すれ違い×2
始業式が終わって教室へ戻る短い道のりすら愛華の周りには人ごみができていた。
「四季さん。さっきのスピーチ素敵でした」「夏休みでも成果を出されて、本当に凄いです」「見かけなかったので心配していました」
「ごめんなさい。海外にいる母から急に連絡があって対応していたら遅れちゃったわ。恥ずかしい」
クラスの女子や愛華に近づきたい男子が愛華を中心に話しかけていく。一学期と変わらぬ光景だが、この日は少しだけ様子が違った。二年生や運動部を中心に愛華とは別の方向に注目も集まっていた。
「あれ、髙城さんだよな……学年一位だっけ? マジで可愛いよな」「彼氏いるらしいぞ。デレデレだったさ」「くっそー、マジかよ」「おい、気を付けろよあんまり近づくと……処されるぞ」「誰に!?」
クラスの女子から微妙に距離を置かれているソラに集まる視線。慣れて来たとはいえ、生来の人見知りであるソラは小走りで銀次の背に突撃をする。
「ぐぇ! ソラ、急に抱き着くなって」
「隠れてるだけだし」
「へいへい、ほれ」
「ん、よきよき」
銀次から差し出された手を握ってご満悦のソラである。それを見てさらに注目が集まる。
夏休みを経て印象が変わるというのは聞く話ではあるが、ソラの変化はよくあるというレベルではない。夏休み前からのギャップという点では愛華以上の視線をソラは集めていた。ソラは視線から隠れるように身を竦めている。
「……」
周囲に返答していた愛華は無言で銀次とソラを見る。
「愛華様? あぁ、あの二人ですか。人目もはばからずイチャイチャと、不潔ですよね」
「……手をつなぐくらいは風紀違反ではないわ。この学校は自由な校風だもの。澪、私は校長先生に呼ばれているから、後はよろしくね」
「はい、愛華様」
すぐに笑顔に切り替えて後ろに控えていた澪に声をかけた愛華は、取り巻きに愛想を振りまきながら集団から離れて行く。結局愛華はホームルームが始まっても教室へは戻って来ず、代わりに澪が愛華の分の提出物を出していた。この辺の特別扱いもクラスでは慣れたものだった。
教室へ戻ると課題の提出や配布物が配られる。その中でも銀次とソラが提出した自由課題は圧巻だった。
「お前等……何だこの量は?」
「工作って奴っすかね。二人で芸術祭に像を出したんで」
「……各工程の写真やCADの設計図、予算の設定。その他もろもろも資料もついてます」
それは夏休みの宿題というにはあまりに分厚く、徹底的で、緻密だった。
銀次よって企画書のように仕上げられ、ソラのこだわりによって製本されたそれは自由研究の結果はソラのスケッチもあって完成度がケタ違いである。
「長年教師をやってるが、ここまでやるやつは初めてだぞ……」
パラパラと冊子を捲りながら、ドン引きする男性教師。
「まっ、好きでやったんで」
「よろしくです」
どう評価すればよいか迷う教師を置いて席へ戻る二人。課題の提出が終われば次はテストの日程が発表され、半日登校は終了した。この後は帰っても良いのだが、二人はそのまま学校でテスト勉強をする予定だったので、お弁当を広げる場所を探していた。
「どこで食べよっか? 食堂かな?」
「注目されるけどいいのか?」
「うっ……ちょっと暑いけどいつもの漫画部跡地にする?」
「それがいいな。その後は自習室に行こうぜ」
お重を持ったソラと銀次が部活棟へ行く、一階は人がいたが階段を登ると別世界のように人が少なくなる。ここなら落ち着けそうだと二人が歩いていると曲がり角から澪が出てきた。その眼は敵意を持って二人を睨みつけている。すれ違ったと言うわけではなさそうだ。夏休みの間に少し瘦せたようで、顔色も良いとはいいがたい。いつかの偽告白を思い出してソラも強い視線を澪にぶつけていた。
「よぉ、夏休みぶりだな。ん?」
澪の後ろから銀髪を揺らして愛華が出て来た。
「愛華ちゃん……」
「なんだいたのか。俺達、これから飯なんだが? 一緒に喰いたいってわけでもねぇよな」
「そうね、絶対にごめんだわ。ちょっと話したいだけよ。ソラ」
「何?」
銀次の前にでてソラが応える。これまで目線を合わせることすらしなかったソラのその変化に愛華は少したじろいでしまうが、すぐに顔を突き出して高慢な態度を取り繕う。
「……あら、ちょっと見た目を整えたからって随分な態度ね。貴方が勘違いしないように忠告をしにきたの。注目を浴びているようだけど、調子に乗らないことね。何かしているようだけど、貴方が男と遊んでいるうちに私は結果を出したわ。絵の調子も戻ってきている。この学校に貴方の居場所なんてないのよ」
