バカップル上等
勢いのままにソラを抱きしめた銀次が、我に返って腕を解いた後。
作品に埃がつかないように周囲に段ボールで壁を作った二人は二階の今に戻っていた。
「氷が解けちゃってた」
「休憩もせずに作業してたからな。でも、十分冷たいぞ」
「冷房はかけっぱなしだったしね」
ニコニコと嬉しそうなソラと少し気恥ずかしい銀次である。二人は景気よくラムネのビー玉を落として瓶を合わせる。チンと涼やかな音がした。
「……あぁ、生き返る」
「ケプ、なんだかんだ下は照明のせいで暑かったしね。汗かいたからシャワー浴びようよ。先に入っていい?」
「おう、ゆっくり浴びてこい」
「うん、晩御飯、何食べたいか考えてて」
ラムネを飲み干したソラは先に着替えを持って浴室へ入っていった。
二人分のラムネ瓶を洗った銀次はソファーに沈むように倒れ込む。脳裏をよぎるのは一階でのソラとのこと。側にいたいと思ったら、向こうから跳び込んで来た。そしてあの彫像、何よりもわかりやすい喜びの色の集まりを叩きつけるように見せられたのだ。全身でぶつかって来るような愛情表現は一切の妥協なく、容赦なく、銀次の心を揺さぶった。それこそ、泣いてしまうほどに。
「やられた……」
ホテルのことといい、最近やられっぱなしだ。本人の反応を見るに狙っている時とそうでない時もあるがほとんど天然な気がしている。
「不安なんて感じる余裕なくなったな」
胸にのしかかっていた不安は消えている。開き直ったと言ってもいい。俺はソラと一緒にいたいだけで、ソラも俺といたいとあれほどまでに強く訴えてくれている。なら、あれこれ考えずに一緒の時間を目いっぱい楽しめばいいだけだ。巷でいうバカップルってのもソラとなら悪くない。将来のことを考えることは重要だが、もっと大事なのは目の前のソラだ。
もし、この独白を二人を知る者が聞いたら。「いままでがバカップルでなかったとでも?」というツッコミが嵐のように降って来るだろうが、残念ながら誰も聞いておらず、なんならソラも先日のホテルでの誤解を経て「これからもっと彼女として頑張ろう」とか考えているあたり似た者同士の鈍感さとも言える。
「お風呂あがったよー。銀次も浴びなよ、それともお湯をはる?」
「暑いからシャワーでいいぜ。うっし、じゃあ浴びてくる」
ソファーから元気よく立ち上がった銀次は風呂上がりのソラに笑いかける。
「なぁソラ」
「ん、何?」
「作品、作って良かったな」
「もちろん。まだ、トップコートが残ってるけどね」
「そうだな。最後までバッチリ仕上げるぜ」
上機嫌で風呂に向かう銀次を見送ったソラは風呂上がりのルーティーンで冷蔵庫から牛乳を取り出して、一気飲みする。
「……あんなに喜んでくれるとは……ボクの彼氏は可愛いなぁ」
ニマニマと緩みそうになるホッペを抑える。作品を見せるのは正直二回目の告白のようなものだ。
一緒に作って、一番に相手に見せる。ソラにとっては特別な作業であり、銀次の反応は予想以上だった。
「また、一緒に何か作りたいなぁ。あっ……ご飯何食べたいか聞くの忘れちゃった。何かあったっけ?」
冷蔵庫を開ければ漬物や保存食はあるものの、メインになりそうな食材は空だった。時計を見れば、午後の18時少し前。商店街は締まっているがスーパーは余裕で空いている。風呂上がりではあるが、買い出しに行ってもいいし、ジャンクにピザの出前でも言い。
「上がったぞー。つーか、普通に俺の着替えが準備されてんのな……」
サイズがぴったりのやけに肌触りの良いTシャツにひざ下程の丈の短パンが用意されていた。
「はっや。ジュース飲む?」
「俺も牛乳がいい」
「はい、どうぞ。あっ、銀次。ちゃんと髪の毛乾かさないとダメだよ」
冷えた牛乳を手渡すと、まだ髪が湿っている銀次を見たソラは脱衣室からドライヤーを持って来る。
「座って、座って」
