己との戦い
早朝の5時半に銀次は商店街の前に自転車で向かう。夏の太陽はせっかちで街はもう明るくなり始めていた。夏休み前と同じ待ち合わせ場所で待っていたソラが銀次に向かって大きく手を振る。ソラは学校指定の赤茶のジャージにキャップを被っていた。ちなみに銀次は紺のジャージを前開きで腕まくりをしている。
「おはようソラ」
「おはよう銀次。アハハ、なんだかちょっと懐かしいね」
持ってきていたリュックを背負い直してソラが駆け寄って来る。
「ホントにな。んじゃ、この時間に空いている業務スーパー行くか」
「うんっ!」
笑顔で頷くソラ。この場所での待ち合わせは懐かしいはずなのに、どこか新鮮さとでもいうような違和感があった。
それは二人の関係が進んでいるからかもしれない。などと銀次が考えていると、ソラが不思議そうに銀次を見上げる。目線を会わせて銀次は自分の違和感の正体に気づいた。
「どしたの?」
「……なんか、ソラ可愛くなってないか?」
「ブハッ」
盛大に吹きだすソラ。こういう所も随分表情豊かになったと思う。それに手の振り方やちょっとした仕草も女子らしくなっていた。いつも一緒にいるので気づかなかったが銀次から見てソラは確実に女子として魅力的になっていた。
「髪が少し伸びただけだよ。まったく、いきなり何言うのさ……あれ?」
「どうした?」
今度はソラが首を捻る。
「銀次、かっこよくなってない?」
「そんなわけないだろ」
「いーや、絶対カッコよくなっているよ。ボク、記憶力だけは自信があるんだ」
少なくとも自分はソラのように変わっていないと思う銀次だが、ソラはスーパーに着くまで銀次のカッコよさを語るのだった。スーパーに着くとソラがメモも見ずに籠に材料を入れていく。
「鶏肉が3kg、ジャガイモ15個、玉ねぎ10個、ニンジン8本。ルーが大体5箱……少し多めだけどこんな感じかな。あと、トマト缶もあった方がいいよね」
「多くて困ることはねぇから大丈夫だ。というか、そのリュックには何が入ってんだ?」
「ハチミツや仕上げ用のスパイスだよ。時間があれば、カレーベースから作りたかったんだけどね」
「おいおい、なるべく買ったもんだけで報告しなきゃいけないんだぞ。領収書の分しか請求できないし」
「大丈夫だよ。ぶっちゃけ、買ったきりで使うのに困っていたものがあるし、ハチミツなんかこのためだけに新しく買っても絶対余るから、ちょっとしたものは家にあるものでいいと思うんだ」
「ソラがいいならいいんだけどよ。なんかやけにやる気じゃねぇか」
「ま、まぁね」
ソラがやる気であるのは理由があった。それは『学校で銀次の彼女アピールをする大作戦』である。
京都や中学の後輩など銀次の周りにそこはかとなく女子の姿が見えているような気がするので銀次と仲の良い斎藤を始め、学校の皆に自分が銀次の彼女であることをアピールしようと考えていたのである。その為に、まずは美味しいカレーを作ろうとフンスと鼻息荒く気合を入れるソラなのだった。
買った材料をスーパーに置いてある無料で使える段ボール二つに保冷剤と一緒に入れ、それでも入りきらない物は籠に入れることでなんとか自転車に詰め込む。乗ってこぐのは流石に危ないのでカレーの作り方を話しながら歩いて学校へ向かう。校門へ続く坂道にたどり着く頃には日差しはきつくなり、アスファルトから熱気が上がってきていた。家庭科室は校舎の一階あるので自転車でグランドの脇を通って家庭科室の前に自転車を置く。
「すでに熱いな……待ってろ、すぐに斎藤へ連絡いれるからよ」
「うん、早く材料を中にいれないとね。段ボール、軽い方は持つよ」
うっすらと汗をかいたソラが風通しを良くするためにジャージの前を開けて段ボールを持ち上げる。
銀次がスマホで連絡を入れると、すぐに斎藤と他クラスの野球部一年がやってきた。ソラはいつものように銀次の背に隠れて少しだけ顔を出しているが相手が斎藤だと気づくとちゃんと前に出てきていた。
「すまん銀次、材料とかは俺達も一緒に行って買うって伝えとけば……」
「「……」」
走ってやってきたと思えば、銀次達の前で止まる斎藤と他男子。
「いや、近いし自転車を使えば問題ない……ん?」
「お、おはよう斎藤君……あれ?」
斎藤達がフリーズしてしまったので、変な間が流れる。
数秒止まっていた斎藤が再起動し、他男子も動き始める。
「す、すまん。ちょっと呼吸をするのを忘れてた」
「大丈夫かよっ!」
「……お水飲む?」
微かに震える膝を抑える斎藤を見て肩を掴む銀次。ソラも心配そうにのぞき込んでいる。
「大丈夫だ、少し寝不足なのかもな……おっと、先に家庭科室の鍵を渡しとく、荷物運べばいいか?」
視線を明後日の方向へ向けながら鍵を差し出してくる斎藤。後ろの他男子も視線を斜め下に向けていた。
「いいって、これくらいなら俺とソラで十分だ。一年はグラウンドの整備とか準備あるだろ?」
鍵を受けとった斎藤達を送り出そうシッシと手を振る。
「大丈夫だ。今、三年が全力でやってるから」
「ダメじゃねぇか! トンボ奪ってでも一年でやらなきゃダメだろ! つーか、夏季合宿なのに朝から三年も来てくれてんのか、後輩想いの良い先輩じゃねぇか」
場合によるが基本的に野球部などの運動部では後輩が練習の準備をするようになっている。上下関係を叩きこまれている銀次としては信じられない返答だった。
