の視線が、私にそう気付かせてくれた。
社交界ではいつも遠巻きに嫌味を言われていた私は、どうしても卑屈になってしまっていた。
けれど少しでも私が人気者になれれば、ケリエル様の横に立っていることも許されるかもしれない。
女性に戻って知った、ケリエル様の素晴らしさ。
憧れていた以上に、ケリエル様はなんでもできる凄い方だったのだ。
そんな彼のそばに居るのが、何もできない迷惑をかけるだけの自分だと思うと辛かった。
だから少しでも自分に自信が持てるように、前向きになりたかったのだ。
前向きになるためには勇気を持とうと、頑張った結果があの街での行動だったのだが、それをああもあっさりと必要ないと言われてしまっては、私はどうすればいいのだ。
私の頑張りはケリエル様にとって余計なことならば、私はどうやって自信を持てばいいのだろう?
私はただ、どんな姿の自分でもケリエル様のそばにいることが許されているという自信を持ちたかっただけなのに……。
う~っと、枕に顔を埋めて唸ってしまう。
いつもならここで涙が出てくるはずなのだが、今日は涙ではなくムカムカと胸がむかついている。
こんな心境は本当に初めてだ。
私は枕をパフパフと寝台に叩きつける。
思わず心の中で叫んでしまう。
『ケリエル様のバカ、バカ、バカ! ……嘘です』
そうして私はこの行為を延々と繰り返し、気がついた時には朝を迎えていたのだった。




