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君がくれた光

 寝不足だった銀次は二時間ほど仮眠を取って、ソラの家に向かう。昼を少し過ぎた日は強く照り付けて秋の気配は一向になく、夏はまだまだ続きそうだった。行きがけに商店街でラムネを二本買って、ついでにキュウリとナスの漬物を買う。ソラの家に着いてインターホンを鳴らすと、ツナギを半脱ぎにしたソラが出てきた。


「待ってたっ! 像はさっき届いたよ」


「……ソラ、お前その格好で対応してないだろうな?」


「ん? したけど? 大丈夫、これ透けないやつだから」


 ツナギの下は白いTシャツのみであり、ソラの言う通り下着は透けてはいないが体のラインははっきりと出ていて大分無防備な格好である。ため息をついた銀次は、後で注意するかと熱さから逃げるように家に入った。後ろからソラがひな鳥のように付いて行く。


「その袋の中身って何?」


「ラムネだ、暑かったからな。それと、八百屋で漬物買ってきた。塩分も必要だろ」


「いいね。ボクも余裕があればぬか漬け作りたいけど、絵とかスプレーとかする時は流石に難しいからね。銀次の家にはぬか床あるけど……」


「あれは、テツの趣味だ。勝手に触ると怒るぞあいつ」


「渋いね。流石テツ君」


 二階の手前で靴を脱いで居間に入ると、すでに昼飯の準備はされているようだった。

 

「時間がなかったから、出来あいでごめんね」


「十分すぎるだろ。腹減ったし、食わせてもらうぜ」


「うん、座って座って。漬物切るね」


 海藻のサラダに鯵の塩焼き。そこに銀次が持ってきた漬物が添えられる。

 

「これなら汁物も用意した方が良かったかな。不覚……」


「暑いからこれでいいだろ」


「デザートはわらび餅だよ」


「デザートまであんのかよ」


「あーん、したげるね」


「……一口だけな」


「エヘヘ」


 慣れたやり取りをしながら食事を済ませる。ちなみにラムネは作業後に飲もうとソラがバケツに氷水をいれてそこに瓶を差した。


「冷蔵庫でいいだろうに」


「わかってないなぁ銀次は、これはこうすることで美味しくなるんだよ」


 そんなことを話しながら、二人で靴を履いて一階の作業場へ向かう。無理やりに開けたのが良く分かる部屋の中央にはシートが敷かれ、その上には彫像が鎮座していた。


「照明も調整済み。じゃ、絵付けをしよっか」


「おう、といってもここからはソラの専門だな」


「うん、任せて」


 ソラはツナギを着直してジッパーを上げる。利き腕である右腕だけ腕まくりをして、絵の具をチューブから木製のパレットに乗せた。おっかなびっくり塗装していた時のような表情からは想像もできないほどの集中した表情は、どこか冷たく近寄りがたささえ感じる。


「青が濃い下部分はヘビーボディで、グラデーションから上はソフトボディ気味に色を調整していくくから。泡が浮かぶように、見る人が下から見るように視線を誘導させるように描いていくね」


「お、おう。今さらだが、俺がやっていいのか? ソラが全部した方が……」


「ヤダ、これは銀次と一緒にやりたいもん。仕上げはやるけど最初は銀次も手伝ってよ」


 ジトリと睨まれる。譲る気はないようだ。銀次は自分の頬を叩いて気合を入れた。


「わかった。どうすりゃいいかは教えてくれよ」


「うん。じゃあ、これ持って」


 渡されたのは二本の絵の具のチューブだった。


「下部分は『濃藍』だから普通の白色じゃ消えちゃうんだ。だから隠ぺい力の高いやつで塗る。でもそれだけだと奥行きがないでしょ、隠ぺい力の低いこっちの白と混ぜた三種類くらい白を使いたいんだ。見る方から手前が濃い白、奥が薄い白、海の中の泡がずっと続いているようにこっちでもグラデーションをかけるんだよ」


