いつの間に
伯爵家からカーターが、男物の服を持って来てくれていた。
以前より食事の量が増えていたけれど、体型は変わっていないようだ。
湯あみから上がった体は、慣れた手つきで難なく男服を身に着ける。
改めて全身を確認してしまった自分に涙が出る。
やっぱり、完全に男の体に変わっていた。
――詳細は、悲し過ぎて言えない。
脱いだケリエル様の服を畳みながら、先程まで来ていたドレスに思考を飛ばす。
こんな体で一時だけとはいえ、ドレスを身に着けていたなど本当に滑稽だ。
思わず手に持っている服に顔を埋めると、ケリエル様の爽やかな香りがした。
ケリエル様は本当に優しい人だ。
私の世話をしたいだなんて、私が深く考え込まないように冗談を言って気を逸らしてくれた。
ありがたくて少しは元気が出たものの、やはり一人になるとこの状況に絶望を抱く。
私のことばかり気にしてくれているけどケリエル様自身、本当はどんな風に思っているのかな?
婚約者として名乗りを上げたばかりの私が、こんなことになってしまって。
これではもう、婚約者として公に出ることは不可能だ。
話を聞いたエリオットも、今頃何を考えているのだろうか?
やはり伯爵家の跡継ぎを脅かす、邪魔な存在だと怒っているだろうか?
とりあえず、エリオットから逃げるようにケリエル様の優しさに甘えてイブニーズル侯爵家に身を寄せてしまったけれど……この先は、どうしよう?
優しいイブニーズル侯爵家に甘えたまま、ずるずると居座るわけにはいかないだろう。だが今は、まだ何も考えられない。
ケリエル様の洋服を抱きしめたまま、うずくまっていると、脱衣所の扉が叩かれた。
「クリス様、まだですか? のぼせますよ~」
驚く私にカーターの、のんびりとした声が続けられる。
「あまり長く籠られると、ケリエル様が侵入してしまうかもしれませんよ。俺じゃあ、あの方は絶対に止められませんからね。いいんですか~?」
思わずプッと笑ってしまった。
ケリエル様がそんなことするわけないのに、おかしなことを言うカーターだ。
もしかして、カーターは先程のじゃれ合いもケリエル様の冗談だと思ってないのかな?
私とカーターのケリエル様に対する認識が少し違うと感じながらも、私は扉を開ける。
あからさまにホッとしたカーターの表情を見ながら、私はケリエル様の服を差し出した。
「……少し、濡らしてしまったの。洗濯に出しておいてもらえるかしら……じゃなくて、出しておいてくれ」
つい、先程まで話していた女言葉が口に出る。
いけない、いけない。今の私は男。下にはしっかりとついていた。ううう~。
「了解です。……大丈夫ですか? 飯、行けます?」
カーターが服を受け取ると、気遣わし気にたずねてきた。
私はわざと口角を上げて、頷いた。
「もちろん。お待たせしていて申しわけない。急ごうか」
私が食堂に着くと、イブニーズル侯爵夫妻とケリエル様が着席していた。
ケリエル様も湯あみをされたのか、スッキリと爽やかな白いシャツと黒のスラックスに着替えている。
エスコートをしようと立ち上がりかけたケリエル様に、軽く首を振ってそれを止めた。
私は男だから必要ないという意味もあるが、いくら広い部屋だとはいえ扉から席までは流石に一人で行ける。
これはケリエル様の過保護の表れだ。
もう少しでハバスさんからのダメ出しがはいるところだった。
席に座ると満面の笑みの侯爵様が、グラスを持った。
「さあ、乾杯しよう。やっとクリスが、我が屋敷で暮らすことになったこの良き日に」
「長年夢見たことが現実になったのね。嬉しいわ」
頬を染める侯爵夫妻にちょっとだけ、引いた。
喜んでくださっているのは嬉しいが、男の姿の私にどれほどの価値があるのだろう?
ケリエル様の婚約者として、女の姿ならば理解もできるのだが。
どうして皆様は、こんな姿の私を歓迎してくれるのだろう……?
