母との遭遇
玄関で桃井母と遭遇したソラは、しばらく沈黙していた。銀次に母親と呼ばれた女性は鋭い目つきで威圧感のある高身長の女性だったが顔立ちは整っており美人と言えるだろう。良く焼けた肌にウェーブのかかった茶髪を雑に縛っており、タンクトップから伸びる腕はしなやかながらもしっかりと筋肉がついていた。
口をパクパクとしているソラと焦る銀次を交互に見て桃井母がポンと手を打つ。
「あんた、もしかして美沙が話していた銀次の――」
「お袋、こいつは――」
桃井母と銀次の言葉が重なるが、ソラの大きな声が被さる。
「初めまして、髙城 空といいます!! 銀次君とお付き合いをさせていただいています!!」
耳まで赤く染めてバッと頭を下げて、ブンと顔を上げる。
「へぇ、今時なかなか見ない気合の入った挨拶じゃないか。気に入ったっ! アタシは銀次の母親の桃井 燈花だ。好きに呼べばいいよ」
ニッと笑い親指を立てる燈花。
「は、はい」
「話したいことは色々あるけど、まずは腹ごしらえだね。銀次っ! 女に荷物を持たせままだよ、さっさと荷物受け取りな。まずは腹ごしらえだ。ソラちゃんも食べて行きな。銀次は料理が上手だからね」
「……わかったよ母さん。ソラ、荷物預かるぜ」
「ううん。銀次は座ってて……燈花さん」
「なんだい?」
「キッチンお借りしていいですか?」
「ほう……言っとくけど、あたしは料理にはうるさい女だよっ!」
「いや、魚焼いては炭を作るような料理オンチだろ」
ヒートアップする女性二人に銀次がツッコミを入れる。
「黙ってな銀次、彼氏の家で母親に料理を振るまうってのはね。女にとっての宣戦布告なのさ。その意気やよし、やってみな!」
「が、がってんしょうち」
「……初対面なのに仲よさげだな」
という具合に燈花の了承を得て、ソラは台所に突撃して料理を始めた。銀次が手伝いを申し出るが。
「大丈夫。絶対、お母さんに認めてもらうからっ! 今日は一人で頑張るよ」
そう言って、銀次を居間に押し戻す。完全に順序を間違えているようだが、混乱したソラはとにかく全力で頑張る方向に舵を切り、燈花は悪乗りをしているようだ。
ちゃぶ台にならんで座る燈花と銀次。燈花は居間から台所を見て、その手際の良さに眉間に皺を寄せる。
「……銀次」
「あん? なんだよ?」
「あの子、どうして鍋や包丁の位置を知ってるんだい?」
「……」
無言で返答する銀次。
そんなことを話していると、料理の合間にエプロンをつけたソラがお盆にお茶を乗せて運んできた。
「あの、先にお茶をどうぞ。冷えてますから」
「いや、あんた……」
「すぐに素麺茹で上がりますから、あっ、あの、苦手な付け合わせとかありますか?」
「ないけどさ」
「りょ、了解です」
バタバタと走って台所に戻るソラ。小気味よく包丁で野菜を切る音が届いてくる。
燈花はそんなソラの後ろ姿を見ながら茶をすすった。
「えっ、美味しっ。何これ? 良い香り……というか、飲んだことないレベルなんだけど?」
「この茶に慣れると、パックの茶が飲めなくなるからな」
急須を使い、熱湯で淹れたお茶をロック割のように上質な氷で冷やすことで香り高くまろやかになっている。お茶好きな銀次好みの味であり、ソラがわざわざ静岡から仕入れた茶葉で淹れたものであった。
ほどなくして、緊張でガチガチの様子のソラが料理を運んできた。
「お、お待たせしました。おつゆと薬味を持って来ます」
青色の切子ガラスの器に、一口サイズに巻かれた状態で笹の葉と一緒に盛りつけらえた素麺が運ばれる。
薄く切られたスダチが乗せられ、見た目も鮮やかに盛り付けられていた。先に素麺が入った器を置くと他の料理を取りに一旦台所へ戻るソラ。
「……えっ、お店みたいじゃないか、というかこんな器知らないんだけど……ふぅん、物が良いね」
「俺も知らん。さては、あいつまた勝手に買ったな……」
