心配性の彼女
それは変な空間だった。少なくとも銀次は味わったことが無いものだった。参加する人たちは歓談を続けているし、こちらを見ている何人かも露骨にこちらを見る者は少数だ。しかし、会場中から視線が集まるような圧迫感を感じる。何かをしながらでも会場の人間に見られている。興味なんてないというそぶりをしながら、実際は気になってしょうがないと言っているようなものだ。どこから来ているかわからない注目は居心地が悪い。ソラが人見知りになるのも納得だと銀次は心の中でため息をついた。レオナは抱いていた雅臣の腕を離し近づいてくる。華やかでありながら、少しスモーキーな香水の匂いがした。
「素敵なドレスね、可愛いわ。横のボーイフレンドを紹介してくれるかしら」
ソラが銀次を見ると、銀次は前に出て頭をやや下げた。
「桃井 銀次っす。髙城さんとは先月からお付き合いさせていただいています」
「やぁ、来てくれて嬉しいよソラ。そして桃井君レオナがどうしても君に会いたいと言っていてね」
雅臣が機嫌よく握手を求め銀次が応じる。雅臣の方は威厳がある風貌なのにどこか人なつっこい雰囲気だが、レオナは違う。相対した者に警戒心を抱かせるような、それすらも利用して魅了してくるような不思議な雰囲気だった。銀次はレオナを見て、ヒョウのようだと感じた。
美しいが近づきたくはない。
それが銀次がレオナに感じた印象である。見かけは確かに愛華に似ているが、自分がこれまで合ったことのない相手だ。
「……若い子に見られるのは悪い気はしないわね」
「っと、すみません。イテッ」
つい、見てしまっていた。見惚れていたわけではないが、こっそりとソラに踵を蹴られる。
横を見ればジト目で睨みつけられていた。
「ハハハ、仕方ないさ。レオナは美しいからね。だが、ソラも美しい。前に見た時よりも確実にレディーとして成長している。愛華もだが将来が楽しみだよ」
「そうね。四季の家に相応しいわ。そうだ、折角だから『皆』でお話しましょう。パーティーが終わったら上の階のレストランで集まりましょう」
「それはいい。そういうわけで、ここでは食べ過ぎない様に頼むよ二人共。愛華にも伝えておかないとね」
「え、えと、今日中に帰ろうと思ってて……」
「すみません。ちょっとやることがあるんです」
二人はそういうが、レオナは態度を崩さない。
「スイートを準備しているのに? 好きにすればいいけれど移動で疲れてしまうわよ。ソラ、いつも言っているでしょ?」
「……『ゆっくり進む者が確実に進む』。いつも言われているわけじゃないですけど」
「そうだったかしら、忘れちゃったわ。じゃ、後でね。……皆さんも姪をよろしくお願いします。『ソウスケ』の娘ですから関わりのある方もいらっしゃるでしょう」
「うむ、華道会なら本当は兄さんの方が詳しいからね。しかしレオナ……まぁ、いいか。頼んだよ桃井君。また後で」
二人の反論はさらりと流されて会話が終わる。間の取り方が上手く、この場での会話はすでに難しい。すでにレオナと雅臣には人が集まってるのだから。銀次とソラは顔を見合わせる。
「掴み処の無い人達だな……」
「うん、話してて疲れるよ。終電、間に合うかなぁ」
机に並べられていたスモークサーモンとチーズが乗ったクラッカーを口に放り込み、ソラは脱力したかのように銀次にもたれ掛かる。すると二人の元に参加者が寄って来た。
「レオナさんが姪と言っていましたが、もしかして髙城 宗助氏の娘さんですか? あのイベントプロデューサーの?」
20代だろうか、清潔感のある男性だった。ソラは銀次の後ろに隠れて少しだけ顔を出す。
「確かに父はそういった仕事もしていますけど……でも、四季の家からは出てますし……」
「いえいえ、四季の家とは関係なくお父様のことは度々話題になっております。娘がいらしたとは知らなかった、以前彼が複数のアーティストを集めて行った展示は見事でした……あの? どうかされましたか?」
「……」
ソラの父親のことでテンションが高くなった男性が詰め寄るがソラは完全に銀次に隠れてしまう。
