予想外の歓迎
「クリスティーナ、いや、クリスティーン? ああ、もうどっちでもいい。私達のクリス、お帰り。じゃなかった、よく来たね」
「待ってたのよ、可愛いクリス。クリスって呼んでもいいわよね。今までケリエルに邪魔されて言えなかったけど、今ならいいわよね。クリス、クリス。お腹すいてない? それとも先にお風呂に入ってさっぱりする?」
イブニーズル侯爵家に馬車で到着した私は、エスコートしようとしたケリエル様の手をやんわりと断って、玄関に入った。
すると広くて明るいエントランスにズラリと使用人が並ぶ中、中央でイブニーズル侯爵夫妻が今にも抱きついてくる勢いで、目の前に現れたのだ。
思わずのけぞる私。
ケリエル様に侯爵夫妻は喜んでくれると聞いてはいたが、まさかこれほどの歓待を受けるとは思ってもいなかった。
しかも、私達のクリスとか可愛いクリスとか、愛しい我が子のように呼んでくれている。
流石に私のこの十年を知っているだけに、気味悪がられはしないだろうと思ってはいたが、これでは女だろうと男だろうとあまり関係ないように思う。
私自身が来たことに、素直に喜んでくれている。
そんな自然な歓迎ぶりなのだ。
どう対応して良いのか分からずに固まっていると、後ろからケリエル様が私の腰を引き寄せた。
「父上、母上、落ち着かれて。クリスが困っていますよ。まずは着替えが先でしょう。私の服では可哀そうだ。湯あみをしてから着替えて、夕飯にしよう。カーター、案内を頼む」
「はい、ケリエル様。クリス様、お部屋にご案内します」
そう言ってイブニーズル侯爵夫妻の後ろから、私の専属執事のカーターが現れた。
ニカッと笑うカーターのいつものくだけた表情に、気持ちが緩みそうになる。
「……どうして、カーターがここにいるの?」
「ケリエル様に呼ばれました。暫くこちらに滞在するのですよね。伯爵の許可も取ってありますから、心配無用ですよ」
「でも、エリオットもいるし、あちらでの仕事もあるでしょう?」
「俺はクリス様の専属執事ですよ。それにケリエル様が本当の雇い主だってお話ししたでしょう。俺がここにいる理由は十分揃っています」
「カーター……」
私が潤みそうになる瞳を堪えていると、腰を抱き寄せていたケリエル様がグイッと全身を抱きしめた。
「え、え? ケリエル様?」
いくらク私がリスティーナだと知っているとしても、男の体を家族の前で堂々と抱きしめるケリエル様に驚愕する。
「男の時は侍女よりも慣れたカーターがそばにいる方がいいかと思い呼び寄せたけれど、侍女の方が良かったら言ってね。あと、私がいる時は私になんでも頼んでくれ。私もクリスの世話をしてみたい」
「えっと、それは……」
「そうだ。湯あみと着替え、手伝おうか? 男同士なら恥ずかしくもないだろう」
突然、本当に突然、ケリエル様がおかしくなってしまわれた。
は? 私の世話? 着替えと湯あみ?
侯爵家の嫡男が伯爵家の令嬢、いや、令息の面倒を見ると?
しかも着替えと湯あみなどという、とんでもない手伝いをかって出た。
そんなこと頼めるはずがないではないか、ていうか、カーターにもそんなこと手伝ってもらったことなどない。
私は一人でなんでもやってきた。
もちろん、着替えも湯あみもちゃんと自分でできる。
人に頼むなど、男同士でも恥ずかしものは恥ずかしいのだ。
何よりもこんな体、誰にも見られたくない。
しかもそれがケリエル様になんて……絶対の絶対に嫌だ!
私が顔面蒼白にしていると、カーターが大きな溜息を吐きながら「無茶苦茶言わないであげてくださいよ。可哀そうに。顔色失くしてますよ」と言った。
後ろではイブニーズル侯爵が「ケリエル、なんてことを提案しているんだ」と怒り出したので少しだけホッとしていると「寝室は一緒にしてもいいが、それはやめてあげなさい」と仰った。
ん?
