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比べられるということ

 祝日の為休校となった日の朝、駅前へ向かうバスの中でソラは大きく欠伸をしていた。移動しながら銀次と『おはよう』のIINEを送り合った後に目を擦る。昨日もみっちり勉強をして、その後深夜までテストの問題集を作っていたのだ。


「……ねむ、問題集作り、ちょっと頑張りすぎたなぁ」


 年季の入ったデニムのオーバーオールを裾を曲げて穿き、トップスは女性物の少しダボっとした白いシャツを着ている。靴はメッシュ生地のボリュームスニーカーでゴツい靴が好きなソラにとってお気に入りだった(ソールが厚いのでちょっと背が高くなることも気に入っている)。男装していた時から愛用していたオーバーオールだったが、今は髪型やトップスのおかげでボーイッシュではあるものの、しっかりと女子の印象を与えている。なによりも、身だしなみを気にし始めたソラは本人が思う以上に魅力的であり、休日のバスの中で注目を集めていた。


『公園前、公園前。降りの方は足元にご注意ください』


「着いた。んしょっと」


 鞄を担ぎ、スマフォで支払いを終えてバスを降りる。時間はまだ朝の7時だが、すでに日は高く日差しは照り付けてくる。歩くこと五分、目的地に着いたようだ。

 そこは、少し背の低いビルの二階で『アトリエ・M』という看板が掛けられている。入り口は狭いが中は意外と広いようだ。『美大合格者百名突破』と書かれたポスターを横目にソラは慣れた様子で受付に向かい、この画塾の会員証を提示した。


「おや、ソラちゃん。久しぶりだね……今日はずいぶんと可愛らしい」


 白髪にベレー帽。丸メガネを書けた高齢の男性がケラケラと笑う。


「お久しぶりですシゲ先生。色々あって……もう、あの格好はしなくて良くなったんです」


「そうかい。……こうしてみると別人だ」


 丸メガネの奥の瞳は黒目脳のようにキラキラとしている。『見る』ことに人生を費やした絵描きの観察眼にソラは少したじろいだ。


「いや、先生は中学の時のボクを知っているでしょ? 男装していたのは半年とちょっとだし、そんなに変わっていないと思いますけど……」


「前に来た時は一か月前だったかな? その頃よりも、中学の時よりも、ずっと変わった。うん……調和がとれているように感じる。綺麗になったね」


「……あ、ありがと、ございましゅ」


 中学生のころから通っていた画塾であり、ソラにとっては数少ない話をする相手であったが流石に正面から褒められると照れてしまう。


「どういたしまして。それで、いつもみたいに作業場を使うのかい?」


「えっと、今日は作業じゃなくて、久しぶりに講義を受けたいです」


「今日の講義は上級者向けのデッサンだよ。油彩じゃないし、比較もやるけど大丈夫なのかい?」


「はい、テスト前なので、油彩は時間がかかるから丁度いいです。……比較も挑戦してみようかなって思います。急な参加ですけど大丈夫ですか?」


「うちは僕と家内しかいないからそんなの適当適当。他に来る子達も、美術予備校の間に来ている子達がほとんどだからね」


「廊下に美大合格者多数って書いてましたけど……」


「箔がつくでしょう? ほら、入った入った」


 カラカラと笑う老人に促されるままに手前の広い教室へ入る。中は大きな紙を敷くホルダーとそれを置く架台が並べられていた。すでに教室には数人ほど生徒がおり、全員がソラより年上のようだった。

 実はこの画塾、予約なしで参加できるという雑なシステムと近所に美大の予備校があることが理由で、現役生よりも時間に余裕のある浪人生が多く受講しているのだった。


「んしょっと」


 周囲に人がいない場所に荷物を置いて、エプロンとアームカバーを出したソラが準備を始める。

 しばらくすると、他にも生徒が入って来た。ソラはいつも通りに人見知りを発動して一切目を合わさないように紙面に向き合っている。

 

 入室した生徒は開いている席を探して教室を見渡す……そのほとんどがソラを見て一瞬静止していた。


『えっ、なんかめっちゃ可愛い子がいるやん!!!!』


 それが生徒達の心の叫びだった。ちなみに男子と女子の割合は2:1程度である。まったく興味を示さない者もいるが、ほとんどの生徒の間に緊張走る。実はそれなりの生徒が過去にこの画塾でソラと一緒に受講しているが、高校に入学する少し前から最近に至るまでの男装期間があるせいで現在のソラと結びついていない。

 その為、浪人生から見れば、『見知ったライバルしかいない画塾に美少女がいた』という状況である。予備校の課題に終われ、夢と現実の瀬戸際に追い詰められている浪人生たちにとって、あまりに衝撃的なことだった。意外なことに男子よりも女子の方が混乱している。


