まずは身なりから
「失礼いたします。奥様、仕立て屋が参りました」
「やっと来たわね。ケリエル様、せっかくお越しいただきましたのに申しわけありません。クリスのドレスを作りたくて、仕立て屋を呼びましたの。失礼してもよろしいかしら?」
ケリエル様にいただいたネックレスを握りしめていると、侍女がお母様を呼びにきた。
嬉々として立ち上がったお母様は、向かいに座る私の手を取るとケリエル様に退出の許可をとる。
私のためにせっかく来てくれたケリエル様を放っておくなんて酷いわとお母様に抗議しようとしたが、ケリエル様が私の背を押してくれた。
「そうですね。ドレスはすぐに必要になるでしょう。私からも何着かプレゼントいたしますね。どうぞ、私に構わず行ってください。私は伯爵と話をしたら帰ります。ですが、明日またお伺いしてもよろしいでしょうか? 新たな呪いの種類も調べないといけませんし」
「ありがとうございます。もちろん、お待ちしておりますわ」
では参りましょうとお母様に引きずられながらも、私はケリエル様を振り返る。
「あの、あの、ケリエル様。ありがとうございました。明日、またお願いいたします」
明日もまた、女の姿で会える。
私はケリエル様に絶対来てねというように、必死でお礼を述べると、彼はニッコリと笑って片手を上げてくれた。
嬉しい。例え一時の事でも、ケリエル様にこうして女として扱われるなんて。
私はお母様と共に足取り軽く、仕立て屋が待つという部屋に向かったのだった。
――舐めていた。
ドレスがこんなに苦しいものだったなんて。
サイズを測る間は良かった。
色々なドレスの生地やデザインを選ぶのも楽しかった。
けれど、何着か既製品ではあるが持ってきたドレスを着てみてくださいと言われ用意し始めた途端、コルセットに苦しまされる羽目になるとは。
うくくくく、苦しい~。
子供の頃はコルセットなんて必要なかったし、十年間は男だったため、男性の服を着ていたのでコルセットの苦しさを知らなかった。
先程着ていたドレスだって、私より背が高く豊満な体つきだったお母様のだから色々と大きくて、コルセットなどで締め付けなくてもなんの問題もなかったのだ。
それが今は……。あれ?
「クリス様、もう少し締めてもよろしいでしょうか?」
コルセットの紐を締め付けている侍女の顔に見覚えがある。
年は取って全体的に丸みを帯びてはいるが、このふっくらと厚みのある唇は……。
「ララ?」
私が呟くと「はい。なんでしょうか、クリス様」と返してくれる。
「ララ」
もう一度呼ぶと、ララはこちらを向いて不思議そうに私を見た。
私は男の姿になってから、女性の顔が分からなくなっていた。
だから個人を確認する方法として、屋敷で働く侍女にはお仕着せの胸元に、それぞれ色々なリボンを付けてもらっていたのだ。
ララは緑にレースをあしらったリボン。
だけど今のララはコルセットの紐を締めるのに必死で、私からは胸元が見えなかった。
それでも分かった。ちゃんと彼女の顔が認識できたから。
「どうしたの、クリス?」
お母様や侍女達が手を止めて私を見る。
ああ、あの子はエマ。私を着飾るのが大好きな侍女。お母様の横にいるのはデイニー。お母様の侍女だけど、私の世話もよくしてくれた。そしてあの侍女は……。
「分かる! 私、分かります。皆の顔がちゃんと分かるよ」
私がそう言うと、皆は一斉に歓声を上げた。
女の姿に戻れたからなのか、ちゃんと女性の顔が分かるようになったのだ。
皆で抱き合いながら喜び、デイニーなんか涙を流している。
何もかも元に戻れたかのようだ。
これで本当に呪いが解けていたのなら、どんなに良かったことか。
それでも、これが一時の幸せだったとしても、今は素直に喜ぼうと思ったのだった。
次の日、約束通り来てくれたケリエル様に笑顔で出迎えられた私はポッと頬を染める。
対面でソファに座っているので、ケリエル様の顔がよく見えるのだ。
朝日に照らされたケリエル様も素敵です。
「カーターに聞いたよ。女性の顔が分かるようになったんだってね。良かったね」
そう言って手を伸ばし、頭を撫でてくれるケリエル様に微笑む。
「あれ? もしかして、疲れてる?」
バレた!
何故、バレた? 私ちゃんと笑ってたよね? やっぱり長年笑ってなかったから、笑顔がぎこちなかったのかな?
「あの……」
私が言い淀む横で、カーターがニヤニヤしている。あ、絶対に余計なことを言う。
「クリス様はあれから奥様に、淑女教育を始めましょうと言われて、カーテシーの練習をさせられたのですよ。その他にも歩く練習や話し方なんかも」
ぐっ、カーターめ。ペラペラと私の情報をもらすんじゃない。
私が憎々しくカーターを睨む横で、ケリエル様は私を心から労わるように話しかけてくれる。
「そうか。いきなりは辛かったね。まだ女性に戻ったばかりなんだ。慣れないこともあるだろう。ゆっくりと学んでいけばいいよ。夫人にも私からそう伝えておこう」
私はケリエル様に、両手を組んでキラキラした瞳を向ける。
ケリエル様、尊い。
「良かったら回復薬を飲むかい? カーテシーの練習なんて普段使わない筋肉を使うから体が辛いんじゃないかな?」
ケリエル様が胸元から出したのは、透明の液体が入った綺麗な小瓶。
回復薬って数少ない魔法使いが、小遣い稼ぎに作ると言われている魔法の薬。
その名の通り疲れを取り除き元気な体に戻してくれるという、とても希少なお高い薬のはず。
それを惜しげもなく、はいどうぞと渡してくれる。
兄のような存在を通り越して、もはや神。
私は素直にそれをもらうと、ごくごくとケリエル様の目の前で飲み干した。プハー、美味しかった。
「……令嬢の姿で男のように一気飲みされると、容姿が美しいだけにちょっと引きますね」
はっ、しまった!
呆れるカーターを横目に、私は恐る恐るケリエル様を見る。
どうしよう、呆れられたかな?
そう心配したのだが、ケリエル様は何も気にしていないようでニコニコと笑っている。
私の失敗も笑って見過ごす懐の深さ。私は思わず拝みそうになる。
ああ、ケリエル様から後光がさしているようです。