「自分でできるぞ」
「できてないじゃん。ほら、マッサージもしてあげるから」
急かされるままに食卓の椅子に座らされた銀次は、丁寧にソラに髪の毛を乾かしてもらう。
送られる風と一緒にソラから柑橘系の香りがして、よく考えてみれば風呂上がりの彼女と一緒の部屋にいるのって、すごいシチュエーションなのではという思考が浮かぶが今更かとされるがままになる銀次。外堀から内堀までソラにしっかりと埋められているのであった。
「仕上げは冷風ね。ヘアオイルはつける?」
「いらない。慣れないしな」
「じゃあ、これで終わり。ちゃんと乾いたよ。むぎゅー」
そのまま後ろから抱きつかれる。
「……」
「あれ? 抵抗なし、じゃあ、このままで。晩御飯どうする?」
「あー、なんでもいいけど。腹は減ってるな」
「一番困るやつ。スーパー行って、食材見てから決めようか」
「そうすっか。俺はいいけど、お前はもうちょっとちゃんとした格好に着替えろよ」
「わかってるって。そのまえに、もうちょっとこのまま……」
「……」
準備をして外へ出ると、まだ明るい。夏休みが終わるまでもう十日を切っている。厳密に言えば残りは八日だ。スーパーへ歩きながら、話しているとどうしてもそのことに触れるようになる。
「もう夏休みも終わりかぁ……」
「すぐだったな。毎日なんかしてたぜ。そろそろ勉強もしないとな」
「任せてよ、実はもう新学期に向けた銀次の為の問題集はできてるから」
「おいおい、ちゃんと寝てるのか? 作品の方は明日工場に発送、明後日にトップコートの塗装をして直接送れば展示には余裕で間に合うな。二週間くらい展示されるんだっけか?」
「そうだよ。メールの折り返しあったけど、抽選結果の展示スペース結構いい感じの場所だった」
「お袋がどうしても見たいって言ってよ。もしかしたら工場のおっちゃん達も見に来るかもな。中学の後輩や斎藤も来るだろうしな」
「……少し恥ずかしいな。作品名が『あれ』だし」
「本当にあれで良かったのか? まだ変更できるかもしれないぞ」
「いいの、『あれ』しかないから。……ダメ?」
シャツの裾を引っ張って、見上げてくるソラ。銀次はその手を握る。
「いいに決まってんだろ」
「うんっ! ようしっ、今日は何でも作るよっ!」
「気分的に魚だな。なんなら俺も捌けるぞ」
「じゃあ、二人で別々のお魚を料理するのもいいかもね」
そんな話をしながら二人でスーパーに入っていく。カゴを持って店内に入ると、銀次の携帯が鳴る。
「ん? ……まったく」
「どうしたの?」
「斎藤達からだよ。今年は色々あって中々遊べなかったから一緒にカラオケでもやろうぜ。ってさ」
「明日なら空いてるからいいんじゃない?」
「ソラも……いや、野郎の集まりだなこりゃ」
「あはは、そうだね。ボク、歌とか苦手だし」
「へぇ、そりゃいいこと聞いた。また今度二人で行こうぜ」
「いじわる……まぁいいけど、彼氏とカラオケってカップルっぽいし。じゃ、ボクは作品を送ったらのんびりしとくよ」
「発送の手伝いはいいか?」
「業者に任せるから大丈夫」
「……昼間も言ったが業者が相手でも――」
「ちゃんとした格好で対応するよ。心配症だなぁ銀次は」
「ちゃんとわかってんならいいんだよ。ソラはちょっと無防備だからな」
「ボクが無防備なのは銀次に対してだけだってば」
「ブフッ……いいから、鮮魚コーナー行くぞ」
その夜。ベッドでまどろんでいたソラの携帯にもSNSで連絡が入る。
『ソラち、夏休みも終わりだし。もし暇だったら、明日でも遊ぼーぜー』
スズからのお誘いだった。タイミングが良いと特に考えることなくソラは午後からなら大丈夫と連絡を送って、眠りについたのだった。
次回の更新は、多分月曜日です。
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