驚愕の部屋
翌朝、食堂へ行くとそこにケリエル様の姿はなかった。
あれ、おかしいな?
首を傾げていると、笑顔の侯爵夫人が私を手招きして椅子に座らせる。
「あの子ね、昨夜カーターと遅くまで飲んでいたらしくて起きられないのよ。カーターは専属執事の仕事、ちゃんとできたかしら?」
「え、一応朝の挨拶をしてここまで送ってくれましたが……いませんね?」
クルリと食堂の扉付近を見るが、そこにカーターの姿はなかった。
どうやら執事としての仕事を終わらせて、すぐに部屋へと戻ったのだろう。
珍しいカーターのそんな行動に、実家にいる気やすさを感じた。
それと同時にそこまで調子が悪いのかと心配にもなってくる。
ケリエル様と飲んでいたということは、彼もまた具合が悪いかもしれない。
二人共、大丈夫かなぁと思っていると、侯爵様が私に視線を合わせた。
「クリス、悪いが食事の後でいいからケリエルに回復薬を届けてくれないかな?」
そう言って綺麗な小瓶を私の前に置く。
「カーターにはハバスから渡しておいてもらうから、心配しなくていいよ」
「それでしたら、私も直ぐにお届けいたします。ケリエル様が苦しんでいるのに、私だけゆっくり食事をいただくなんてできません。侯爵様や侯爵夫人、厨房の皆様にはご迷惑おかけいたしますが、よろしいでしょうか?」
一緒に朝食をとるために待ってくれていたであろう侯爵夫妻や、準備をしてくれていた使用人の皆様には大変申しわけないと思いながらも、具合の悪いケリエル様を放っておいては朝食も満足に喉を通らない。
回復薬の小瓶を握りしめて許可を取ると、侯爵夫妻が同時に「「うっ」」と言って顔を両手で覆った。
え、何事?
「本当にクリスは昔から優しいね」
「あの子にそんな気遣いをしてくれるのは貴方だけよ」
いや、そんなことはないでしょう。
ケリエル様の美丈夫ぷりに、ときめいている女性は沢山います。
私だけが特別にお慕いし、心を傾けているわけではありません。
そう思うのだが、どうやら侯爵夫妻は本気でそう思っているらしく、ひとしきり感動している。
ちょっと、居心地悪い。
「じゃあ、持って行ってくれるかな。部屋は分かるかい? 昔のままなんだけど」
気を取り直した侯爵様にケリエル様の部屋の確認をされたのだが、私は眉を顰めてしまう。
そういえば、全然分からない。
侯爵様の口ぶりからすると、私は何度かケリエル様の部屋にも訪れたことがあるのだろう。
だが一向に覚えていない。
「申しわけありません。覚えてません」
シュンとする私に侯爵様は問題ないと頷く。
「ではハバスに案内させよう。ハバス、クリスをケリエルの部屋に案内してくれ」
「かしこまりました。クリス様、どうぞ」
「あれ? ハバスさんが行くのなら私は必要ないのでは?」
ハバスさんはこの屋敷の執事長だから、当然ノック一つでケリエル様の許可がなくても出入りすることが可能だ。
この国では主人が寝ている場合、返事がなければ普通の従者や侍女では入室することはできないとされている。
出入りが許されるのは、主人の専属執事や専属侍女、そして執事長と侍女長だけである。
でもハバスさんはカーターの部屋に行くようだったから、侯爵様は今の私が男だから問題ないと判断して、私に入室の権限を与えて回復薬を頼んだのだと思ったのだが、違うのかな?
