銀次のミッション
日曜日。デートの翌日だが、一緒の二人である。
といっても今は一緒の部屋にいない。
「もしもし……えぇ、はい。お願いできますか、うっす。それならウチで工場紹介できます。はい……」
銀次はソラの家のリビングでノートパソコンの画面と付箋だらけのノートを見ながら電話をしていた。どうやら家のバイトをしているようである。
一方、ソラは一階でテーブルに置いた果物を油絵具でモノトーンで書くという練習をしている。いわゆるグリザイユという画法なのだが、ツナギ姿でキャンパスに向き合う姿は真剣そのもので、キャンパスの中ではモチーフの果物が塗りによる明暗で浮かび上がるように描かれていた。
「……ふぅ、ってもう昼か。昼からはスマフォケースのデザインの話をしなくちゃだし、切り上げなきゃ」
壁にかけられている時計はすでに十二時を指していた。椅子から降りて伸びをする。
絵の具の残っているパレットにラップをし、絵筆についた絵の具をウエスでふき取ると小瓶にいれた筆洗い用の油で筆を洗う。その後、その絵筆を流しへもっていって洗剤で洗う。
「~♪」
特徴的な匂いも含めて、油絵の面倒な部分ではあるがソラはこういった作業が嫌いではなかった。
言葉にしづらい感覚ではあるが、こういった準備や片付けにもこだわりがありそれにあった洗浄用の道具や自分だけの手順などをこなす楽しみがあると思うのだ。
といっても、本日は銀次がいるので短縮バージョンにしているソラである。
片付けを終えると、換気扇を強めに調整して一階にある作業着用の洗濯機へ脱いだツナギをほおり込みシャツを着る。そのまま二階にある居間の前の靴箱で自身の匂いを嗅ぐ。
「く、臭いかな……テレピン(溶剤)使ってるし……くっ、消臭剤とか一階に置いとけば良かった」
靴を脱ぐと、そろそろとゆっくりドアを開けてリビングに入るソラ。
壁を伝ってこっそり浴室へ向かおうとするが、流石に銀次にはモロに見えている。丁度電話を一本終えたタイミングのようだ。マジマジとソラを見つめる銀次。
「おう、お疲れ……何してんだ?」
「今のボクはちょっと、その、お風呂に行きたいボクなのです。油の匂いがするから……臭いのです」
銀次から距離を置こうとするソラであるが、銀次は目を細めると立ち上がってソラに向かってくる。
「うわぁ! ぎ、銀次っ、話聞いてた」
「クン……別に臭くねぇぞ。つーか、俺が工場育ちってこと忘れてねぇか? 全然嫌じゃねぇよ、もっと強い匂いの潤滑油の匂いも好きだしな。つーか、この匂いは大分違う……甘くてクセになる匂いかも、ソラの匂いも混ざってんのか?」
少し屈んで鼻を動かす銀次。
「にょ……」
「にょ?」
パクパクと口を動かした後に顔を赤くしていくソラ。
「にょわああああああああああ!」
「ゴブっ!」
腹パン炸裂。手打ちでありそれほど痛くはないが不意打ちで噴き出す銀次である。そのまま、ソラは二階奥の浴室へ突撃していった。そして、高速で体を洗って出て来たソラは開口一番。
「殴ってゴメン! でも、銀次も悪い!」
「すまんかった」
流石に配慮がなかったと反省する銀次である。ソラはとてとてと銀次の傍へ寄って抱き着く。
「匂い直して」
「あん?」
「今はいい匂いだと思うから、匂い直して」
ぷくーと膨れているソラ。心の中で『可愛いなこいつ』とか考える銀次である。
「……いい匂いだぞ」
「……撫でれ」
なでなで。見上げるソラはむくれているように表情を作ろうとしているが、銀次の手の感覚にどうしても頬が緩んでしまう。
「許す。次からは、ボクがいいってタイミングじゃないと匂っちゃダメ」
「気を付けるぜ」
「むふー、ならよし。ご飯食べよ」
「おう、ちょっと待ってくれ。もう一本電話するところがあるんだ。工程の確認だけだからすぐ終わる」
「わかった。準備しとく」
銀次から離れて昼食の準備をしていくソラ。銀次も机を片付けながら電話をしていたが、徐々に表情が険しくなる。閉じたパソコンを開けて、眉間にしわを寄せて会話を続けていく。
「えぇ、いや、それは困るっす。もう先方には納期を出してるし、お互い同意してたじゃないっすか? なんでこのタイミングで――大西さんが? またあの人か――なんで自分が説得するんすか、工場長が言えばいいでしょ――わかりました。また、かけ直してください」
ため息をつきながらソファーに座り込む銀次。ブロッコリーグラタンを食卓用の机に置いたソラはミトンを外しながら、銀次に話しかける。
「なんかトラブル?」