「乾杯」
ケリエル様が、横からグラスを掲げてくる。
私は慌ててグラスを手に持ち、同様にグラスを掲げたのだが、ふとその行為に心が咎めた。
こんなにも喜んでくださっているイブニーズル侯爵家を、私は逃げ場所にしてしまったことに、今更ながら罪悪感を抱いたのだ。
目の前の美味しそうな料理に喉が鳴る。
このような状態になっても私はお腹がすくのかと、自分の割と図太い神経に驚いてしまった。
男の姿にされた子供の時を思い出す。
私はどのように、食事を始めたのだろうか?
数々の魔法使いに呪いは解けないと聞かされ、泣いて暴れて放心した私は食事などとる余裕もなかったはず。
回復薬なども飲んだ覚えがない。
反対に、空腹などで倒れた記憶もないのだ。
……今思えば、割と元気だったのではないか?
あれ? と自分の考えに首を傾げていると、隣のケリエル様が顔を覗き込んできた。
「どうしたの、クリス? 食べたくない?」
「あ、いえ。そういうわけでは……」
「昔みたいに、口移しで食べさせてあげようか?」
「? ! ?」
空耳かな? うん、きっとそうだ。やっぱり私は疲れている。
ケリエル様の口からありえない言葉が聞こえてくるなんて、錯乱しているのかもしれない。
あああ、変な汗が出てきてしまった。
これは淑女でなくても恥ずかしい。
プルプルと私が震えだす横で、驚いた表情の侯爵様と笑顔をひきつらせた侯爵夫人が「待ちなさい、ケリエル。今、貴方はなんて言ったのかしら?」とケリエル様に問うている。
私一人の空耳ではなかったようだ。
周囲を見渡すと、壁際に控えているカーターやハバスさん、給仕の侍女達が笑顔のまま固まっていた。
「食事がとれないのなら、食べさせてあげようかと」
ケリエル様が不思議そうに首を傾げながら、侯爵夫人に返答する。
「それは構わないけど、その方法よ。貴方言ったでしょう。その、昔みたいに口移しでって」
「ええ。子供の頃、同じようにクリスが食べなくなってしまったことがあったので、私が口移しで食べさせたのです」
「そ、それは……弱っているクリスに無理矢理、その、キス、したと、いうことかしら?」
「ハハハ、まさか。最初は、泣き過ぎて呼吸がうまくいかないクリスが心配で、水を飲ませようとしたのです。でも首を振って拒否するので仕方なく、自分の口に水を含んで口から直接注いだのです。そうしたら一瞬だけ動きを止めてくれたので、そのままパンを一欠けら口に挟んで同じように顔を近付けたら食べてくれたのですよ。雛鳥みたいで、可愛かったなぁ」
……………………………………。
なんで、そんな詳細に語られているのでしょうか?
いや、待って。もうそれって、キス、ですよね?
パンはかろうじて唇が振れてなかった可能性もあるかもですけど、水は完全にアウトですよね?
子供の頃の私は吃驚して、なすがままになっていたのではないですか?
「……ケリエル、それは十分キスと言えますよ。貴方、クリスに断りなくその行為を続けていたの?」
あ、侯爵夫人は私と同様の意見のようだ。
他の人は……固まったまま動かない。
「ええ~、違いますよ。あれは食事を食べさせる行為です。断じてキスなどではありません。それにその後は、クリスも自分で食べ始めましたよ。慌てて食べていたから、少しだけお腹に入って、空腹だったのを思い出したのでしょう」
……それはきっと、それ以上その行為を続けられたら困ると、子供心にも必死で食べたのでしょう。
当時の私、よく頑張った。
まぁ、そのお蔭で餓死せずに済んだようなのでお礼は言わないといけないのですけど……なんか、複雑。
大好きなケリエル様とキスしていたなんて、嬉し恥ずかしの案件なんだけど内容が内容だけに、素直に喜べない。
赤くなる顔と裏腹に、冷静になってしまう私の脳内。
ケリエル様は少しだけ拗ねたように口を尖らせ「大体、クリスとのキスはとうの昔に済ませているので、何も問題はないです」と仰った。
は?
「は?」
私の心の声と、侯爵夫人の声が重なった。




