第102話 テイマーのもとへ【アリソン視点】
三つの塔は港から見たときは遙か高いもののように見えたけれどそれは山の上にあったからで、実際にはそれほど大きくない。それでも島が一望できる高さがあって、ペネロペは頂上にある特等席を知っていた。
「ここからの眺めが好きなの」
確かにきれいな景色だった。すでに日は傾きかけていて、空は徐々に赤みがかっている。島の縁から先にある雲海は赤の中ではより陰影が際立って、遙かに続く草原のようにさえ見える。
港についたとき島全体が大きな山のようだと思ったが、それは島の片側が隆起しているだけで、反対側はなだらかに下って平原のようになっていた。そのほとんどが農地だが、木々が生えて森のようになっている部分もある。アリソンは素朴な疑問を持った。
「これだけの農地で食べ物は足りるの?」
「足りない……というより足りなくなった。人口が増えたのもあるけど、土地が減ったのもある」
アリソンはビーが言っていたことを思い出した。
「島が崩れ始めている」
「そういうこと。魔力を持つ者がそれを止めて、島を救ってくれるとみんな思ってる。この島は魔力で成り立ってるからね」
「だから魔力至上主義者がたくさんいるんだ」
ペネロペはこっくりと頷いた。魔力を持つ者が島を持ち上げて、崩壊を食い止めてくれる。救世主を待ち望んでいる。
アリソンは先ほど謁見の間で赤ら顔の男が一瞬アリソンに軽蔑を向けたのを思い出した。
「あの人たちって、テイミングも嫌ってるの?」
「うん……、結局自分の魔力じゃないから。テイミングで得た魔力なんてまがい物だと思ってる」
アリソンは頷いて、そういえばと思い出して尋ねた。
「王様……あなたのお父様はいつもあんな感じなの?」
「あんな感じって?」
「ぼうっとしてるって言うか」
「ああ……」
ペネロペは少し考え込んだ。
「いいえ。でも最近はずっとそう。お母様が亡くなってからあんな感じなの」
「それは……お悔やみ申し上げます」
ペネロペは首を横に振った。
「もう五年も前のこと何だよ? 私は引きずりすぎだと思う。私もいるのに……」
王妃を心の底から愛していたんだろうとは思うが、彼女のいうことも最もだと思った。
そのあともペネロペに城を案内してもらった。この城のもっとも重要な部分は上に伸びる塔ではなく下に伸びる地下施設。島が浮いている理由もそこにあると言う。
「私は一度しか見たことないけどね。ものすごく大きな人工魔石があって、それで浮かんでるみたい」
人工魔石のある部屋に入れるのは役人ばかりで単なる庶民であるアリソンどころかペネロペだってそう簡単に入れないらしい。何かそこに崩れている原因がありそうだとアリソンはなんとなく思った。
ペネロペが最後に連れてきたのは彼女の自室だった。塔の上階にあるその部屋には目を見張るほどの本がずらりと並んでいた。床にも何冊か積んである。
机の上には開いたままの本が置いてあって、腕を置く場所だろうか、机の一部の塗装がはげている。そこでアリソンはああと気づいた。
「その肘当ては、机に腕をこすりつけるからつけてるの?」
変な姿勢で本を読んでるのかな。それか貧乏揺すりみたいな癖があるのか。
ペネロペは「え?」とつぶやいて自分の肘を見る。顔がだんだん赤くなる。
「読書用の服を着たままだった! 恥ずかしい!」
「金魚鉢みたいなかぶり物してる私のほうが恥ずかしいと思うけど」
アリソンが言うとペネロペは一瞬固まって、それから笑った。
「不格好仲間ね」
ペネロペの蔵書は相当なものだった。図書室もあるらしいけど、そこからも盗んできているらしい。誰も彼女を咎められないから好き勝手やってるんだなとアリソンは苦笑した。
と、そこにノックがあって、ペネロペが出る。立っていた女性は黒を基調にした服装だったが、他のメイドよりもう少し洒落っ気がある。パーソナルメイドと言う単語が頭に浮かぶ。
