大変な現場
トウハー様が職員さんを道の端に寄せて、こちらに一人で歩いて来る。
どうやら職員さんは、その場に待たせておいてくれたようだ。
少しだけホッとした私は、トウハー様の不機嫌そうな表情を見て『デートを邪魔されて怒っているのかな?』と不安になる。
「……ご無沙汰しております、イブニーズル侯爵夫人。このような所でお会いできるとは思ってもいませんでした」
「オホホ、気付いていただけなかったので、つい往来で名前を呼ぶなんてはしたない真似をしてしまいましたわ。お許しくださいね」
トウハー様が街中で声をかけるなと嫌味を言うと、お前が無視するからだろうとお義母様が笑う。
プルプルと震えているトウハー様の背中を、カーターが優しく撫でる。
「ケリエル様より伺っています。申しわけありません、お仕事中に」
「うん、久しぶりカーター。ただでさえ辛い任務中だっていうのに、侯爵夫人に目撃されるなんてなんの拷問? とか思ったよ。ん、君は誰? 綺麗な子だね。イブニーズル侯爵家の縁戚の方かな?」
そう言って私を見てくるトウハー様に、私は自分が変装していたことを思い出す。
トウハー様にバレたら、ケリエル様にもバレる。
私は素直に身元を明かすべきかどうか迷った。
「私が可愛がっているクラリウスよ。それよりペルセウス様は彼女と何をしていたの? あの子、クリスの呪いを修復してしまった子でしょう」
お義母様がトウハー様と私の会話を遮ってくれた。
流石お義母様。偽名を言うだけで、身元は明かさなかった。
トウハー様はペコリと頭を下げる私をチラリと見たが、お義母様の視線に捕まりハア~っと大きな溜息を吐いた。
「ケリエルからどこまで聞いているか知りませんが、彼女は今取り掛かっている事件の協力者です。いつ寝返るか分からないので、野放しにするわけにもいかず、こうして僕が付いているだけです」
「カーターは聞いているみたいだけど、私は何も知らないわ。そう、それは大変ね。遠目からはデートしているみたいに見えたから、つい声をかけてしまったの」
「嘘でしょう⁉」
驚くトウハー様にお義母様は「残念ながら嘘じゃないわ」とコロコロ笑う。
「だから嫌だと言ったのに。街の買い物の付き添いなんて、違う者にしてくれってあれほど頼んだのに、殿下が、王太子殿下が面白がって……あの野郎……」
肩を震わせながら俯くトウハー様が段々と不憫に思えてくる。
王太子殿下の被害者は、ここにもいるのか。
「トウハー所長~、まだですかぁ~?」
「あら、ラブコール」
「やめてください! 殴りますよ」
「できるものならね」
「ごめんなさい」
職員さんが待ちくたびれたのか、トウハー様を道の端から大声で呼ぶ。
それに反応したのがお義母様なのだが、ちょっと揶揄い過ぎたのだろう。
トウハー様がジト目でお義母様に拳を翳したのだが、お義母様もまた拳を翳す。
すると、あっさりとトウハー様が白旗を上げた。
どうやら力関係がハッキリしているようだ。
私がそう考えていると後ろからカーターが、説明してくれた。
「ペルセウス様は小さい頃、イブニーズル侯爵家に少しだけ出入りしていたんですよ。魔力の多いペルセウス様を、周囲が持てあましていたんでしょうね。ケリエル様に呼ばれてお会いしたのが、同等の多さを誇る奥様です。ペルセウス様にとったら、短期間だけとはいえ師匠に当たる方かもしれませんね」
なるほど。
それならばトウハー様が、お義母様に頭が上がらないのもよく分かる。
同時にケリエル様と仲が良いのも頷ける。
そうこうしていると、声をかけても反応せず、一向に帰ってこないトウハー様に痺れを切らしたのか、職員さんがこちらに向かって歩いてきた。
私は慌てて顔を逸らす。
すると前の店から、一人の男性がフラフラと出てくるのが目に入った。
その動きが余りにも緩慢で違和感を覚えた私がジッとその姿を見つめていると、その男性は前を歩く老女とぶつかった。
勢いよく転ぶ老女に、周囲がなんだと注目する。
数人が大丈夫と声をかける中、一人の女性が「酷いことをするわね。ちゃんと謝りなさいよ」と声を荒げたかと思うと、男性は「ううう~」と唸ってその女性に飛びついた。
「きゃあ!」
道端に女を押し倒した男は、見るからに常軌を逸していた。
焦点のあってない目は充血して、口元からは涎が溢れている。大量の汗が体から流れ出し、服はびっしょりと濡れていた。
「あああ、う、るせぇ、うるせえ、うるせえぇぇ!」
女の肩を地面に押し付けたまま叫ぶ男に、尋常じゃない状況を悟った周囲は「ひいぃ」と叫びその場から逃げ惑う。
「いやあ、助けてぇ!」
押し倒されている女が恐怖を感じ逃げようとするが、男はその肩を離さない。
私はその場に立ちすくむ。
怖い、怖い、怖い。
こんな緊迫した状況、今まで味わったことがない。
私はいつも守られていた。
ケリエル様に、カーターに、家族やオルバーナ伯爵家の者達に、イブニーズル侯爵家の皆様に。
性別を変えられて卑屈になって、閉じこもって、自分の人生を恨んだ。
でも、そんなのとは違う圧倒的な暴力を目にして、私はどうしていいか分からない。
恐怖だけが身を包む。
「大丈夫ですよ、クリス様。ケリエル様の代わりに俺がいます。クリス様は避けていてくださいね。危ないですから」
ポンッと頭に手を置く私の専属執事。
「カーター」
「本当はクリス様を連れて逃げる場面ですけど、放っておくわけにもいきませんしね。トウハー様お一人に任せる訳にもいきませんので。ちょっと止めてきます」
ケリエル様には怒られるかなぁと言いながら、カーターが私のそばを離れる。
そこで私はハッと気付いた。
そうだ、私は守られている。
怖いのは私ではなく、押さえつけられている女性なんだ。
何をされるか分からない恐怖と戦っている彼女に、私ができることは……。
ふとケリエル様を思い出す。
逃げ回ってばかりいる私を、いつもそばで見守り続け自分の気持ちを伝えてくれたケリエル様。
私はケリエル様に恥じない生き方をしたい。
ケリエル様に勇気をもらった私ができること……。
恐怖に縛られ一刻も早くこの状況から逃れたいと暴れる女に、男はもう一度「うるせえ!」と叫ぶが、女は動きを止めようとしない。
恐怖のあまり何も聞こえていないのかもしれない。
男は「う、うう~」と唸ると、涎をまき散らし拳を大きく振りかざした。
誰もが殴られると感じたその行為は、他者の男の腕を掴む手によって封じられる。
「いい加減にしましょうね」
ニッコリ笑うカーターに、そのまま腕を捻られ「うわあ」と悲鳴を上げる男。
いまだ!
私はその隙に女のそばまで走り、男の下から彼女を引っ張り出した。
一瞬驚くカーターと目が合ったが、私は気にせず女性を引きずって離れる。
トウハー様がカーターに駆け寄り、男の身柄を拘束する。
暴れる男を押さえつける二人は「魔法で動きを止めますか?」「いや、このまま兵に引き渡す方がいいだろう」と話している。
私はその光景をゼイゼイハアハアと激しく息をして、見つめていた。
運動不足の体を恨めしく思いながらも、女性と共にその場に座り込んだ。




