男、女、関係ない
――目の前で何がおきたのか、理解できなかった。
ニコニコと笑う私の可愛いクリスが、無表情に戻るなんて。
私は愕然としながらも、表面上は冷静を保つ。
本日、兼ねてより誘いを受けていた王太子殿下のお茶会にクリスを連れて行ったまでは良かった。
その場にペルが来たのも、問題ない。
でもまさか、勝手知ったる研究所でこんなことになるなんて……。
ボロボロと涙を流す女性職員に「早く行け」とこの場を去ることを促す。
でないと、この職員に攻撃魔法をかけたくなるからだ。
流石に悪意のない職員、しかも女性にそんなことをしては、イブニーズル侯爵家の名前に傷がつく。
なけなしの理性で怒りを抑え込んでいるというのに、ペルは私に非難の目を向ける。
同じ職場の仲間を無能と言ったのが、気にくわなかったのかもしれない。
だが、無能だ。
どういうものかも分からない術式を、修復する力は正直言って凄いものだと思う。
今年入った新人だと言っていたから、私の五歳は下だろう。
それであれほど完璧な修復をこなしたのだから、その能力だけをいうならペルより上かも知れない。
しかし、修復する術式を理解していないことは大問題だ。
なんでもかんでも修復すればいいというものではない。
私のクリスのように、最悪な呪いでも修復してしまっては迷惑以外の何ものでもないからな。
多分彼女はペルと私、天才と呼ばれる二人が揃っている場で、いいところを見せたかったのだろう。
あわよくば、どちらかの一人にでも気に入られればと、自分の出世を夢見たかもしれない。
そんな欲まみれの女が、私のクリスから表情を奪うなんて許せなかった。
ペルは暫く私を睨みつけていたが、ハッと何かに気が付いたように女性職員がノロノロと出て行った後を追いかけて行く。
そんなに自分の部下が大事か、とペルにまで怒鳴りつけたくなる。
二人きりになった部屋で、私は改めてクリスを見た。
暫くは私の腕の中で大人しくしていたクリスだったが、今は私から距離を取るように窓辺に近付き、外を眺めている。いや、窓ガラスに映った自分を見ているのだ。
顔形はそのままなのだが、少し背が高くなったのだろうか。小さくなった細身のヒールを脱いだ足元が見えている。
肩幅はそこまで変わりないと思うのだが、確かに胸元のふくらみが無くなっている。
胸元に飾りのないドレスでは、それがハッキリ分かってしまう。
着替えたくなるクリスの気持ちも分からなくはない。
女性の姿に一時でも戻ってしまった今は、以前より男の姿が辛いのだろう。
だが、と私は男のクリスを凝視する。
やはり、クリスは綺麗だ。
男になっても、その美しさは微塵も損なわれていない。
どこからどう見ても、美しい。
有りか無しかでいえば、大有りの有りだ。
男でも全然いける!
改めて自分の気持ちを理解した私はクリスに近付くと、グッと彼女を抱きしめた。
「え? ケリエル様? え?」
驚くクリスに「大丈夫、全然有りだ」とつい本音が口から洩れてしまった。
「え? 有りって、何がです? ていうか、離してください。今の私は婚約者ではなく、ただの男なんですよ。いくら慰めるためとはいえ、男を抱きしめるなんて変です。誰か来たら困るのはケリエル様です」
私の不本意な本音に首を傾げながらも、手を突っ張って離れようとするクリス。
弱いなぁ。これで男だなんて言われても全然信じられないし、男であってもこれでは一人で生きていくなんて絶対に無理だ。
ていうか、周りが一人になどしない。
男女問わずに狙われるのが、目に見えている。
彼女は女だろうと男だろうと、美しい。
例え表情を失くしたとしても、それはそれで魅力的なのだ。
その内、力で離すことはできないと悟ったクリスは、ペチペチと私の胸を叩き始めた。
しかし、非力な上に本気で私を叩くわけにはいかないと気を遣うクリスの殴打は、痛くも痒くもない。
無駄な抵抗に、ああ可愛いなぁと愛しさを募らせる私は、ついクリスの頭にグリグリと自分の頬を擦り付けた。
私の奇異な行動に驚き、ビクッと体を揺らすクリス。
おっと、ここで怖がらせては今までの良い人アピールが無駄になる。
流石にこのような接触を、女性の時のクリスにしたら変態扱いされるかもと我慢していたが、男の姿になって少しぐらいいいかとタガが外れてしまったのかもしれない。
私は抱きしめていた腕から力を抜くと、クリスをゆっくり離した。
彼女は無表情のままではあるが、その瞳には少しだけ驚きと羞恥心が見えた。
男の姿に戻ってしまったとはいえ、以前の氷の貴公子と呼ばれていた時とは明らかに違う。
今は、少しでも女に戻っていた時間が彼女に表情を残している。
私はいつもと変わらない笑顔で、彼女に話しかけた。
「服を着替えたら、家に帰ろう。エリオットが気になるなら私の所でもいいよ。すぐにはクリスティーンに戻らなくてもいいからね。以前の術式を修復したとはいえ、新しい呪いの効力も、どう出るか分からない。暫くは様子を見た方がいいかもしれないね」
私の言葉に、クリスは無表情ながらも少し考えこんでからコクリと頷く。
「……そうですよね。申しわけありません。お言葉に甘えて、ケリエル様のお屋敷に連れて行ってもらってもいいですか? 流石に、エリオットに合わせる顔がありません」
私は心の中で狂喜乱舞した。
え、え、マジで?
