一人に慣れてるから
「うし、テツ。先に出るぞ」
「日に日に家を出るのが早くなってない? いってらっしゃい兄貴」
哲也に挨拶をした銀次が気合をいれて自転車を漕ぐ、愛華の嫌がらせを先回りして対策しようと色々考えていたのだ。ソラと話すことはいろいろある。
「……うん、いつも通りだぜ」
というか、話題を用意していないと昨日のキスを思い出してまともに喋れそうにないというのが本音の銀次であった。意識をすると、近づいた時に見たソラの瞳の揺らめきや匂い、感触を思い出してまともに話せそうになかった。男として、ソラの彼氏として浮かれてはならぬと己を戒める銀次なのであった。
快調に自転車をとばし、いつもの商店街前に来たがソラの姿は見えない。
「珍しいな。まぁ、俺が早くに来過ぎたか」
スタンドを立てて、運動と緊張の両方で鼓動の早い心臓を落ち着かせてることにした。
夏の空は青く、高い。朝の風は涼しく心地よい。だから銀次は早起きが好きなのだ。しかし、いつもの時間を過ぎてもソラは現れない。
ピロン。と音がしてスマフォが鳴る。いつもなら、学校に行く前にマナーモードにしているはずだが焦っていて忘れたらしい。起動させてみるとメッセージが来ていた。
『冷房つけたまま寝落ちしたら、風邪ひきました。今日はお休みするね。うつると悪いから、看病とかはいいからね。ボッチマスターなので心配無用です』
「……何やってんだ」
IINEを送った後、ソラは力尽きるように枕につっぷした。
「うぅ、折角お弁当の食材用意してたのに~、ボクのあほ~」
ヂーンと鼻を噛んでティッシュを捨ててベッドに入る。まさか、絵を描くのが楽しくて冷房をかけたまま寝落ちしてしまうとは……普段ならベッドに戻るくらいの理性はあるのだが銀次のことでテンションが上がってエネルギー切れに気づけなかった。
「ざびじい……まぁ、慣れてるけどさ」
多少体調が崩れても愛華の雑用をこなしてきたソラである。一人暮らし歴も中学生からなので、体調が悪くなることもそれなりに経験している。絵を描く時など集中する際にも良く使う冷えピタを額に張って、二階のキッチンへ向かう、頭痛薬を飲んで、冷蔵庫から適当に野菜を切ってヘル〇オに突っ込む。
「文明の利器……炊飯器はお粥モードで……寝よ」
食欲が無くても食べないと辛くなることをソラは身をもって知っていた。動けるうちに準備をしてしまえば、休んでいる間に蒸し野菜とお粥の完成である。風邪っぴきの時はこれに限るとソラは頷いて、階段を登ってベッドに倒れ込むとすぐに眠りについた。
……一人の家で風邪を引いた時、昔は母が看病してくれた。父も仕事を速めて家に帰って、ソラを心配して頭を撫でてくれていたのだ。そのことをはっきりと覚えている。
母が家を出て、父も帰ってこなくなり、唯一の繋がりがあった愛華には風邪をひいたと伝えても返って来るのは雑務が遅れると言うお叱りと絶対にうつすなという命令のみ。記憶の温かさを思い出せば出すほどに、孤独で心が冷え込んでくる。だから……ボクは……誰かに「助けて」を言わなくなったんだ。
ピンポーン、ピンポーン。
チャイムが鳴っている。
「頭……まだ、痛い」
ほとんど眠りながら反射で起き上がり、おぼつかない足取りで一回に降りて鍵を開ける。
「よぉ、大丈夫か?」
「……銀次?」
意識の焦点が合って来る。目の前にいるのは自分の大好きな人だった。
銀次は相当焦っていたのか、汗をかいており息も荒い。
「電話にもでないから心配したぜ。わざわざ開けてもらって悪いな」
「…………髪、服っ、メイクっ!」
一瞬で意識がはっきりしたソラだったが気になったのは自分の格好だった。ボサボサの髪に寝落ちした状態の顔。銀次には見せれないと思ったが当の銀次は優しく頭に手を当て落ち着くようにゆっくりとした調子で喋りかける。
「今はそんなことよりも、休んだ方がいいだろ。ほれ、病人はベッドにいったいった」
ソラが一階の時計を確認すると時刻は午後1時である。
「銀次、学校は?」
「あん? 早退した。普段真面目にやってんだから、これくらいはいいだろ」
「だ、ダメだよ。ボクは慣れてるからだいじょ……」
銀次がソラを抱きしめる。
「俺が大丈夫じゃねぇよ。それに『慣れてる』と『大丈夫』はイコールじゃあないだろ。気にすんな、こっちの我がままだ。あと、斎藤とかクラスの男子とかもこの世の終わりみたいな感じだったぞ。ありゃ俺が早退して見てくるって言わなかったら千羽鶴折ってたな」
「そんなわけないじゃん……」
銀次の冗談で気が緩んだのか、ふらりとソラが体制を崩す。銀次が支えて、そのまま額に手を当てる。
「すまねぇ。ちょっとぶり返しちまったかもな。ほら上がるぞ、歩けるか」
「……うん」
促されるままに、階段を登り二階に行くソラ。
「部屋、入ってもいいか?」
「銀次ならいいよ……と、特別バーゲンセール」
「安売りなのか?」
照れ隠しをしているソラを支えながらリビングを通ってさらに階段を登る。銀次が三階に来るのは初めてだったが、三つの部屋とトイレがあるようだ。ソラが一室の部屋を開ける。デスクトップのパソコンに液タブ。積み上げられた絵画に関する本、そして脱ぎ散らかした服が転がっている。普段ならば、気にするだろうが今はそんな余裕はない。ベッドに横になったソラに銀次は布団をかける。
「ドリンク買って来たから小まめに飲んどけ。飯は食えるか?」
「うん、オーブンに蒸し野菜とお粥も準備してる」
「そりゃいいな。持ってくるから、ちょっと待ってろ」
銀次が部屋を出て行った後に、ソラは天井を見ながら鼻がツーンと痺れて視界が滲んでいた。
パニックが過ぎ去った後に残った胸の温かさが、あまりに懐かしくて泣いてしまう。
「そっか、ボク、大丈夫じゃなかったんだ……」
その後、温めた蒸し野菜とお粥を持って部屋に入った銀次は、泣いているソラを見てわたわたしながら駆け寄るのだった。
次回の更新は明日です。
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