「すみません。こいつ、人見知りなんです」
「それは失礼なことをしてしまった。では、貴方に名刺をお渡ししてもよろしいでしょうか?」
「すまない。私も話してもいいかな?」「私も興味があるのだけど……」「愛華さんのように絵は描かれるの?」「是非挨拶を――」
一瞬で人垣ができる。最初は頑張ろうとしたソラだったが、人が集まって来ると恐怖が勝って銀次の背から出てこなくなった。そんなソラの肩を銀次は抱き寄せる。
「すんません。こいつ、調子が悪そうなんで失礼します!」
よく通る声でそう言うと、やや乱暴に人を掻き分けてソラを連れて会場を出る。階を上って周囲に人がいないことを確認すると、ラウンジの椅子にソラを座らせた。備え付けの自動販売機でオレンジジュースを買ってソラに差し出す。
「ほい、大丈夫か? 何か飲んどけ。……ったく」
眉間にしわを寄せる銀次を見てソラは申し訳なさそうに肩を竦める。
「ご、ごめんね」
「ん? あぁ、いやソラは悪くねぇよ。あのオバサン、こうなることをわかってて人を誘導しやがったな」
「そうなの?」
少し落ち着いたソラが両手でジュースを飲みながら銀次に尋ねる。
「よくわかんねぇけど、周囲の注意を引きながら呼びかけてこっちに人が集まる流れを作っていただろ。……親父さんのこととか話題にしてたしな」
「な、なるほど。……お父さんって意外と有名なんだね」
「知らなかったのかよ?」
「ネットで検索しても名前とかが偶に出てくる程度だし、てっきり四季の家に援助してもらいながらぶらぶらしているのかと思ってた。……知りたいとも思わなかったし」
言いながらソラは自分の横をペシペシと叩く。どうやら座れということらしい。
銀次が隣に座ると、ソラは頭を寄せる。
「ありがと、さっきはちょっと怖かった。ああいうの苦手だよ。愛華ちゃんの付き人していた時は自分に対して何か言ってくる人なんていなかったのにね」
「そう言う意味ではあいつの才能だろ。俺だって四季みたいに振る舞うのは無理だぜ」
「でも銀次はちゃんと話せていたし凄いよ。ボクが銀次だったら逃げてたね。……そういえば銀次、レオナさんに見惚れてた……」
ちょっと元気になったソラが銀次の肩に顎を乗せる。
「見惚れていたっつうか、得たいの知れない人だって警戒してたんだよ。あの会場にいた人間に共通するけど、皆何考えているかわからなくて気味が悪いな。思っていることと言葉がちぐはぐな感じだぜ」
「大体自分のことしか考えてないよ。それありきでコミュニケーションしていると思う。よくわかんないけどね」
「ソラでもわからないのか」
「人のことはわかんない。やっぱりロボは正義なんだよ」
「なんつうか、どうしてソラが人見知りになったのか分かった気がするぜ」
見える物ならば、全てわかるのに。見えないからこそ人の機微は難しい。慣れた相手ならばちょっとした変化も見逃さないが、それでも、その奥底で何を考えているのかわからない。人並み外れた記憶力と観察眼を持つがゆえに理解できないことへのそれは通常よりも大きいのだろう。
「うん、でも見えなくても信じたいものが今はあるよ」
ジュースを机に置いて銀次の手を握る。ソラの手はひんやりとしていた。
「そうだな」
「でも、浮気は許さないから」
「この流れでなんでそうなるんだよ」
カリカリと指先で銀次の手の甲を掻く。
「パーティーのエスコートもボク以外の人にしちゃダメだからね」
「そんな機会ないっての。というか、やっぱ四季が言った挑発を気にしてんのか? あれは向こうも本気じゃないだろ」
「ほんとかなぁ、見えないから心配なんだよ。だから……信じさせて」
目を閉じて顎を上げるソラ。
「……わかった」
一応周囲を確認してから銀次は心配性で嫉妬深い、愛しい彼女へキスをした。
あけましておめでとうございます。本年も二人をどうかよろしくお願いします!!
次回更新は月曜日となります。
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