隙あらば銀次に貢ごうとするソラなので、普段から銀次がそうさせないようにしているのだが、いつのまにか高級な切子細工の器を購入していたらしい。学校からここまで持ってきた様子は無いので、桃井宅にこっそり置いていた可能性が高いと銀次は推測した。ソラはすぐに戻ってくる。
「薬味にミョウガとネギ。あと、付け合わせにピーマンと塩昆布の和え物です」
当然のように、銀次が把握していない焼き物の皿や小鉢に料理が乗せられている。陶器に入っためんつゆからはカツオ出汁がぷぅんと香っていた。明らかに市販のそれではなく、当然のように手作りであることがわかる。これに関しては昼ごはんについて銀次がリクエストするであろうものをある程度予想していたソラが、前日から仕込んでいた出汁で作ったものだった。料理を運び終えたソラは緊張した面持ちで銀次の横に正座する。
燈花は薬味を使わず、素麺を掬いつゆにつけて一気にすすり、目をカッと見開いた。
「とりあえずっ!」
「は、はい」
「何だ?」
「……食べてから話す」
そう言って燈花は今度は薬味をつゆに入れて猛然と食べ始る。
「俺達も食うぞ、全部食べられかねないからな」
「良く食べる人なんだね。おかわり茹でようか?」
「……そうしてくれ。すまんな」
結局その後、素麺を追加で茹でて食べきったことで昼食は終了し、片付けを済ませると改めて三人はちゃぶ台を挟んで座った。
「いやぁ、食べた食べた美味しかったよ。それで銀次?」
「なんだ?」
燈花は目を細めて銀次を睨みつける。
「ソラちゃんは随分うちの台所に慣れているようだったけど、お前、他所様の娘さんを家につれこむとは何事だい? お天道様に恥ずかしくない生き方をしろと普段から言っているだろう」
「あっ、それは元々銀次はボクのことを……」
男装していたことをソラが話そうとすると、銀次が目線でそれを止める。
「……言い訳はしねぇ。責任は取るっ」
「ふぇ!?」
銀次の言葉にソラが顔を真っ赤にする。
「ガキが馬鹿言うんじゃないよ。ソラちゃん、酷いことはされていないかい?」
「さ、されてないです! されたって大丈夫ですっ!」
「いや、ソラ。それは大丈夫じゃないだろ?」
「大丈夫だよ。あの、燈花さん。ボク、銀次のこと本気で好きなんです。銀次も……その、ボクのことを好きでいてくれると……」
尻すぼみになるソラの手を銀次は握った。
「心底惚れてる」
「……っ」
まっすぐに燈花を見て、そう言い切る。
「……向こうの親御さんに挨拶しなきゃね。フンっ、ちょいと突いてみたが、ほんの数か月見ない間に男らしくなったじゃないか」
燈花は銀次とソラを豪快に抱きしめる。
「うっぷ、お袋。息が」
「むぎゅ」
「母さんと呼べって言ってんだろ。まったく、可愛い息子に料理上手の彼女ができたなんて、最高じゃないか。金一にも伝えなくちゃね」
照れた銀次が無理やり燈花の腕から脱出する。
「そういや親父は?」
「営業先のトラブルを対応しているよ。アタシも実はまだ県外で用事があるんだけど、美沙の仕事の都合で戻ってきたから、ついでにあんたとテツの顔を見に家に顔出したってわけさ。だからあたしは寝るっ! 夜には出て行くよ。金一はアタシがいないと寂しがるからね」
「寂しくなるのは母さんだろ。そろそろソラを離してやってくれ」
抱きしめられたままのソラ呼吸困難に陥っていた。
「おっと、ゴメンよ。それと変な因縁つけて悪かったね。アタシも母親っぽいことしてみたかったのさ。それと……」
燈花がソラの耳に口を寄せる。
「多少ハメは外していいけど、節度は守りなよ」
「は、はいっ」
燈花は満足そうに頷き、大きく欠伸をして自室に行くのだった。
次回の更新は月曜日です。
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