「いくら男同士とはいえ、明るい場所は恥ずかしいものじゃないかしら。せめてもう少し時間を空けて、慣れてからにしなさい」
――侯爵夫妻まで、おかしくなられた。
「怖いっすねぇ、侯爵家」
カーターの呆れた声を聞きながら、私は涙を流す一歩手前である。
プルプル、カタカタと震えだす私に気が付いたのは侯爵家の老執事、ハバスさん。
「失礼ながら私がお見受けしたところ、クリス様は大層お疲れのご様子。本日は心身ともに大変だったのではありませんか? 少しだけお一人にしてあげてはいかがでしょう?」
私は勢いよくハバスさんに振り返る。
良かった。使用人さんまでおかしくなってなかった。
目じりの皺を深くさせ、笑みを浮かべるハバスさんには私が少女の頃、色々とお世話になっていた。
ケリエル様が伯爵家に来てくれていたように、私もまた侯爵家に連れて来てもらっていた。
その時、何かと気を遣ってくれていたのがハバスさんだ。
ケリエル様が私を抱っこしたまま庭を散歩していると、一緒に手を繋いで歩かれたらどうですかと言ってくれたり、食事の際、お肉を切り分けてくれるケリエル様にマナーの練習ですよと言って自分で切り分けるように促してくれたりと、私を際限なく甘やかしてくれるケリエル様に注意をしてくれたのがハバスさんだ。
その時はケリエル様と二人で小煩いハバスさんに不貞腐れたりもしたのだが、今思えばハバスさんがいなかったら、私はケリエル様の優しさに甘えるだけの何もできない子供になっていたかもしれない。
伯爵家ではもちろん、ケリエル様の横に並びたくて大人びた所作もしていたのだが、ケリエル様がいると途端に彼の優しさに甘えてしまうのだ。
ハバスさんはそれを見抜いていて、できないわけではないでしょうとケリエル様がいても自分でするように教育してくれた。
周囲からどう見られるか、考えてくれていたのだろう。
それに何より、手を繋いで一緒に歩く楽しさやケリエル様の前で所作を褒められる嬉しさを知ったのも、ハバスさんのお蔭だ。
残念ながら、この十年は男の姿で引きこもっていたため、ハバスさんにも会えなかったのだが、久しぶりに会えた彼は年老いてはいるものの、相変わらず気を遣ってくれる優しい方だった。
「……一人の方がいいのかな、クリス?」
ハバスさんの忠告に、ケリエル様が心配そうに顔を近付ける。
その時初めて私は、ああ、そうか。と気が付いた。
ケリエル様は、男になってしまった私が落ち込んでいると心配してくれているのだ。
ケリエル様らしくない冗談を言うのも、気落ちしてしまっている私が自棄にならないようにと精一杯気を反らしてくれているのだろう。
多分、イブニーズル侯爵夫妻も同じ。
ただそれが行き過ぎたように見えてしまったから、ハバスさんやカーターが少し窘めてくれているのだが、ここにいる方は全員が私を心配してくれている。
苦笑する私の目からは、とうとう涙がこぼれてしまった。
ああ、私はこんなにも優しい方達に囲まれているんだ。
涙を拭って、優しく頭を撫でてくれるケリエル様に、私は大丈夫ですと笑う。
「湯あみと着替えは、用意してくだされば自分でできます。夕食は、ご一緒していただけると嬉しいです」
ケリエル様の腕から少しだけ逃れて、上目遣いで見る。
途端に顔を赤くするケリエル様。
喜んでくれているのかな?
続いて侯爵夫妻やハバスさんはじめ、使用人の皆さんを見渡すと何故か皆様、一斉に顔を赤くされた。
ただ一人、カーターだけが「うわぁ、どう転んでも魔性だよなぁ」と何やら呟いた。
こうして私はイブニーズル侯爵家で、暫くご厄介になることになったのだった。




