バッティングセンター
少し薄暗い地下通路を通って駅裏に出る。歩いてすぐの場所にバッティングセンターはあった。
周囲に背の高い建物が増えているのに、そこだけは時代に取り残されたように古臭い。錆びたベンチの前に置かれた灰皿、日の高い夏の夕方でもどこか影のあるような照明は虫を呼び寄せている。塗装の禿げた壁と補修して新しくした屋根がひどくアンバランスで、店の横には不用心にエナメルの鞄が突っ込まれたままの自転車が数台止まっていた。
「ここはいつきてもボロいな。というか、あの屋根……塗り直したのはいいが、なんで黄色なんだ?」
「おぉ、いい雰囲気だね。こうなると冬場の静かな少し暗い場面が見たいな。銀次、ちょっと周りを見てもいい」
「ん? いいぞ。といっても、ボロいだけだぞ?」
「錆や色の劣化は人工物と自然の融合であって、説得力のある歴史なんだよ。このいかにも無駄な作り……いいっ、凄くいい! 退廃的に見えて、どこか活気があって……自転車がたくさんあるからかな、賑やかな『絵』だよ。このギャップ……推せる!」
どうやらソラはレトロなバッティングセンターに心を奪われたようだ。危なっかしい足取りで周囲をぐるりと回り、銀次はそれを苦笑しながらついて歩く。建物の横を見てから入り口に戻ると、銀次が扉を押して開ける。油が刺されているのか扉はスムーズに空いた。このバッティングセンターは屋内型で、天井と壁にネットが張られているだけの簡素な作りのようだ。各ボックスは金網で仕切られていて後ろにパネルがありお金をいれるようだ。手前のボックスでは中学生が数人で大声で笑いながら利用している。
「おっ、今日は空いてるな。ついてるぜ」
片手をポケットに入れた銀次が手際良く、小銭入れる。
「ここって人気なんだ? 銀次は慣れてるんだよね。先にやって見せてよ」
「おう、彼女にかっこいいとこ見せないとな」
慣れた手つきで古びたパネルを操作した銀次は一番端の速球ボタンを押した。
「早いのいくんだ。大丈夫?」
「速球っていっても軟式で130キロくらいだし問題ないぜ。じゃ、行ってくるわ」
ボックスに入った銀次は、金属バットを握って構える。中学生達の喧噪が少し遠くに感じるような集中の時間。ピッチングマシーンが稼働し始める。独特な音が響きボールが投げられると金網に引っ付いてソラはその迫力にびっくりしてのけぞる。
窮屈そうな姿勢から振られたバットは驚くほど自然な軌跡を描いて甲高い音を響かせ、ボールが白い線を空に描く。
「……わぁ」
次に弾が投げられるまでの数秒間を体が覚えているかのように、銀次は焦ることなく 再び構え直していた。
「っし、話を聞かれたことめっちゃ恥ずかしかった打法っ!」
「……まだ恥ずかしかったんだ」
隣のボックスに人がいないことをいいことに銀次が叫びながらボールを打ち返す。
投げられた15球の全てを綺麗に打ち返した(ようにソラには見えた)銀次がボックスから出て、息を吐く。
「二球ほど詰まっちまったな。ありゃ、アウトだ」
「そうなの? 凄かったよっ! かっこよかった! こう、体の重心が動いてパワーになるのがわかって、凄い……美しいと思ったっ!」
「美しいって……ハハッ、ソラらしい感想だな。まっ、ここのバッセンは昔からよく来たからなこれくらい余裕よ。次、やってみるか?」
手をブンブン振って、銀次のスイングを真似しようとするソラがピタリと止まる。
「えと、球が速くて……ちょっと怖いかも。でも、頑張る」
「その意気だ。初めは中速でいいだろ、90キロくらいだ」
「一番遅いのがいいのでは?」
パネルの前でアワアワしながらソラが銀次を見ると、銀次はソラの頭を撫でた。
「ここの遅い球はマジで遅いから変化球の練習用だ。一番打ちやすいのが中速なんだよ、まっ騙されたと思ってやってみろ。失敗してもいいからさ。金を入れる前にボックス入って見ろ。コツを教えてやんよ」
「うん、こんな感じなんだ……」
おっかなびっくりボックスに入った、ソラはバットを持ち上げる。
