下塗りと赤い顔
室内に設けられた塗装ブースへ銀次とソラが行くと、カバーオールと呼ばれる全身を覆うカッパを着崩した無精ひげの青年が走ってこちらへ向かってくる。
「おーい、こっちこっち。お嬢から聞いてるよ。あっ、俺、柄井ね。あっついねー」
着崩したカバーオールの下は黒のタンクトップで髪型は染め切れていない金髪を雑に伸ばしていた。
「桃井っす。よろしくお願いします」
「髙城です。よ、よろしくお願いします」
「わっは、めっちゃ可愛い子。そんで、こっちのいかついのが桃井君ね。うちの親父もここの職員でさ、昔、君のお父さんには世話なったってよ。だから俺としても気合いれてっから。よろしく」
柄井は話しながら懐からヘアゴムを取り出して髪を結ぶ。
「あー、柄井さんのことどっかで聞いたかもしれません。板金で一発で調色できる職人だとか」
「マジ? 知ってんの? うちの親父、クソ頑固だから迷惑かけてそう。でも、知ってもらって嬉しいね~。あっ、ブースこっちね。作品は静電気とって、エアブローでホコリ落としまではしてるよ」
案内された金属製の両開きのドアをくぐると、使い捨てのカバーオールにマスクとゴーグルが並べられた部屋だった。ここからブースに入れるらしい。
「んじゃ、さっさと着替えて作業に入ろうか? 髙城さんはカバーオール持ってあっちで……ちょ!?」
「ソラ!?」
「大丈夫。下に着てるから。それにしても、こんな大きい塗装ブース初めてだよ。いっぱい機械もあって、見てよ銀次、あれ塗料を混ぜる機械だよ! 小さいのならボクも持っているけど業務用はやっぱり大きくてロマンあるなぁ。早く着替えないとっ」
クルーネックのTシャツを勢いよく脱ぐソラ。その下は無地のインナーである。ちゃんと透けないような厚手の生地ではあるが、身体のラインが丸わかりであり、なんならうっすらと下着のラインも見える。
固まる男二人を置いて、ソラはさっさと一番小さなサイズのカバーオールを着てぴっちりと髪をフードにしまう。
「んふー、あれ? どしたの銀次? 早く着替えないと時間がもったいないよ」
やる気満々で鼻息も強く構えているソラ。工場かつ塗装ブースということもありテンションが高く、すぐにでも走りだしそうな雰囲気だ。
「桃井君だっけか。素晴らしい経験をありがとう」
サムズアップをしてくる柄井を睨みつける銀次。
「年上にこういうのは何ですが、ブッと飛ばすぞ」
そんな事件はあったものの全員がマスクにゴーグルもしっかり嵌めて塗装ブースに入る。部屋はビニルで覆われ、片付けがしやすいようになっているようだ。
「一応、作業の確認な。パっと見たけど下処理はマジでパーペキ、素人の仕事じゃないね。このまますぐに塗装に入れるよ。内容まで事前に連絡くれんだもんねー。同業相手にしている気分だよ。スプレーガンの使い方だけ説明するわ」
というわけで柄井より、塗料を噴霧するスプレーガンの説明を受ける二人。一通り機材の使い方を教わった後に塗装についても説明を受ける。
「薄く、均等に。これが絶対。対象との距離はわりと離してこんくらい……後は塗装面に対して角度はなるべく90度。だけど、それはあんまり気にせずにとにかく薄く均等。これを徹底すれば失敗はないから」
「塗布する場所は上からいいんですか?」
ハイテンションが続いているソラが珍しく物怖じせず柄井に質問する。
「基本はそう。だけど、こいつは立体的だから。まず、下から塗装して塗りにくい部分を消してから上から塗った方がいいな」
「下から塗ると垂れやすそうだな」
「いい着眼点だ桃井っち、だから下からはさっき教えた時よりも離して塗装すればいい」
「なるほど」
「ぶっちゃけ、俺がやってもいいけど? 仕上がりは保証するぜ?」
「ダメです。これは、ボクと銀次の作品なんで」
「つーことみたいです」
スプレーガンを握りしめるソラとその肩を叩く銀次を見て柄井は楽し気に笑う。
「ハッハ、いや、そういうと思った。物作りってのはこうじゃないとね。じゃ、エアコンと換気強めるわ。後はご自由に、途中で見に来るわ~」