「お前、まだそんなこと言ってんのか。わざわざ待ち伏せまでしといてくだらねぇな」
心底呆れたと銀次はため息をつく。正直、関わり合いたくないが愛華はまだソラに対して強い対抗心を持っているようだ。
「桃井君こそ、私の忠告を無視していつまでソラと一緒にいるつもりかしら?」
「離れる予定はねぇよ」
「銀次はずっとボクと一緒だから。そういってくれたもん」
お重を持ったまま、銀次に身を寄せるソラを見て愛華は鼻で笑う。
「フッ、結局誰かの傍にいるだけ。貴方はいつもそうよ、どうせ『また』捨てられるわ」
かつて母親にもそうされたように。その意味を含んだ言葉の刃はソラを深く傷つける愛華は思っていた。
少なくとも核心に触れたと下卑た笑みを浮かべるが、ソラも銀次も少しも表情を変えずにその場に立っている。二人にとってそれはもう向き合って乗り越えたことだった。そのことがより愛華を動揺させる。
「話は終わりか? 無駄な時間だったぜ。行くぞソラ」
「うん」
歩き出す二人がすれ違う瞬間。愛華は唸るように告げる。
「この……化け物」
「おい、いい加減にっ――」
流石に聞き逃せないと青筋を浮かべた銀次が振り向くがソラが銀次を制止して静かに口を開いた。
「愛華ちゃんは……何を怖がっているの?」
その目に移る自分を見て、愛華はどうにもその場にいることができずに逃げ出すように足を踏み出した。
「ッ……行くわよ、澪」
「は、はい愛華様」
あの目が、あの目が怖かった。かつて、なんの疑問も持たず完璧だった自分を思い知らされるような気がして。
必死に取り繕って隠している自分の中身を全て暴かれるような気がして、だから何もかも奪って最後には私の視界からも消したはずなのに……。
いつまでも、いつまでも、私の視界に入って来る。
私に捨てられて、絶望すれば良かったのに。
なんで、幸せそうな顔でいるの。
「何で……」
立ち止まり、窓に映る自分を見る。綺麗で、完璧な自分がそこに映っている。
なのにどうして、私はこんな表情をしているのだろう。
今朝のこと。めったに連絡のない海外にいる母から連絡があった。奨励賞をもらったことを褒めてもらえるとドキドキしながらスマホを耳に当てると。
『ソラがしようとしている事業について、注意しておいて。アイカにとってきっと有益になるわ』
氷柱で胸が貫かれたようだった。
どうして私じゃないの? どうしてソラばかり。学校のSNSでもソラの話題でもちきりで自分の成果なんてまったく書かれていない。誰も私を見てくれない。こんなにも頑張っているのに。
「……私は完璧。あの子とは違う……私は捨てられない」
「愛華様……」
追いついた澪の声で我に返る。
「ごめんなさい。生徒会室に行くわよ、文化祭の話をしなくちゃね」
まずは学校での人気を取り戻さないと、絶対にソラに負けるわけにはいかないのだ。そうすればきっと母も私を見てくれるはず。被り慣れた笑顔の仮面を張り付けて愛華は澪に向き直った。
一方。
「デミグラスオムレツ……だとっ!?」
「ふっふっふ、時間がたっても美味しく食べれるようにデミグラスソースは後がけなんだよ。甘いソースにあうようにサラダは塩ベースのドレッシングです。はい、あーん」
「ムグ……しっかし、四季のやつもなんであんな絡んでくるんだか。思い出すとむかむかするぜ」
「さぁ、ボクなんて相手にしなくてもいいのにね。ハッ……」
ソラに稲妻走る。
「もしかして、夏休みを経てめちゃくちゃかっこよくなった銀次を狙っているとか!?」
「ないだろ。別にカッコよくなってないしな。卵にしっかり火が入っているのが逆にいいなこれ。デミグラスソースに合うミニハンバーグも旨い……」
「銀次はどんどんカッコよくなってるよ。だって、それ以外にボクに絡む意味ないし。京都でも誘ってたし!」
「あれは皮肉を言い合っただけだぞ。サラダも旨い、塩ドレッシングか、哲也も好きだろうな」
恋愛脳に支配されたソラには完全にそっち方向に思考が固定されてしまう。
「他のことならともかく、銀次のことだけは絶対に譲らないんだから。女子力、女子力を磨かないと……後で老師に相談しないと……」
「落ち着けソラ。俺がお前以外を好きなるなんてあるわけないぞ」
「それはそれ、これはこれだよ。他の女子も警戒しないと……ボクの銀次は誰にも渡さないっ!」
「いいから弁当食べようぜ。品数が多くて、大変だったろ、全部旨いぞ」
「そう? えへへ。銀次は美味しそうに食べてくれるから嬉しいな」
そんな感じで、かなりずれた結論に至りながらも、のんびりお弁当を食べる二人なのだった。