『えっ、何あの子。なんでこんな所に……』


『現役生だよ。絶対そうだよ……初めて見た……怖っ』


『いや、うち等も元々は現役生だから。通って来た道だから。予備校でもみるじゃん。あぁ、でも眩しい……直視できない!』


『むかーし、この画塾に人形みたいな銀髪の子がいたって噂は聞いたけど……』


『……絶対に負けない』


 ソラに聞こえないように最小限の声でそんな会話をしながらソラの周りに座る。

 シゲ先生が教室に入ると教室はピタリと静かになる。時間は午前八時半。


「はい、今日は石膏デッサンね。今日の石膏は単純だから、制限時間は五時間です。その後比較批評を行います。最初だけ、描き方のコツを説明します」


 部屋の前に彫の深い外国人の石膏が置かれる。シゲ先生がポイントを説明し終えると、生徒達は慣れた様子でデッサンフレームや鉛筆を取り出して架台にホルダーを立てて書き始めた。ソラに意識が行っていた生徒達だったが、課題を与えられた瞬間に真剣な表情になり絵と向き合い始める。


 教室には絵を描く音のみが聞こえる。それはとても小さな音であるはずなのに強く響いていた。


 ソラは誰よりも遅く書き始める。一度書き始めると、その手を止めることも、石膏を確認することもしない。それは描くというよりはまるで白い紙面から鉛筆で石膏を削りだしていくようだった。


 午後四時半。書き終わった絵が先生に比較され出来の良い順番に並べられる。ソラの絵はもっとも出来のよい左上に置かれていた。その事実に何人かの生徒は強く歯を食いしばる。抽象的な表現の入りづらい石膏デッサンでは純粋な技術力が現れる。言い訳のできないその差が、そこにはあった。


「はい、では寸評ね。……上位の一列は頭抜けてますね。下の列との違いは、明部の立体をどれだけしっかりかけているかですかの。ここに大きな差がある。今日の一番は髙城さんだね。この絵を見れば髙城さんがどの席に座ってどんな風に石膏を見たのかはっきりわかるほどに、明暗の再現に優れている……少し前までは、見たものを見たようにしか描いていなかったが、『こう見えた』という訴えができるようになったね。良いことです……さて、次は――」


 先生の言葉を受けてソラに注目が集まる。羨望、嫉妬、興味、様々な感情が込められた視線を受けたソラは居心地が悪そうに、体を縮めながら受け止める。

 寸評が終わるとソラはダッシュで荷物を片付けて教室を飛び出して行く。話しかけようとしていた幾人かの生徒はタイミングを見失い、顔を見合わせた。


「あの子、ヤバすぎでしょ……書き始め遅かったのに、一番早く書き終わっていたもんね」


「まぁ、偶にいるよねああいう化け物。あれで見た目も可愛いとか、神様不公平すぎ……まっ、上ばっか見てもしょうがないし、気合を入れ直すしかないか。今年こそは美大に受からないとマジで実家に強制送還だから」


「シゲ先生が前よりも良くなったって言ってたけど、昔からここにいたっけ?」


「子供の部じゃない? ちっちゃかったし。比較は拒否していたとか?」


「一部はアンタよりデカかったわよ」


「胸の話をしないで……」


「なぁ、あの子、ちょっと話題になったこの子じゃないか? 妹が同じ学校でさ」


 女子達が話し合っている中に男子がスマフォを持って割り込む。そこには、いつかの服屋で撮ったワンピース姿のソラの画像が映っていた。


 ……一方ソラは比較の際に浴びた視線のダメージにフラフラしながら、なんとか銀次の家に到着していた。チャイムを鳴らすとエプロンをした銀次が出てくる。


「おう早かったな、今日はチャーハンだぞ……どうした?」


 鞄を持って俯くソラの様子を見て銀次が心配そうに顔を覗きこむ。


「ぎ、銀次ぃ~」


 ガバッと涙目でソラが銀次に抱き着いた。


「こ、怖かった。でも頑張ったから褒めてっ!」


「……何があったんだ?」


 怪訝な顔をしながら銀次はしっかりとソラを受け止めて、頭を撫でる。

 居間から顔を出した哲也は玄関先で抱き合う二人を見て、うんうんと頷いた後、一人で食器の準備を始めるのだった。

次回の更新は多分月曜日です。更新が間に合わなかったらごめんなさい。


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奴隷に鍛えられる異世界生活

― 新着の感想 ―
[良い点] 本気で何かに打ち込んでる人間は人の足を 引っ張ろうとは思わないですよね。 ここにいる人達は学校でソラちゃんに ちょっかいかけてた愚か者達とは 違うと信じたいですね。 [気になる点] 一般人…
[良い点] そら調和も調和、完全調和ですよ。 この内何人が実は知り合いなんだろうねぇw
[良い点]  一般視点入ると物語全体の雰囲気が落ち着く印象。  狭い世界の出来事ばかりだと広がりがないからね。 [一言]  奇才天才には近寄らないに限る。  銀次?あのファミリーもある意味奇才だからな…
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