崩壊の始まり
都内某大学のキャンパス内。
舞い散る紅葉の下で、一組の男女が向き合っていた。
「じゃあそういうことだから、元気でねー。今までありがとう」
「あぁ、そっちも元気でな」
軽いノリと会話で今、一組の恋人の関係に終わりが告げられた。
女性の方は別れの言葉を最後に、軽やかな足取りで校舎の方へ去っていく。一方、男性の方はそれとは対照的にその場から一歩たりとも動こうとしなかった。
すると、二人のやり取りを陰から眺めていた第三者が男に声をかける。
「あらら、振られちゃった?」
「あぁ、見ての通りだ」
「付き合って半年ぐらいだっけ? まあ、大学生の恋愛なんてそんなもんよ。あんま落ち込むなって」
「別に落ち込んでいるわけではない」
「あはは、お前はそういうよな。本当なら朝まで飲み明かしたいけどさ……わるい! 俺このあと予定入れちゃってさ」
「別に構わないさ。楽しんで来い」
「ごめん、今度奢るから!」
謝罪の言葉を最後に、第三者だった男は女性と同じ方角へ走り出す。その光景を、取り残された男はただ冷めた目で眺めるだけだった。
場所を移し、男はベンチに腰をかける。一刻程度の時が流れ、校舎内から一組の男女が姿を現す。楽し気に談笑するその姿は、まさしく恋人そのものであり、互いのこと以外まるで眼中にないようにふるまっていた。
そして、そんな男女二人組を男はベンチに座ったまま見送っていた。
片や一刻前まで恋人だった女性、片や自身の親友を自称する男性。聞かずとも二人の会話は手に取るようにわかる。
『オレが聞くのもなんだけどさ、いいの? 別れちゃって』
『いいのいいの。もともとマンネリしてたし、最初は顔がいいから付き合ってみたんだけど、いっつも仏頂面だし、何考えてんのかわかんないし、ぶっちゃけキモチわるかったのよね』
『っぷ、確かに。何が「別に落ち込んでいるわけではない」だ。かっこつけちゃって、本当は泣きたくてたまらないだろうに』
『そっちこそ良かったの? 親友なんでしょ?』
『誰があんなのと親友になるかよ。オレは最初からチヅル目当てだっつーの』
『なにそれ、ウケるんだけど』
別に聞こえたわけではない。ただの被害妄想と言われればそれまでだが、恐らくこのような会話はいずれ交わされることになる。
なぜなら、このような結末になることは初めから決まっていたのだ。
学年でも人気のある女子からの告白。程なくして分かりやすく態度を変えてすり寄ってくる男子。気づけば彼女とは疎遠になり、代わりに男の方がやたらと絡んでくるようになった。
そして、現在に至る。しかし、それらはすべて男の想定内である。そして、これから起こることもすべて男の想定のうちを出ない。
男、亘桃弥はひどく猜疑心の強い人物である。それゆえ、あらゆるものを疑い、脳内で最悪想定し、ありとあらゆるシミュレーションを行う。そしてほとんどの場合、何かしらのケースでその予想は的中する。
だから、これからあの二人に起こり得る結末も、桃弥には見えていた。
しかしーー
(はぁ、リソースの無駄だな……明日までの課題、どこでやろうか)
一瞬にして二人のことを彼方の先へ忘却し、明日のことへと思考をシフトさせる。無意識下で大量のシミュレーションを行う桃弥にとって、こういった切り替えは非常に大切なことである。
◆
桃弥が彼女と別れた翌日。土曜日である。
なんの前触れもなく、それはやってきた。
普段なら自然と目覚めるまで惰眠を貪る桃弥だが、その日は街の喧騒によって起こされることとなる。
一目時計に目をやると、短針は7と8の間を指していた。
しかしーー
「ぎゃああ、いや、いやあああああぁ」
「う、うわああ、誰か、誰かあ、早く警察に!」
「え? なにこれ、特撮の撮影?」
「な!? く、くるな、くるなあああ!」
休日の朝8時前だというのに、外はやたら騒がしく、悲鳴のようなものが飛び交っていた。
それを聞きつけた桃弥は、すぐさまベッドから体を起こし、ベランダへと向かう。
そこで目にした光景はーー人々に襲い掛かる無数の鬼の姿である。
やせ細った四肢に、禿げた頭部、灰色の肌。薄汚くも鋭く研ぎ澄まされた爪と牙を生えた何かが、街の人々に襲い掛かる。
「なんだ、これは」
桃弥の思考は、一瞬停止する。
しかしーー
ドンドンドンドンドンドンドン!
