どういう状況?
「やばいっす! 一大事です! ケリエル様!」
王太子殿下との話し合い? がとりあえず終わり執務室に戻った私は、殿下が数分で仕上げてしまった書類をジト目のサランに手渡すと、ソファに座り込んだ。
怒りを押し殺すというのは、どうにも体に悪いものだ。
思った以上に疲れた体を伸ばした瞬間、目の前にカーターが現れた。
驚くサランの口を右手で塞ぎ、カーターを見据える。
「おい、ここは城内だぞ。転移魔法はご法度だ。第三者に見られたらどうする?」
「自分はバンバン使ってるくせに。俺だってケリエル様の弟子なんですよ。そこは十分警戒してますって。て、そんなことはどうでもいいんです。クリス様の一大事ですよ」
クリスの名前を聞いた私は、すぐにサランを放り投げるとカーターに詰め寄った。
「私のクリスがどうした? まさかまた、性別が入れ替わったとかじゃないだろうな?」
「だったら喜ばしいことじゃないですか。ではなく、敵の襲撃です」
「は? 敵? まさか呪いをかけた魔法使いでも現れたのか?」
「ある意味、もっと厄介な人間です。隣国の王女、ミレニアム様にクリスティーン様が捕まりました」
「はあぁ?」
爽やかな朝。
イブニーズル侯爵家で男の姿のままお世話になっている私は、仕事に行くケリエル様をお見送りするためエントランスにいた。
その際、ケリエル様は何故か仕事に行くことを躊躇していて、私の手を中々離さないまま、時間だけが過ぎていた。
暫くして、しびれを切らした侯爵夫人が私の腕に手を絡めると、そのまま笑顔でケリエル様を追い出す。
「絶対に定時で帰って来るからね」
名残惜しそうに馬車に乗るケリエル様に、笑顔で手を振る私と侯爵夫人。
「クリス、今日の予定は?」
ニッコリと微笑む侯爵夫人に、昨日の今日で何をしたらいいのかも分からない私は、とにかくエリオットに言われていたことを思い出す。
「弟に、両親に心配しないよう自分の言葉で伝えろと言われていたので、手紙を書こうと思います。その後は、特にありません。皆様のお邪魔にならないよう、部屋で過ごそうかと思います」
「手紙を書くのは良いことね。私達の方からもお話しはさせてもらっているけど、オルバーナ伯爵夫妻もご心配でしょうからね。直接クリスの言葉を聞ければ、安心するでしょう。それと邪魔はしてちょうだい。ううん、私が邪魔するわ。クリスは土いじりは嫌い? 新しい花の苗を買ったのよ。ほとんど庭師に頼んではいるんだけど、少しだけ私も植えようかと思っているの。よかったら、クリスも一緒にどうかしら?」
「土いじり、ですか?」
初めて聞く侯爵夫人の趣味に、私は驚きを隠せない。
私の中で侯爵夫人は、立派に家を守るしっかりした優しい貴婦人のイメージしかない。間違っても自らの手で土に触れ、虫に怖がりながら汗を流す雰囲気などないのだ。
私が困惑していると、侯爵夫人はフフフと楽しそうに笑う。
「何も考えずに、土と花に触れるのは楽しいわよ~。クリスも幼い頃は裸足で庭を走り回っていたのだから、きっと土に触れるのは好きなはず」
「え? 私、裸足で庭に出てたんですか?」
「貴方が庭に出たいと言うと、必ずケリエルが危険な物はないかと先に確認に行くの。クリスはそれが嫌だったのね。こっそり靴と靴下を脱ぐと裸足で、ケリエルとは違う方向に走っていたわ。驚いたケリエルが慌てて捕まえて、抱っこして帰って来るのが定番だったわね。戻って来たクリスはギュッとケリエルにしがみついたままニコニコしていたから、それが楽しくってわざとやっていたのはケリエルも分かっていたのでしょう。二人共、可愛かったわ~」
昔を思い出したのか、侯爵夫人は頬を染めて微笑んだ。
一切そんなことを覚えていない私は、一人慌てる。
待って、待って、昔の私。色々と何やってんのよ~。
「……ケリエルに聞いたけど、そういう楽しかった昔のこと、少しも覚えていない?」