コテンと首を傾げる私に、侯爵様はニッコリと微笑んだ。
「ケリエルを起こして飲ませていたら、カーターに飲ませるのが遅くなるだろう。苦しんでいるのに、それは可哀そうだと思わないかい?」
侯爵様の言葉に私は大きく頷く。
「可哀そうです」
「そうだよね。だからケリエルはクリスに任せるよ」
「でしたらハバスさんに案内を頼まなくても、他の侍女さんに案内してもらったら……」
何もハバスさんに案内してもらわなくてもこの屋敷には使用人が沢山いるのだからと言うと、侯爵様が苦笑する。
「ケリエルが嫌がるんだよ。自分の部屋に使用人が近付くのを」
「そうなのですか? どうしてだろう?」
「どうしてだろうね。まぁ、部屋に行けば分かるよ。クリス、頼むね」
「は、はい。色々とおたずねしてしまい申しわけありません。お食事は先に始めてください。行ってまいります」
ペコリと頭を下げて、ハバスさんの後ろについて行く。
食堂を出る際、侯爵様が「なんて良い子なんだ~」と鼻声で仰っているのが聞こえてきたが、ハバスさんが気にするなというように首を振るので、そのまま振り返らずに食堂を後にした。
イブニーズル侯爵家は私を美化し過ぎなんじゃないかと、ちょっと思ってしまった。
久しぶりに来た(らしい?)ケリエル様の部屋の前で、ハバスさんが軽くノックする。
だが、やはり返事はない。
ハバスさんは鍵を開けると、そのまま私を中へといざなう。
かなり広い部屋のようだが、そこかしこに積まれた書物が所狭しと置かれていた。
部屋の半分は本棚で覆いつくされ、そこにはぎっしりと魔法書が並んでいるのが分かる。
ああ、私の呪いを調べてくれていて集まったのだろうな。
その証拠を目の当たりにして改めて、申しわけなさと嬉しさが込み上げる。
私のためにこれほどの苦労をしてくれて本当に申しわけないと思う反面、自分のためにこれほどの努力をしてくれたのかと嬉しくなるのだ。
なんて自分勝手な人間だろうと思うものの、こればかりは仕方がない。
だって愛しい人が自分を想ってしてくれていた行動だ。
嬉しい以外の言葉があるはずがない。
「全く、こんなに飲まれて……。これではカーターも、今頃撃沈していますね。休まずに執事としての仕事をしたのだけは、褒めてあげましょう」
ハバスさんがソファにある机の惨状を目撃して、独り言のように呟いた。
まるで孫の不出来に呆れながらも、その中で頑張っている部分を見つけて喜んでいる好々爺に見える。
私はついほっこりしてにやけてしまったが、足に当たった空瓶にサアーっと血の気が引く。
机に乗りきらなかった空瓶が、床にも散乱しているのだ。
これほどの量をたった二人で飲んでしまったのかと思うと、確かに倒れていない方がおかしいというものだろう。
「片付けは後にしましょう。こちらの扉が寝室となっています。ケリエル様のことはお任せしてもよろしいでしょうか?」
「はい。大丈夫です。任せてください」
そう言って薄っぺらい胸を叩くと、ハバスさんはニッコリと笑って部屋を後にした。
私はドキドキしながら振り返る。
この扉を開けるとケリエル様の寝室になる。
ケリエル様の寝顔が見られるのだと、心なしかワクワクしている自分がいるのを止められない。
私は一応、寝室の扉をノックする。
やはり返事はない。
そっと扉を開けると部屋は真っ暗で、明るさに慣れた目には中の様子がよく分からない。
かろうじて寝台だけは分かるものの、目が慣れるまでに少しだけ時間がかかった。
ようやく窓の場所がハッキリしたので、恐る恐る近付いてカーテンを開けた。
明かりが戻ったことにホッとして振り返ると、そこには私の絵が飾られていた。
一枚、二枚、三枚……………………え、二十枚?
私は暫く、その場でボー然と突っ立ってしまった。
ケリエル様の寝室の壁には、私の絵が壁一面に所狭しと飾られていたのだ。
幼い頃、ケリエル様と一緒に遊んでいる絵は納得できる。
だが、それは一枚だけでそれ以外は私一人の姿絵なのだ。
赤子の時から男の姿の物まである。
そして何故か最近の女の姿まで。
こんな物を描いてもらった覚えはない。だとしたらこれは想像で描かれた物だろうか?
混乱している私の耳に「う~ん」というケリエル様の声が聞こえた。
いきなり明るくなって目を覚ましたのかと、急いで寝台に近寄ると寝ているケリエル様の姿が目に入った。
そしてすぐに、ギョッとなる。
上半身のシャツのボタンが一つも留められていなかったのだ。下はちゃんと穿いているけれど。
いわゆる半裸状態。
掛布も暑かったのか、被ってもいなかった。
はだけた胸元がしっかり見えている。
ケリエル様の逞しい体から目が逸らせない。
魔法騎士なのだから鍛えているとは思っていたが、まさかこれほどとは……。
割れている腹に目をやり、己のプニプニの腹を撫でる。
同じ男の体なのにこうも違うとは……。ちょっと自分が情けなくなる。
剣を学ばなくても体を動かすぐらいはしておくべきだった。
今が男の姿で良かったと照れながらも落ち込む自分に、いかんいかんと叱咤する。
とにかくケリエル様に起きてもらって、回復薬を飲んでもらわないといけない。
私はケリエル様に近付いて、起こすことにした。
「ケリエル様、お体お辛いでしょうが、起きてこれをお飲みください。少しは楽になると思いますから」
ポンポンッと軽く肩を叩くが、ケリエル様は眉間に皺を寄せて起きる気配はない。
「ケリエル様~」
起きて~っと尚もポンポンしていると、何故か子供の頃を思い出した。
確か昔もこんなことがあったような気がする。
その時はどうしたのだろう?
ケリエル様はすぐに起きてくれただろうか?
あの時は……と思い出しそうになって、ガバッと温かいものに包まれた。
「クリス、大好きだよ~」
寝ぼけたケリエル様に抱きしめられたのだと思い出した時には、現実に同じ状態になっていた。