「あぁ、仕事の納期が伸びそうって話なんだよ。工期には余裕を持たせてたのに、職人さんがこだわりを出して来たらしい。あの人頑固なんだよなぁ。最悪、親父に出てきてもらわないと不味いかもな」
「職人か……こだわり強そうだもんね」
「まっ、悪い人じゃないから話し合ってみるぜ。昼飯、先に食べててくれ」
「ううん。待ってる」
銀次の横にボスンと座るソラ。ちょうどそのタイミングで銀次のスマホが鳴る。
「もしもし――いつもお世話になっています。桃井っす。――いや、それは親父で息子の銀次っす。工場長から聞いたんですけど――はい、はい――いや、でも納期は守ってもらわないと……仕事は譲れないって言われても。どう言った部分で時間がかかりそうなんすか?――すんません。その話もうちょい、詳しく聞かせてもらっていいっすか?」
しばらく眉間に皺を寄せて相槌をうつ銀次だったが、徐々に表情が変わっていく。
「なんだ、そうだったんすか。それならちゃんと説明すれば大丈夫っす。前向きな理由なんでクライエントも納得してくれます。具体的な納期はどうなりそうっすか? ――もう少しなんとか――はい、わかりました。クライエントからの返事はまたメールで工場長へ伝えます。うっす、お疲れ様です」
通話を切ってため息をつく。その表情は交渉が上手くいったことを告げていた。
「上手く言ったんだ。難しそうな話だったのに凄いね」
「よくある話さ。クライエントの工程に不備があったんだ。それを現場を良く知らない工場長が『こだわり』で片づけてた」
「へぇ、じゃあ工場長さんが間違えてたんだ」
ソラの言葉に銀次は首を横に振る。
「あぁ、いや、一概にそうでもないのが面倒でな。これもよくある話なんだけど、実際にこだわり的な余計な要素も多分にある。工場長も現場からそれと一緒に説明されてたから混乱してたんだよ。あの手の頑固な職人気質の人は、クライエントにとって必要なことと必要じゃない部分の差とかなく一律で『仕事』だからな。とりあえず先方には工程の不備での延期を告げて、そっちの不手際を提示しつつ工期を伸ばしてくれたら『いいこと』あるって告げとくよ。元々、こういう時の為に工期に余裕持っているしな」
「『いいこと』って?」
「さっき言った職人のこだわりの部分さ。この場合は、納品の質が上がるからな。そうすりゃ『そちらの注文がおかしいから納期が延びるけど、その代わり質はよくなる』って話にもっていけるわけだ。そうすりゃ筋が通るだろ。職人さんも気持ちよく仕事できるってわけだ」
「おぉ、凄い。でも、仕事なんだから職人さんも融通してもいいと思うけどね」
「まぁ、そりゃそうだがよ。意に沿わない仕事ってのは質が落ちるもんだ。せっかくなら気持ちよく仕事してもらいたいし、その部分でウチは金を貰っているわけだしな」
「気遣いとか大変そうだね」
「まぁな……つっても、この辺は親父や母さんの見様見真似だけどよ。さて、飯食うか」
「うん、グラタン温め直すね」
昼食を食べて、食後に緑茶を飲んでいると会話の内容は課題テストで先延ばしにしていた美沙からの依頼であるスマホカバーのデザインの話になる。
「スマホカバーのデザインのことなんだけど、四種類ほど欲しいって言われてこういう感じでやってみたんだ。見てみてよ」
ソラがスケッチブックを銀次の下へ持って来る。
「おう、午後からはこっちのことをしたかったしな。どれどれ……」
数分後。
「いや、これはダメだろ」
「な、何でさ。かっこいいじゃん!」
「それはわかるがよ。肝心のデザインが四種類ともほぼ同じに見えるぞ」
「な、何言ってるのさ。コグホイールとギアは似て非なる物というのが文化なんだよ! これは明確に違うものだよ。ここは譲れないね」
「……なるほど」
見た目にはほとんど違いの無いデザインにも関わらずソラは『こだわり』持っているらしい。しかし、それは商品としてはあまりに弱い推しである。
職人と絵描き。仕事に違いこそあれ根っこにあるのは物作りへの熱意。しかし、それは明確にクライエントの要望から外れてしまっている。これをそのまま美沙にみせれば確実に話はややこしくなる。
今しがた終えたばかりの仕事が再び目の目に立ちふさがったような感覚を覚えるも、意思の力で表情には出さない。
漢、桃井 銀次。ソラの機嫌を損なわないように、美沙からの依頼に沿ったデザインに軌道修正するというミッションが課せられたのであった。
200話を達成しました。ここまで楽しく書き続けてこれたのは皆様のおかげだと思っています。
いつも感想を楽しみにしています。ありがとうございます。
今後とも、銀次とソラ。二人の物語を楽しんでいただければ幸いです。
次回、更新は月曜日になります。