侯爵夫人が、苦笑しながら私を見る。
しかし私は、眉を下げるしかない。
確かにケリエル様とは幼馴染で一緒に過ごしていた時間は沢山あったけど、先程のように楽しかったことはあまり覚えてはいないのだ。
淡い恋心だけは、ハッキリあるのに。
幼かったから、というだけのものではないように思う。
この家に来てから初めて聞かされる自分の過去に、正直戸惑っている。
「……やっぱり、呪いの影響かしら?」
「そう、なのですか?」
侯爵夫人の呟きに、私は目を開く。
そういえば、侯爵夫人も魔法使いだとケリエル様から教えてもらった。
侯爵夫人にもそういった、魔法の影響が分かるのかもしれない。
呪いについての理解をしてくれる人が、一人でも多くいることに安堵する私の気持ちが表情に出ていたのか、侯爵夫人は苦笑して私の手をそっと握った。
「貴方の呪いはとても複雑なものなの。それに偶然できた産物でもある。ゆえに普通の魔法使いでは解呪するのは、かなり困難ね。でも安心して。貴方には普通でないケリエルがそばにいる。あの子が意地でもどうにかするわ。貴方はただ日々を楽しく過ごすことだけ考えていればいいのよ」
フフフと笑う侯爵夫人は、ケリエル様のお母様だなって改めて納得する。
優しい言葉と笑顔で、私の心を軽くしてくれるのだ。
侯爵夫人の優しさに泣きそうになりながらも、私は笑顔の夫人に微笑み返す。
――恩ばかりが増えていく。
私がイブニーズル侯爵家に返せることなど何もないが、せめて笑っていてもらえるように私も精一杯笑顔でいよう。
後ろ向きな考えばかりしていては駄目なのだと、私は前向きに生きる努力をしようと決意した。
気分転換にと誘っていただいた土いじりは、思いのほか私の心をスッキリとさせてくれた。
少しだけ土で汚れてしまった衣服を着替えた私は、部屋から出て階段を降り、ちょうどエントランスへと差し掛かる。
すると重厚な扉が勝手に開き驚く私の目前に現れたのは、この場には絶対にお会いしないはずの隣国の王女、ヴァレット様のお騒がせ妹姫、ミレニアム様だった。
は? なんで?
ここはケリエル様のお屋敷、イブニーズル侯爵家よ。
どうしてなんの関係もないミレニアム様が現れるの?
私が驚きに目を見開いていると、私の存在に気が付いたミレニアム様がツカツカと近寄って来る。
「ちょっと、そこの貴方……」
こちらを扇で指すミレニアム様と目が合うと、彼女はハッと息を呑み、そのままジッと私を見つめた。
その迫力に思わず後ずさりすると、逃がさないとばかりにガシッと腕を掴まれる。
ひいぃぃぃ~!
あまりの顔の近さに思わず悲鳴を上げそうになったが、どうにか根性で飲み込んだ。
恐怖で身震いしそうになったちょうどその時、奥からカーターが姿を現した。
どうやら、来客を知らせる呼び鈴が鳴ったようだ。
腕を掴まれている私と、見知らぬ令嬢にギョッとした表情を見せる。
私が声を出さずに口でパクパクと『助けて』と動かすと、カーターは慌ててこちらにやって来る。
そうしてミレニアム様に声をかけようとした瞬間……。
「貴方のお名前は?」
「「………………………………」」
頬を朱に染め、目をキラキラと輝かせるミレニアム様に、私とカーターは無言になる。
そのままゆっくりと状況を確かめるべく、カーターと視線を合わせるのだが、その間にもミレニアム様はグイグイと私に体を寄せて来る。
「あ、あの……」
「私はミレニアム・ニア・ジェルニング。隣国ジェルニング国の王女よ。貴方はイブニーズル侯爵家の二男? ケリエル様の弟かしら?」
「い、いえ……」
「では、どこの誰なの? 顔はどこかで見た感じがするけど、こんな綺麗な顔なら忘れようがないはずなんだけど。まぁ、どちらにせよ、この国の貴族よね? 品があるから、高位の貴族? もう、もったいぶらないで、早く身分を明かしなさい」
……あまりの迫力に、私とカーターはその場に固まってしまった。