「そ、そうだな。行ってくる。あと、前キャプテンと副キャプテンの母親が手伝いにくるらしいから……」
「いいから、さっさと行ってこい。先輩に準備なんてさせるなよ」
「わかった。その先輩からの伝言なんだが、練習前の朝礼で挨拶したいそうなんだが大丈夫か?」
「挨拶? 別にいいけどよ」
「わかった。じゃあな、髙城ちゃん!」
ソラと視線を合わせて二人で頷く。その様子を見てギクシャクしたまま斎藤は今だ喋らず何しに来たのかわからない他一年をつれて戻っていく。
「わかった。じゃあな、髙城ちゃん!」
「う、うん。気を付けて……美味しいカレー作るからね」
異様な雰囲気の斎藤達に圧倒されて、彼女アピール作戦を完全に忘れているソラである。
「どうしたんだアイツ等……まぁいいか、おっと、すまねぇソラずっと段ボール持たせたままだな。扉開けるぜ」
「軽いから大丈夫だよ」
横開きのアルミ扉を開けて二人は材料を家庭科室へ運び込んだのだった。
※※※※※
「メディーック! 急げ一年が負傷だ! 何か苦いものを持ってこい!」
肩を組んで支え合いながら、なんとか戻った斎藤達一年三人は缶コーヒーを与えられ、校庭にある日除けの屋根がついたベンチに座り込んだ。すぐに他の部員も集まって来る。ちなみにだが、本来の合宿では一年が先に到着して準備をおこない、二年が後から来るのがこれまでの流れだが、今日に限っては全員が、なんなら本来来なくていい引退したはずの三年までもがフルメンバーで揃っている。
「同志斎藤、何があった。髙城ちゃんに比較的慣れている君ならばと送り出したのに、なぜそれほどのダメージが……」
「中沢キャプテン……」
弱弱しく斎藤が先輩を見上げる。
「俺はもうキャプテンじゃない、ここでは同志と呼んでくれ斎藤。……何があったんだ?」
オールブラックス最古参メンバーでもある三年の中沢は日焼けした手で斎藤を揺さぶる。
「髙城ちゃんが……ジャージだったんです……」
「キャップもしてて……」
「つーか、顔めっちゃ小さい……」
ザワ…ザワ……。交錯する視線、いくら熱狂的な推しのジャージ姿と言っても、学校では見ている姿である。部員、否、団員達はそこまでのことかと困惑する。
「それは予想されていたはずだ。ジャージ髙城ちゃんを見て変な声を出したり、おかしな言動にならないように、慣れている一年のお前等を行かせはずだ……」
「グッ……説明を……させてください。まず、予想よりも可愛かったんです!」
「馬鹿な……」「嘘だろ」「元々くっそ可愛いじゃん」「夏祭りを乗り切った斎藤が……」
「夏祭りからわかっていましたが、髙城ちゃんの成長は留まるところを知りません。女子らしさというか銀次に対する甘え方からして次元が違う……俺達は校門で必死に挨拶運動をしていた時の髙城ちゃんを知っているからこそ、その成長があまりに尊い……」
ジャージ姿が運動部特効になっていることは予想されていた答えだが、夏休み中に色々と経験し、女子力を磨き続けていたソラの成長を感じて感情が爆発してしまった斎藤達。しかし、彼等がダメージを受けた理由は他にもあった。
「挨拶をした時のことなんですけど、ジャージが前開きだったんです。下はいつも通りのシャツだったんですが……」
「うむ」
一年同志で目を合わせて頷き合う。
「その……段ボールを持っていて、髙城ちゃんは段ボールに……乗っけてたんです……俺は、髙城ちゃんに対してなんてことを……」
変な所で男子だった時の感覚が残っているソラは、段ボールを持つ際に、何も考えず無防備に胸を段ボールに乗っけていたのだ。それが斎藤達に止めを刺した一番の理由であった。推しに邪な視線を送ってしまったことにより、一年達は罪悪感に苛まれダメージを負うことになっていた。
「斎藤、自分を責めるな。あれは見ちゃう」
「つーか、銀次はなんで無反応なんだ。俺達とは精神の構造が違うのか? あそこまで徳を積まないと彼女はできないのか?」
一年達がなぜダメージを受けたのかを把握した二年と三年は、さらなる真実に衝撃を受けた。
「……え? 髙城ちゃんってそんなにあるのか?」
「嘘だろ……今日は桃井と楽しそうにしている髙城ちゃんを遠くから見守りつつ、カレーを食べる為に来たのに……どういうことだよ……」
絶望的な戦力差に膝をつく野球部一同、しかし、一番早くに立ち上がったのはやはり三年の前キャップ、中沢だった。
「落ちつけっ! このままだとせっかく来てくれた髙城ちゃんが、また男子に対して怖い思いをする可能性がある。俺達は鉄の自制心を持って、今日を乗り越える。そうだろっ?」
「先輩……」
「中沢……へへ、大会中よりも輝いてるぜ」
こうして中沢の喝で持ち直した野球部達は、この後の二人への挨拶にむけて円陣を組んで気合を入れたのだった。
「それはそれとして、髙城ちゃんに邪な視線を向けた一年はギルティな!」
「「「え?」」」
「当り前だろうが!」「許せねぇ、俺、許せねぇよ」「うらやま……ゲフン、ケジメは必要だろうが」
こうして、銀次とソラがカレーを作る裏で、野球部達の己の自制心との戦いが幕を開けたのである。
次回は月曜日更新予定です。
いいね、ブックマーク、評価、していただけたら励みになります!!
感想も嬉しいです。皆さんの反応がモチベーションなのでよろしくお願いします。