本当に私の屋敷に連れて帰ってもいいのかな?
以前に男になったら家を出るとかなんとか、姿を消すようなことを口にしたクリスの予防策にと、どさくさに紛れて言ってみたつもりだったのだが、まさか頷くとは思わなかった。
私は興奮したままクリスを転移魔法で屋敷まで連れて行こうとして、慌ててやめた。
転移魔法を使用するには色々と不具合があるのだ。
私は冷静に、クリスへと声をかけた。
「では、廊下は人払いしておこう。誰にも会わずに馬車に乗り込むことができるから、何も心配しなくていいよ」
「いえ、そこまでしていただかなくても大丈夫です」
クリスは遠慮して断ってくる。
だが現在、クリスティーンは留学中である。城の中には彼を覚えている者もいるかもしれない。私の服はクリスティーンにはぶかぶかだ。そんな服を着て、いないはずの人間が城の廊下を歩いていてはいけないだろうと言うと、渋々ながらに納得した。
クリスは姿勢を正したかと思うと、ペコリと頭を下げた。
「男の姿の私など、ご迷惑の何ものでもないでしょうが、よろしくお願いいたします。できるだけお邪魔にならないようにいたしますので」
男になっただけで、自分を迷惑だとか邪魔だとか思うクリスに悔しくなる。
彼女の中で、私はそれほど信用できない男なのだろうか?
「全くもって迷惑でも邪魔でもない。父上も母上も喜ぶよ。私達一家にとって、君はどんな姿になろうと大切な可愛いクリスだ。気を遣う必要はないからね」
信じてもらいたくて吐いた言葉だが、クリスは無表情なのに悲しみのこもった眼を向けてくる。
全く信じられていないのだと、その瞳で分かってしまう。
これは、もしかしたらいい機会なのかもしれない。
私がいくらクリスを好きだと伝えても、彼女は何故か家族愛だと信じ込んでいる。
結婚の言葉を口にした時でさえ、はぐらかされてしまうのだ。
それを覆すためにも家に連れ帰って、嫌というほど愛を注いでみるのもいいかもしれない。
一つ屋根の下、人目など気にせず押し続ければ少しは私が本気だと理解してくれるだろう。
女の姿では、流石に度を越えた接触は嫌がられるかもしれないが、男の姿ならば少しは平気かもしれない。
私は決心した。
この機会に、私がクリスを恋愛対象として見ていることを認めさせる。
その上で、クリスがどのような姿であろうと結婚を承諾させるのだ。
産まれた時からそばにいて、クリスの隣には必ず私がいるということを認識させた。
そして男の姿だった十年で、私がいなくては何も進まないことを理解させた。
最後の仕上げは今だ。
私意外とは結婚できないと、その体に覚えさせる。
あくまでクリスは男の姿だし、節度は守るつもりだ。
だが、ギリギリのラインまで攻めてみる。
男だろうが女だろうが何も関係ないのだということを、身をもって教えるのだ。
私がニヤリと笑うと、クリスはビクッと体を震わせた。
突然、笑った私に驚いたのだろう。
無表情だったはずの顔に、不安が募る。
ほら、これだけでも彼女の心に変化が現れている。
私は、ほうら、怖くないよ~。というように笑顔を向けるが、ますます怯えたように後退するクリス。
意味が分からないながらも、危機感が働いているらしい。
素直にこの腕の中に落ちてくれたら、何も怖くなんてないのにね。




