銀次が悪い。
しばらく泣いた後、ソラはまだうつむいたまま。ポツリと喋り始めた。
「……あのさ」
「おう、なんだ?」
背を合わせたまま、銀次は答える。
「ボクを幸せにしてくれるの?」
震えた声は、まだどこか何かを怖がっていて。
「あぁ」
「無理だよ」
「無理じゃねぇ。ただし一つだけ障害がある」
「一つじゃないよ。一杯だよ」
「いいや、一つだ。ソラ、涙は止まったか?」
「……うん」
銀次は椅子を離して振り、ソラの肩を掴んで優しく自分の方を向かせた。
「たった一つの壁はテメェが勇気を持てるかだ。それさえあるならば、本当は俺の助けだっていらないんだ」
こいつ本当に馬鹿なんじゃないかとソラは思った。自嘲気味に笑って逃げ出そうとも思った。
だけど、この馬鹿は真剣そのものの表情でそんな物語みたいなことを大真面目に言ってしまったのだ。何年も嘲笑にさらされた自分だからわかる。冗談や人を貶める人はこんなことをボクみたいな奴に言う必要すらない。長い前髪と黒縁越しの銀次は真っすぐに自分を見ている。
「……本気?」
震えた声は今度は恐怖からくるものではない。
「もちろんだ。足りない分は俺がかしてやる」
あぁ、この人本当に馬鹿なのだ。
「うん。かして、ボク一人じゃあ足りないんだ。銀次の勇気をかしてよ」
人を頼るのはいつ以来か、思ったよりも簡単だったのかとソラは思う。相手を信じられるのなら本当に容易いことだった。
「おうっ、トイチな」
「あは……返せないよ。目一杯かりるんだから」
あぁ、また泣いてしまう。けれど、これはうれし泣きだから。銀次が悪いからセーフだ。
眦を袖で拭い、ソラは顔を挙げた。
「そうと決まれば、作戦会議だ。っと、そろそろ下校時間を越えちまう。見回りが来る前に連絡先を交換しようぜ」
差し出された友達登録のコードを見ながら、慣れない手つきでソラは自分のスマフォを取り出す。
「えと、読み込みってどこでするんだっけ?」
「あん? どこだっけ。これだこれだ」
画面を覗き込んだ銀次の肩が触れて、ソラは顔を赤く染める。
「ぁ……ぅん。ありがと」
「俺もどっちかてえと苦手だけどな。ソラ、今日は時間あるか? 門限があるとか?」
「えと、ないよ。そもそも、お父さんが海外にいるからボク一人暮らしみたいなものっていうか」
「一人暮らしか、大人みたいだな」
「……別に珍しくないと思うけど」
「じゃあ、俺ん家かソラん家で作戦会議と行こうぜ」
「ぼ、ぼ、僕の家は無理、画材とか置きっぱだし、部屋とか、ぜ、絶対無理! 洗濯物っ、あるしっ!」
首を振るソラを、銀次はポンと頭に手を当てて落ち着かせる。
「洗濯物? まぁ、いやなら無理強いはしねぇよ。じゃあ、俺ん家こいよ。今日は俺が飯当番だから晩飯奢るぜ」
「へ? 銀次の家に行くの?」
頭に手を置かれたまま、ソラは銀次を見上げた。
「嫌か?」
「嫌じゃ……ないけど」
「なら、決まりだ。部屋に鍵かけるの時間かかるから、お前見張りな。見回りの先生が来たら教えろよ」
「わ、わかった」
「糸を片方に通してっと」
部屋を出て、廊下をキョロキョロと見渡した後に、こっそりと後ろを振り返る。
鍵を閉めようと集中してこちらに気づかない銀次の横顔がそこにある。
ちょっとドキドキしているのは、悪い事をしているせいなので、銀次が悪い。
そんなことを思いながら、鞄を抱きしめるソラなのだった。
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