熱中症にご注意
作業場のスペースを大きく使って溶接が始まった。クランプと呼ばれる固定具を使って支柱となるポールの下部に小さなパーツを引っ付ける。二人の作品はポールの下側は小さく丸い泡をイメージした円盤がひっつき上部に行くにつれて広がり、ハートの形になるものだった。大きなパーツをつけるとそれが邪魔になる為、小さなパーツから取り付けていく。
「じゃ、行くぞ」
「う、うん」
銀次は被るタイプの溶接マスクを下げる。ソラは片手で持つタイプのマスクで後ろから覗き込む。
ティグ溶接独特のガスの匂いがして、深呼吸をした銀次が溶棒とトーチを引っ付けた。
背中越しでも伝わる集中と緊張、始まってしまえば止まることはない。慎重に一つのパーツをくっつける。さらに回り込んで一つ、一つくっつけていく。円盤が重なる部分や補強部分はスポット溶接も使い、作業を進める。
アルゴンガスの匂い、耳に残る音、マスク越しにみる光。
「わぁ……」
工場は必要を形にする場所だとソラは思っていた。工場見学も何度も行っていたし、ある程度理解していると思っていたが、この距離で自分達の作品を形にしている過程は知らない景色の様に見える。
五感の全てが刺激されて、自分の中に落ちていくようだ。『描く』ではなく『創る』。
トーチの灯りは魔法の杖の先で、それを握るボクの恋人は多分魔術師だったりするのだろうか。
全部記憶して、全部描きたい。ソラにとってそれはため息がでるほど美しい光景だった。
「よしっ、ここまでだな。確認するぞ」
「うん」
溶接の跡は虹色のようになっており、ソラが見る限りは綺麗に溶接されているように見える。角度に関してもややずれている所もあるが図面通りであった。二人してチェックをしながら作業を進めていく。
何度目かの溶接が再開され、最後の下部パーツが取り付けられた。ソラは銀次の後ろ姿をじっと見ていた。
「うっし、今日はここまでだな。いい感じじゃねぇか、チェックして片付けるか」
銀次がマスクを外して肩を回す。振り返ると、ソラはマスクを装備したまま固まっていた。
「ソラ? マスク外していいぞ?」
銀次が近づいて、ソラのマスクを外すと顔を真っ赤にしたソラが焦点の定まらない目のまま固まっていた。
「熱中症かっ!」
「ち、違うよ。ちょっと集中しすぎただけで……」
気が付いたソラが急いで否定するが、明らかにフラフラとしている。
「馬鹿っ、さっさと冷やすぞ!」
「わ、銀次!?」
足元が定かでないソラを銀次は横抱きに持ち上げる。いわゆるお姫様だっこだと数秒遅れてソラは気づく。
「ひゃわああ!」
「大人しくしてろ」
工場での熱中症は冗談抜きで危険な状況である。そのことをよく知る銀次は急いで事務所までソラを抱えて行った。
もちろんその道すがらオッサン達にバッタリ目撃されて、心配したオッサン達が後ろからぞろぞろと付いてきて場は騒然となった。
「救急車を呼ぶわ!」
「大丈夫ですってば、ちょっとふらついただけなんですって」
状況を確認した事務のおばちゃんが救急車を呼ぼうとするのを動けるようになったソラが全力で止める。実際のところ過集中状態による影響が大きいが軽度の熱中症のような症状ではあったので、ソファーで横になり休憩することでその場は落ち着いた。熱中症の対応になれた工場ということもあって経口補水液や氷嚢が大量に提供される。作業着を少しはだけさせている為、事務のおばちゃんはパーテーションを設置してその中でソラは強制的に横にされていた。
「大丈夫かソラ?」
普段からは想像もできないほどにうろたえている銀次を見てソラはクスリと笑う。
「大丈夫だって、というか、空気に当てられてふらついただけなのに熱中症だって言うんだもん」
「似たようなもんだろ。ったく、肝を冷やしたぜ。いいか、もし頭痛が続くようなら病院行くぞ」
「元々頭痛何て無いし、すでに回復してるけど……」
「いいから、休憩しとけ。しんどかったらおばちゃんに言えよ。俺は片付けに行ってくる」
「ボクも……」
起き上がろうとするソラを銀次が抑える。見上げた先に銀次がいた。その真剣な表情にまたドキドキしてくる。
「ダメだ。寝てろ、顔も赤いぞ」
「……銀次のせいだもん」
「あん?」
「わかったってば」
これ以上はまた熱中症みたいになりそうだとソラが視線を横にずらす。片付けを終えた銀次が戻ると、パーテーションは片付けられていた。居ずまいを正したソラがおばちゃん達に囲まれている。
「大丈夫かい? 社長に送ってもらえばいいんじゃないかい?」
「本当に大丈夫なんで……あっ、片付け任せちゃってごめん銀次」
銀次に気づいたソラが立ち上がる。
「それはいいけどよ。歩けんのか?」
「もちろん。余裕だって」
心配する銀次の背中を押すソラ。帰り際に心配をかけた作業員達に挨拶をして、工場を出てすぐの場所にある桃井宅に戻る。
「ただいま、ソラが熱中症で倒れそうになってた」
「……わかった」
銀次と同じく工場育ちである哲也の対応も迅速である。すぐにソラを居間に座らせて自分は経口補水液(レモンハチミツ味バージョン)を作ろうとしていた。そして銀次は氷嚢を準備している。
「違うってば! もうお腹タプタプだからっ!」
全力で止めるソラ。実際、工場でこれでもかと水を飲まされていた。おばちゃんに対して銀次を見つめていたら集中しすぎたとは口が裂けてもいえないソラである。
「帰りはタクシーの方がいいな」
「そうだね。兄貴、送ってあげて」
「おう、ちょっと風呂はいるぜ。俺も大分汗かいたからな」
「……もう好きにして。あと、心配かけてごめんなさい」
というわけで、少し休憩をしてタクシーで帰ることになった。家に着くと、二人は家に入る。
ソラはすぐにシャワーを浴びる。ここに来てようやく銀次は安心したのか、風呂上がりのソラに牛乳を差し出した。
「ほれ」
「ありがと……プハー」
シャツに短パン姿と無防備なソラから目を逸らす銀次。
「じゃ、帰るぜ。今日は休めよ。明日の溶接は――」
「絶対に行く。次は気を付けるから……」
コップを置いて、腕を引っ張るソラ。銀次は苦笑してその頭を撫でる。
「わかってるって、俺ももっと小まめに休憩いれるからな」
「うん、それと……今日はありがとう。迷惑かけてゴメン。でも嬉しかったよ」
「こっちは肝が冷えたぜ」
「うん、ちょっとこっち」
「なんだ?」
ソラが銀次を引っ張ってソファーに座らせると、むぎゅーと膝立ちで銀次を抱きしめる。
「そ、ソラっ!?」
「ずっと抱きしめるの我慢してたんだ」
「……」
風呂上がりのソラの香りと柔らかさに思考停止する銀次、次は自分が熱中症になるんじゃないか。
「ハッ、このままイケるのでは!?」
「させねぇからな! 今日は休んでろ!」
このままだと、陥落する日も近いと思う銀次なのだった。
次回は月曜日更新予定です。
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