ここはボクの場所
予鈴が鳴り、両手で鞄を持って機嫌よく歩くソラと、少し疲れた様子の銀次が教室へ入る。教室の注目が二人に注がれるが、気にせずに目線で挨拶をしてそれぞれの席へと座った。
「髙城……さん」
姿勢よく椅子に座るソラに、澪が目線を下げながら近づく。
「……おはよう葉月さん」
一拍を置いてソラは笑顔で返す。席が斜め後ろある為確認できないが、もし銀次がその笑顔のような表情を見たらどう感じるのだろうか。
その張り付けたような笑みの下にどんな感情があるのか、目の前に立つ澪にはわからない。
「あの……生徒会のことで……愛華様から……」
「そろそろ、授業だよ。話す時間はないんじゃないかな?」
取り付く島もない明確な拒絶である。普段は緊張したり、上手く喋れなかったりするソラがそんな態度をとったことに銀次も驚いた。困惑した澪はソラが嫌がらせをしたことに怒っていると考え、身をすくませた。取り巻きの女子達も普段とは違う澪に対するソラの態度に言葉を失う。
澪の後ろにいる愛華は振り返ることもせず、舌打ちをして髪をかき上げていた。
「効果的だったよ」
背を伸ばし、腹から出した声は凛と響く。
「え?」
笑みのような表情の下にあったものは、どこまでも真剣な勝負する女性の貌だった。ヘーゼルアイは窓から差し込む朝日を受けて輝き、幼さを残した相貌は内面との差異を描く。ソラを見る他の生徒達も見惚れていた。それまでの彼女が思い出せないほどに、印象的に変わった彼女の感情の発露。可愛らしい少女が魅せる生々しい女のとしての意地は、例え背景を知らなかったとしても見る人間の心を強く打つ。
「ボクの居場所を奪うんだっけ? とっても効果的だったよ。凄く、本当に、凄く、怖かった」
「いや、あれは……そういうつもりじゃなくて」
「ありがとう」
澪は己の勘違いに気づいた。ソラは嫌がらせに怒っていたわけではなかった。
「おかげで、ボクにとって絶対に譲れないことに気づけたんだ」
チャイムが鳴り、すぐに教師が入って来るだろう。立っていた生徒は魔法が解けたように席に戻る。澪も逃げるように背を向け、そしてチャイムの音の壁の向こうから答えを聞いた。
「銀次を叩いたことは忘れないから。そして、冗談でも演技でも……銀次は絶対に渡さない」
ソラは形だけでも銀次に接近した自分に嫉妬していたのだ。それも、燃えるように苛烈な熱量を持って敵意をむき出しにしていた。
教師が扉を開け、ホームルームが始まる。一限目は担任の受け持ちの授業だったために隙間なく授業が始まる。そのまま、授業の間の短い休み時間では話しかけることもできず、昼休みになり澪が再び立ち上がるとソラは大きなカバンを持って、銀次の手を引いて教室を出て行った。
残された澪は、申し訳なさそうに愛華に向き直る。
「申し訳ありません愛華様。髙城に生徒会の仕事のお願いをするのは……」
「お願いなんかしなくていいわ。澪、貴女がすればいいのよ。他にも何人か手伝ってくれるらしいから。あの子だけでしていたんですもの、三人もいれば手は足りるでしょう? それと、予定の調整はもうあなたに頼まないわ。今朝のミスは気にしなくていいわよ。他の子に頼むから」
ニコリと微笑む愛華に澪は曖昧に頷く。風を受ける愛華の銀髪には……それまではあり得なかった枝毛がわずかにできていた。
一方、いつも漫研跡地の部屋に入ってお重を広げたソラは両手を広げて胸を張っていた。
「今日は夏野菜特集です!」
「蒸し野菜か? 旨そうだな」
「野菜たっぷり棒棒鶏がメインだよ。冷やして美味しいし、タレも銀次が好きなピリ辛に仕上げているからね。冷製スープもあるよ」
いつもと変わらないソラの様子に銀次は内心安堵する。教室のことといい、昨日からソラが情緒不安定で、その原因が自分にあると何となく感じている。だからといってどうすればよいのか、これまで女子と親しい仲になったことのない銀次は悩んでいた。
無論、ソラの好意はわかっている。そのことに真剣に向き合うつもりではあるが、具体的にどうすれば良いのか、これまでの距離感が近すぎたせいで逆に何をすれば正解なのかわからなくなっていたのだ。
しばらく悩んだ銀次は、このままではせっかくの飯が楽しめないと箸をおいて、スープを注いでいるソラに問いかけることにした。
「ソラ、飯の前に聞いていいか?」
「ん? 何?」
スープを銀次の前に置き、食べさせ合いっこしようと、席を調整して隣に座ったソラが改めて銀次を見上げる。
「いや、美術室のことは昨日謝ったが、どうにもそれだけだとな。なんか俺にできることはないか?」
「……もしかして、教室で葉月さんとの会話聞こえてた?」
気まずそうにソラが視線を横にずらす。
「まぁ、聞いてたけどよ。最後に葉月になんか言ってた部分はチャイムで聞こえなかったぞ。それでもソラが昨日のことを気にしてたのはわかる。だけど、どうすればいいか思い浮かばなくてな」
「……それならいいけどさ。うーん、しょ、正直。ボク等ってまだ友達だしね。できることも限られているっていうかさ」
『まだ』の部分を強調してソラが頭を銀次の肩に乗せる。
「……友達だとできないことか?」
「……正直わかんないよ。自慢じゃないけど、ボクって友達いた記憶がスズくらいしかないし。距離感とか苦手だし……」
「そんなもんか」
「まぁ、銀次はボクを幸せにしてくれればそれでいいのだ」
「それは約束するけどよ」
銀次の返答を心からの笑顔で返し、ソラはお重から棒棒鶏を箸で摘まむ。
「ホラ、キュウリを挟んだ棒棒鶏をどうぞ、あーん」
「あーん……相変わらず俺の好きな味をついてくるな」
淡泊な味わいの鶏肉にきゅうりの触感とピリ辛のタレがマッチしており、いくらでも食べれそうだ。
「ふふーん。でしょ?」
「というか、これは自分でがっつきたいな」
「ムム、じゃあボクにも食べさせてくれるなら、お箸を渡します」
「ほれ」
銀次が箸を貰いトマトと鶏肉をソラに食べさせると。小さな口でムグムグと咀嚼する。
「うん、これくらいのホロホロ加減がいいね。おにぎりもあるよ」
「気が利くな」
それなりに量があったが、すぐに弁当はなくなった。そして残った時間でソラは銀次の膝に横座りをして、胸に頭を乗せる。これが、とりあえずソラがして欲しいことだった。触れ合う体温は熱いくらいだが、窓から風が吹きこんで室内は心地よい。
「こんなんでいいのか」
「これでいいんだよ。今は『まだ』ね」
目を閉じて銀次の心音を聞きながら、ソラはこの場所を誰にも渡さないことを心の中で誓うのだった。
次回は明後日更新です。
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