「……すまん。何言っているのかよくわからん」


 頭から湯気がでそうな銀次を見て、クスリと笑うソラ。

 この作業場の支配者は彼女で、普段からは想像もできないほど落ち着いて自信に溢れている。


「実際やってみせるから。一緒に色を乗せるよ、アクリル絵の具は乾きやすいから少しずつ出すんだ」


「だ、大丈夫かこれ? 乾いたらどうするんだ?」


「大丈夫大丈夫。後で水分を入れて調整するから。乾かないようにウェットパレットっていう道具もあるけど、ボクは嫌いなんだよね。ない方が油彩っぽさがあるから慣れてるし」


「わからんけど、出し終わったぞ」


 ソラに指示されながら、チューブから絵の具をパレットに乗せる。見た目は同じ白色のアクリル絵の具だが、確かにチューブから出すと片方はどこかもっさりしている感じがする方がわかる。ソラは慣れた様子でスポイトで数滴水を垂らしてパレットナイフで混ぜ合わせる。横には霧吹きも置かれて乾かないようにしているようだ。


「うんこれでいい。設計図は銀次も見ているでしょ?」


「あぁ……つっても、こりゃ緊張するな」


「溶接の時はカッコよかったから、今度はボクの番だね。ほら、ここからだよ」


「俺からかよ!」


 挑発的にペロリと舌を出したソラが指示を出す。


「その方が、リカバリーできるし、ほら、頑張って!」


「わかったよ!」


 指示を受けた場所に細い筆をそっと触れさせる。筆先を慎重に動かして楕円を描いた。


「……銀次の書き方。なんかエッチだね」


「なんでだよ!!」


 理不尽な感想に顔を真っ赤にして叫ぶ銀次。ソラは別に用意したパレットから銀次が描いた点の横に追加で点を描く。すぐに二個、三個と描いていく。パレットの場所ごとに透明度を調整したそれは藍色に溶けるように描かれる。横から見ていると、銀次が描いた点が手前に、ソラが描いた点が奥にあるようにしか見えない。同じ平面に描いているはずなのに、ソラは触れられないはずの絵の奥に手を突っ込んで、白を置いているようにすら銀次には感じられた。


「すげぇな……」


「何が?」


「いや、奥行きって言った意味がわかったぜ」


「別に普通だよ。ほら、手を動かして銀次の泡を基準にどんどん増やしていくんだから。絵具が渇いちゃうよ」


「おう、リカバリーは任せた」


「任された」


 銀次が描いた点を基準にソラが奥行きに点を足していく、銀次が描いたそれは『白い点』であるはずなのにソラの筆が走ると『海の中にある泡』に変わっていく。脳みそがバグりそうになる不思議な感覚に次第に楽しくなった銀次はテンポ良く点を足していく。二人で彫像の下部への絵付けを一通りするとソラが手を止めた。


「ストップ、ちょっと上に来たから。ここからは白に黄色を足していくから」


「黄色? 白色で統一するんじゃないのか?」


「ここからはお日様っぽい白色なんだ。光って色んな色が混ざっているんだけど、海は赤や黄色の温かい色の光から吸収して青や緑が吸収されずに下に落ちていくんだ。だから海を意識しているこの像でいうと上にいくにつれて吸収しきれていない温かい色の光が混ざるんだよ。というわけでチタニウムたっぷりに、ちょいライト目なイエローで……」


 頭の中で色は出来上がっているのだと言わんばかりに、ソラは迷いなくパレットに絵の具を出していく。どの道でも専門家というやつは簡単そうに作業を進めるものだ。工場の職人たちの手際がそうであるように得てしてそれは決して簡単ではない。膨大な量の試行回数によって迷わないから簡単そうに見えるだけだ。こうなるまでにどれだけソラが描き続けてきたのか想像もできない。