「構えてみな」
「えーと、こんな感じ?」
「マジか……」
体の大きさが違う為に違和感はあるものの、ソラの構えは先程の銀次の構えをほぼ完全に模倣している。
「こりゃ、話が早いな。その姿勢きついだろ?」
「うん、太ももが……プルプルする」
「もうちょい足伸ばしていいぞ、楽な位置でいい。そんでバットは振るんじゃなくて、ボールが通る場所に置きにいく感じで早目に振れ、なんなら早すぎるくらいでいい。もう少しベースから離れても大丈夫だ。始めは怖いからな。一度振って見せてくれ」
「よいしょっ!」
堂に入った構えからふにゃんという音が聞こえて来そうな遅いスイングが繰り出される。
ソラとしては、銀次とは比べ物にならないものだが、銀次はパンと手を叩いた。
「いい感じだ。じゃあ、そのまま立ってろ。始めるぞ」
「えっ、まだ全然できてないよっ」
「いいから、初め一球は振らずに球筋を見て、二球目から思いっきり振ってみろ」
プチパニックになるソラだったが、ピッチングマシーンは無慈悲に稼働を始める。
低い風切り音。
「うわっ、おぉ、あのロボかっこいい……」
完全に腰が引けているが、ピッチングマシーンの動きと球筋を頭の中で何度も反芻したソラは、再び構え直す。続く二球目でバットを振るが、空振り。
「さっきと違う場所に来た……」
「そういうもんだ。タイミングは合ってるぞ、頑張れっ!」
金網の後ろから銀次が声をかける。応援を受けたソラは唇を結んで構える。
そこから四球は空振りに終わり、五球目で球がバットに当たる。ボテボテのピッチャーゴロだが、当たったことが嬉しくてソラは笑顔で振り向く。
「やった、当たったよ! 銀次っ!」
「いいぞっ! 次が来るから気を付けろ」
「やらいでかっ!」
その後、追加で三球ほどピッチャーゴロを打った所でソラの初めてのバッティングセンターは終わった。
「意外とでけた。でも、もう力が入らないよ」
ボックスを出て二人でハイタッチをする。
「初めてなんだろ? 十分すぎるぜ。多分、あと何回かやれば普通に打てるようになりそうだけどな」
「いやぁ、これは見かけによらないと言うか、普通に楽しいねっ! またやりたいよ」
「いいもんだろ? ジュース奢ってやんよ。飲みながら帰ろうぜ」
店内にある少し珍しい銘柄の缶ジュースを買った二人はベンチに座る。
「ジュース、空けてもらてってもいい?」
「おう……大丈夫か、絵を描くのに支障とかありそうか?」
「あるわけないじゃん。もっと痺れるかと思ったけど、全然平気だったよ。これは緊張とバットを振ったせいで筋肉痛になりかけなだけ……ボク、引きこもりがちだし」
缶ジュースを受け取ったソラは、両手でチビチビとジュースを飲んでいる。
「小学生でもやってるから大丈夫だとは思ったが、女子と来るのは初めてだから心配になったんだよ。異常があるならすぐに言えよ。いい医者知ってんだ」
「女子とは初めて……エヘヘ」
「何笑ってんだ?」
「だって、ボクって銀次の初めての彼女で、バッセン来たのも初めてで、そういうのとっても嬉しいなぁって思うんだ」
「……」
「照れてる」
そっぽを向いた銀次の赤い耳を確認して、ソラは腕を組んで体重を預ける。
結局、電車を一本逃してしまった二人なのだった。
※※※※※
その日の夜。哲也が風呂から上がると、銀次が部屋の机に向かっていた。
作業をしていたようで、ちょうど片付け終わったようだ。
「手入れしてたんだ。この匂い、懐かしいね」
「今日ソラとバッセンいってな、ちょっと中学の時を思い出したんだよ。じゃ、俺も風呂入るわ」
銀次が部屋が席を立つ。哲也は机の上を見て目を少しだけ細めた後に自分のベッドに入ったのだった。
新年あけましておめでとうございます! 本年もよろしくお願いします!
一日に更新できなくてすみません。次回は月曜日更新予定です。
いいね、ブックマーク、評価、していただけたら励みになります!!
感想も嬉しいです。皆さんの反応がモチベーションなのでよろしくお願いします。