お前が頑張っているのを俺は見てた。
「……(あむあむ)」
ハムスターのようにチビチビと酢昆布を食べるソラを見ながら、銀次はポツポツと語り始めた。
「俺がソラを気になり始めたのは入学式のことだ」
※※※※※
「ふぁあ~」
入学式当日。前日に中学時代の友人とゲームをして過ごしていた銀次は、重たい瞼を開ける為に体育館の裏にある水飲み場で顔を洗おうと教室を出ていた。
「迷ったな」
まだ道をよく覚えていない銀次は道に迷い、中庭に出てしまう。そして誰もいない校舎の影で一人の生徒を見た。学ランを着たソラだ。ブツブツと何かを読んでいる。
「……これからの生活を胸に……。これでいいかな?」
「ソラ、入学式の原稿はできた?」
ソラの元に愛華が歩み寄る。何となく建物の陰に隠れて銀次は二人の様子を見ることにした。
「うん、できたけど……」
愛華がソラが持っていた原稿をひったくるように手元に寄せて確認する。
「……これでいいわ。それと、理事の一人が『私の絵』が欲しいらしいの。そうね……ベタだけど桜をモチーフにした絵を二週間で仕上げなさい」
「わかったよ」
「昨日も言ったけど、今晩は入学の祝いの会をお父様が開くから、私のドレスを準備しておきなさい。メイクも移動中にしてちょうだい」
「あの……愛華ちゃん」
「何? 忙しいのさっさと話しなさい。グズなんだから」
「ボクは……その……」
「私に何かあった時の為に会場で待機しなさい。もちろんその恰好でね」
「……うん」
その場を後にする二人を見ながら銀次は首を捻っていた。
そして式が始まる。入学式というものは最初はそれなりに期待感があるのだが、ある程度時間が経つと退屈になる。
そんな弛緩した雰囲気の中、式は進んでいく。
『次は、入学生代表。四季 愛華さんの挨拶です』
「はい、このような日に――」
四季と呼ばれる生徒が話し始めると、全員がその容姿に見とれその声に目を傾ける。銀次だけが眉間に皺をよせてその挨拶を聞いていた。
「……あのちっこいのが準備した原稿ねぇ」
その二週間後に職員室の横に桜の木々を描いた油絵が飾られる。入学に際しその胸の内を表現した絵だと紹介文がついていた。
作者名はもちろん『四季 愛華』である。
※※※※※
「っと、まぁ、これがきっかけで俺はお前のことが気になったんだ」
「見てたんだ。……そうだよ、その日の朝に急に挨拶の台本を書けって言われたんだ。絵もボクが描いたものだよ」
「それで気になってお前等のことを見てたんだ。例えば、テストだ。四季は10位だっけか、お前、四季に勉強教えてんだろ。こっそりノートを見たがそんなことが書いてた」
「ボクのノート見たの? ……うん、まぁ、元々愛華ちゃんは頭いいけどね。テストで出そうな範囲を予想して伝えてる」
「それはいい、ならなんでお前は下から数えた方が早い位置の順位だ。クラスで馬鹿にされていただろ」
……テスト返却の際、四季はソラを励ます体でその点数を暴露した。
『ソラ、貴方はがんばればできるんだから、もっとちゃんとやらないと。平均点を大きく下回るなんて恥ずかしくないの?』
『……』
それを聞いた生徒達はヒソヒソとソラを馬鹿にし始める。それと同時にソラを気遣う愛華を褒めたたえるのだ。運動でも小さな催しでも、とにかくソラを下げて自分を上げるということを愛華は繰り返していた。
「それは……」
「四季に低い点数を取るように言われてんだろ?」
「……ボクが目立つとイジメられるからって」
「それが詭弁だってわかってんだろ」
「……(あむあむ)」
「酢昆布食ってごまかすなよ……旨いか?」
「……結構好きかも」
上目遣いで銀次を見る。銀次はため息をついて、自分も酢昆布を頬張った。
「勉強も絵もアイツが引き受ける学園の仕事も、全部お前がやってる。俺はそれが気に食わねえ」
「別に……ボクはそれでいいよ。実際ボクは愛華ちゃんがいないとダメだと思ってたから」
「テメェの絵をそんなにされてもか?」
「……」
傍らにあるのは破れた画用紙。
「言ったろ、俺はずっとソラを見てきた。四季が受けてくる仕事は増えるばかり、お前はもう限界だ」
「……そうかもね」
「このままだと壊れるぞ」
「壊れたらいい。ボクなんて……何をしても上手く行かなくて……絵だって愛華ちゃんの絵だから評価されてて、ボクが描いたって言ったら誰も見てくれなくて」
酢昆布の箱を置いて、膝に手を置いてソラはポロポロと泣き出した。
銀次は破れた画用紙をパズルを組み立てるように並べていく。そこに描かれていたのはバイクに乗る猫の絵だった。
「いい絵だな。機械が好きなのが良く分かる」
「……車とかバイクとか好きなんだ。愛華ちゃんは自分のイメージと合わないって描かせてもらえなくて」
涙は止まらない。
「お前の絵、俺は好きだ。かっこいいぜ」
「……ありがとう……ボク、他のことは我慢できるけど……絵のことは悔しいよ」
「そうか、ほらあっち向け」
銀次が椅子を合わせて、ソラを壁の方に向ける。そしてソラにもたれるように背中合わせに座る。
「これで誰も見てねぇ。泣ける時に泣いとけ、俺はお前を見てきた。お前は頑張ってる、よく頑張った。だから、もう大丈夫だ」
なんの根拠もない励ましが、どこまでも染み込んでいく。そこからソラが泣き止む十数分間銀次は無言でソラに寄り添った。
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