その停止した思考を呼び戻すように、玄関の扉が強く叩かれる。
今を危機的状況と判断した桃弥は、すぐさま脳を回転させる。
ーー乱暴で粗雑な叩き方
ーーこちらに助けを求める他の住人か?
ーーいや、それなら声を上げて呼びかけるはず
ーー信じがたいが、今街にあふれかえっている化け物共の線が濃厚
ーーだが、うちのアパートはオートロック
ーーどうやって侵入した?
ーーオートロックを破るだけの力はない。あるならとっくに部屋に侵入してきたはず
ーー他の住人の外出を見計らって侵入したか
ーーいや、それは今どうでもいい
ーーいずれにせよ、あの生物は危険だ
ーーであれば、最優先は脅威の排除
僅か数秒で考えをまとめ、動き出す。その間もずっと、扉は叩かれ続けている。
(相手の戦力分析。扉を破るほどの力はなし。ただし、一定の知性を有する可能性大。体格は目測で150センチ程度。数は不明)
キッチンにある包丁を二本、さらにはトレーニング用のダンベルを持って、桃弥は玄関へ向かう。
ドアチェーンをかけ、素早くドアロックを解除する。
次の瞬間、扉は勢いよく開かれる。しかし、ドアチェーンによってそれの侵入は防がれる。
『ガ、ガ、グアアアァギ、ギギギ』
「っう!」
桃弥を前に汚い涎を垂らしながら、ドアの隙間から手を伸ばすそれは、まさしく鬼そのものだった。
間近でそれを見た桃弥、思わず足が竦む。
平和な現代では、こうもむき出しの殺意を向けられることがないだろう。それゆえ、いきなり異形の生物と殺し合えと言われても、大抵の人間は何もできず震えるほかない。
それは桃弥とて同じ。しかし彼の体は、本能の思考よりも早く、脅威の排除へと動き出していた。
右手に持ち替えた包丁を、鬼の伸ばされた腕に突き立てる。
『グ、グギャアアア!』
「っく! 騒ぐな、クソが。他のやつが寄ってくるだろうが」
鬼は一瞬怯んで腕をドアの隙間から引き戻す。
ここでロックをかけ、助けが来るまで籠城する。普通の人間ならそうしていただろうが、生憎桃弥はその逆。ドアチェーンを外し、逆にドアを完全に開く。
そして、右手に持つ10kgを超えるダンベルを鬼の脳天に向けて振り下ろす。
『ギ、ギガ!?』
あとは、一本残された包丁で鬼が絶命するまでめった刺しにするだけ。
グサッ、グサッ、グサッ
急所を狙うだけの精神力など残っていない桃弥は、ただひたすら刃を振り下ろした。
『ク、ガァァ』
十数回のめった刺しによって、悪鬼は情けない吐息をもらしながら絶命する。
「はあ、はあ、はあ、はあ、はあ」
一気に緊張が解けた桃弥は、地面に腰を下ろし、肩で息をしていた。
初めての殺し合い。体以上に、精神への負荷が大きい。未だに鳴りやまない心臓と、高速に流れる血液によって火照る体。
しかし、初めてにしては上出来ではないだろうか。そう、桃弥は思っていた。
「ん? なんだ、これは?」
一瞬目を離したすきに、鬼の姿は灰となって溶け、代わりにビー玉サイズ青い玉が転がっていた。
警戒しながらも、桃弥はそれを拾いあげる。
「っ!!??」
途端、桃弥の意識が吹き飛ばされた。
皆さん初めまして。鴉真似アマネです。
『涅槃寂静≪ねはんじゃくじょう≫の戦い』をお読みいただきありがとうございます。
御覧の通り、ローファンタジーと仏教を軸となった作品になります。少しでも楽しんでいただけたら幸いです。
本日はプロローグ全5話を一気に投稿する予定です。次の投稿は14時頃になります。
ブックマークをしてお待ちいただけると幸いです。