 その努力と積み重なりを実感してしまうと、この像の深い藍色のような離れた場所にソラが行ってしまうのではないかと不安になる。


「銀次、こっちの色でおねがい。ここからは透明感のある線も描いて、上に視線を誘導するように描いていくから」


「……あぁ、わかった」


 変なことを考えてしまった。今は自分にできることをやろう。集中し直した銀次は慣れない手つきで像へ白い点を描いていくのであった。ポール部分を螺旋状に点を描いていく。点はソラの手によって海の中の泡になり、ポールに取り付けられた金属版にも泡が立ち昇っていく。後半は流石に銀次にできることはなく、ソラが一人で筆を走らせる。銀次は照明の調整をしながら、その後ろ姿を見ていた。


 白色には黄色も赤色も交じって彩り豊かになっている。しかし、それはどこまでも白い。そう見えるように描かれている。

 青に浮かぶ鮮やかな白色だった。声をかけても届かないほどの集中力でソラは彫像に絵を描き続ける。

 机には空のチューブが散乱し、筆を何本も取り換えながらソラは描き続ける。

 

 手を伸ばせば届くはずなのに、その背中が遠くに見えた。

 それでも、引き下がることなんて想像もできないほどにソラが好きだ。

 何度だって手を伸ばすから、傍にいてくれ。


「なんて、俺もそうとう自分勝手だな……」


 そのために何ができるか、真剣に考えようと銀次が考えているとソラが両手を上に挙げて伸びをして振り返る。


「終わったぁああああ。どう?」


 ソラが自慢げな表情で銀次の傍に寄って来る。

 完成した彫像は下部の濃い藍色から白い泡が立ち昇って塗装のグラデーション部分から黄色や混じった緑、中には赤まで入った白色でカラフルに線がびっしりと入っていた。ポールの周囲に取り付けられた金属板もそれ自体が大きな泡であり、浮かび上がるように筆で色が付けられている。ただ、一番上の板だけは明確に白ではない。


「ちょっとだけ塗り残したから最後に銀次も塗ってよ、天辺のハートね」


「俺がか? そりゃいいけどよ。完全にこれだけピンクだな」


「そうだよ。ねぇ、銀次、この彫像の色どう思う?」


「すげぇ明るい。賑やかで、楽しそうで、眩しいくらいだ」


 絵を描くソラのようにという言葉は不安と一緒に飲みこむ。筆で銀次が塗り残しを埋めるとソラは強く頷いた。


「うん、そうだよ。眩しいほど明るくて、それで温かい光なんだ。だってこれ――」


 彫像の前でソラが銀次を抱きしめる。強く、絶対に離さないとでも言うように。


「全部、君がくれた光なんだよ。全部、全部、銀次がくれたものだから」


「……ソラ」


「ボクの初恋。海の底みたいに真っ黒だった場所にいたボクの心に銀次が光をくれたから……ああなりました」


 ソラがピンクのハートを見て、フニャリと笑って銀次の胸に顔を埋める。

 ポタリと温かな雫が振ってきてソラが顔を上げる。


「え!? ど、どうしたのさ銀次!?」


「……そりゃ、泣きもするだろ」


「うれし泣き? フミュ!?」


 あったり前だろ。という言葉の前に銀次はソラを引き寄せて強く抱きしめた。

私事ですがここ数年、この時期になると体調が悪化して入院していましたが今年は回避できました。更新頑張ります。

次回は月曜日更新です。余裕があれば追加で更新するかもしれません。


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― 新着の感想 ―
【君がくれた光】 こういうタイトルや歌詞に弱いんですよ。 人は希望が無くては生きていけませんし 逆に希望が有れば生きていける。 それは物語でも現実でも同じでしょう。 この物語を初期から読んでいますが …
う〜ん、甘い!違う意味で塩分補給が必要だ。甘味を中和せねば。きっとこの作品を観た観衆は塩分か苦味が欲しくなるな! そうだ!テツ君謹製のぬか漬けを売り出そう!絶対に売れるぞ!学生でぬか床維持できる主婦…
>何度だって手を伸ばすから、傍にいてくれ。 >全部、君がくれた光なんだよ。全部、全部、銀次がくれたものだから 最初に手を差し伸べたのは銀次だったのに、いつの間にかソラは前にいて追い抜いてた。そりゃあ…
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