柄井が部屋から出ると、ソラと銀次が顔を見合わせる。
「じゃ、やるか!」
「やらいでか! 最初はエアーを抜いて……」
プシュプシュと管に残っていた空気を抜いて、ソラがスプレーガンのトリガーを引いた。
薄く、均等に。それを意識して塗料を噴霧していく。マスク越しでも強くシンナーやペンキ、そしてアルコールのような刺激臭がするが、ソラにとっても銀次にとっても慣れた匂いだ。少し塗っては距離を置いて、垂れがないか確認してまた塗る。スプレーガンは二つあったが、同時に使うことはなく交互に確認しながら作業を進めて行った。始めは恐る恐るだったが、二人共すぐに慣れてきたようだ。
「金属の塗面だけど、ちゃんとくっつくね」
「つい同じ場所に多めに吹きかけそうになるな」
「動かしながらってのがやりづらさだよね。でも、鏡面がマットに仕上がってかなりいい感じだよ」
「やっぱちょっといい塗料にして正解だったな。次は上からか」
下からの噴霧が終わると次に、上からの塗装になる。台を使って背の高い銀次が上から慎重に塗装を始める。台から降りると次はソラと交互にスプレーガンを渡し合って薄く、塗装をしていく。途中、一度休憩を挟み、柄井のチェックも経てさらに塗装を行い。その日の塗装は終了した。
「うわーあっつい」
「ソラ。流石に更衣室いけよ」
「え? うん、今度はインナーも着替えるからちゃんと更衣室いくよ」
銀次の言葉の意図を理解せずに更衣室へ入るソラである。
「まったく、どうしてそう言う所はズボラなんだか……」
銀次がため息をつくと後ろから柄井がブースから出てきた。
「うん、バッチリ。なんか教えがいなないね~。エキポシは乾燥に時間がかかるから今日はここまででだね。明日の地塗りで色付けて、一旦引き取りかい?」
「ですね。色を付けてソラが絵付けをして最後にトップコートで仕上げです」
「手間かかってんね。何のためにしてんだっけ?」
「……夏休みの宿題? っすかね」
「ハッハッハ、手間と金かかりすぎ、でもいいね。そういうの好きさ」
「何のお話?」
着替え終わったソラが更衣室から出てくる。
「どうして作品を作ってるのかって桃井っちに聞いたら夏休みの宿題だっていうからおかしくてね」
「銀次とお付き合いして初めての夏休みだったから、特別な作品が作りたかったんです」
「ブッ、言うのかよ」
隠さずに言うソラに今度は銀次が顔を赤くする。
「かぁ~、暑い、暑い。俺も彼女に会いたくなってきたよ。作品は温度調整して置いとくからまた明日ね~。つっても俺はこれからも仕事なわけだけど」
「ありがとうございました」
「うっす、お疲れ~。っと、忘れてたお嬢がお昼おごるってさ、なんか話があるらしいよ」
そう言って、柄井はカバーオールを半脱ぎした状態でブースを出て行った。
「なんかそんなこと言ってたな」
「お昼ちょっとすぎちゃったけど、待っていたら悪いし行こうか」
「だな」
外に出ると、温い風が吹きつけてくる。それでも、閉所での作業を数時間行った二人にはとても心地よかった。事務所へ戻ると、美沙が二人を出迎えた。
「待ってたわ。塗装は上手くいった?」
「柄井さんにしっかり教わったおかげで上手く言ったと思います。明日もよろしくお願いします」
銀次が礼を言うと、美沙は胸を叩いて応じた。
「任せといて、じゃあ、ご飯でも行きましょうか。この前のオムライス屋さんでどう? あそこならゆっくり話せるしね」
「いいっすけど。結局話って何ですか?」
「着いてからね。ソラちゃんも今日は奢るから遠慮しないでね」
「は、はい」
作業疲れでテンションが常時に戻っているソラは、エネルギッシュな美沙にやや圧倒されながら頷く。
こうして三人でいつか行ったオムライス専門店に再び行くことになったのだった。
次回更新は月曜日です。余裕があれば合間に不定期で更新が挟むかもしれません。
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