「ペネロペ様。やっと戻られたのですね。ロジャー様がお待ちですよ。……もしやその服でお客様とともに外出していたのですか」
ペネロペは「うう」と呻いた。女性はため息を吐く。
「アリソンごめん、急用が入っちゃった。婚約者と会わないと。お話はまた今度」
婚約者なんているんだ。自分より精神的に幼いんじゃないかと思っていたからなおのこと驚いた。
なかば部屋を追い出される形で廊下に出ると、部屋の中から「早く着替えてください!」とペネロペが急かされる声が聞こえてくる。
「大変だね」
「ペネロペとメイド、どっちが?」
コルネリアは笑ってそう言った。
翌日になるとかぶり物をようやく外せるようになる。体が気圧と空気の薄さに順応して、部屋の中を歩き回ってもふらつきすらしない。テイミングをする前にあの変な格好をやめられてほっとした。
ビーに連れられてきたのは、城から一つだけ外側の郭にある建物。城に近いこともあってその区域は、島の中でも位の高い、役人や金持ちが住んでいるようだった。ビーはそんな中を気にした様子もなく進み。一つの家の前で立ち止まる。この区域の中で一番小さいのではないかと思う。本当にただの家。魔力至上主義者たちに嫌われているからだろうか。
アリソンはビーのほうを見た。
「ここなの?」
『そう。テイマーの中では私が知る限りもっとも優秀な人の住む家』
門から中に入る。庭はしっかりと手入れされている。ビーは玄関のドアをくちばしでコツコツと叩いた。家の中でゴトゴトと音がして、一人の青年が出てくる。黒髪の短髪でアリソンより頭一つ背が高い。よれたシャツを肘の上までまくっていて、血管の浮き出た筋肉質な前腕が見えている。グリーンの力強い目がアリソンとビーをじっと見つめている。
「グリフォン? まさかビーか?」
『ええ。そうよ。大きくなったわね、テディ。十八? 十九?』
テディと呼ばれた青年は無表情のまま、ビーの頭をガッシとつかんでわしゃわしゃなでた。ビーは嫌がって数歩下がる。
『やめなさい! いっつもいっつも!』
「ああ、悪い」
テディは手を離すと表情一つ変えずにそう言った。なんと言うか反応が薄い。表情も乏しい。あまりにも顔が動かないものだから、目と口だけ動く人形なんじゃないかと思い始めた。多分肌にまったくしわがないのは若さのせいだけじゃない。動かさないからだ。
この人が優秀なテイマーなのかな、と思ったらどうやら違うみたい。
『あなたの師匠は?』
「ああ……、旅に出た。一ヶ月くらい前だ。探さないでくれって書き置きが」
ビーは深くため息を吐く。
『あの人また……』
「しばらく帰ってこないな」
それは困る。アリソンは顔をしかめた。テディはその様子を観察するように見たあとぶっきらぼうに言った。
「それで、何しに来たんだ」
『あなたの師匠にテイミングを学びに来たの。これじゃあだめじゃない。どうしようかしら。ねえ、どうしたらいいと思う?』
ビーはじっとテディを見た。彼の反応を待つように。あなたが教えなさい、という無言の圧力。
が、彼は気にした様子もない。
「諦めるしかないな」
ビーは深くため息を吐いた。
『そうね。あなたはまだ未熟だものね。人に教えるなんて到底できっこない』
そこで初めてテディの眉間にしわが寄る。表情筋なんてまったくなく、皮膚が動かないと思っていたのにくっきりと眉根が寄せられる。彼は先ほどよりワントーン低い声で言う。
「そんなことはない。そろそろ独り立ちしてもいいと師匠には言われてる」
『でも、まだここにいて、魔物の世話をしている。師匠は一人旅で自由を謳歌してるのに、あなたが留守番してるのは、まだ未熟だからじゃないの?』
テディの眉間にはますますしわが寄る。そんなこと言ったら絶対怒るじゃん。アリソンは止めようと口を挟んだ。
「ちょっとそこまで言うこと……」
『もしも、あなたが人にテイミングを教えられるなら、アリソンで証明しなさい。そうすれば私も師匠に独り立ちの口添えをしてあげる』
ビーからの最後の一押し。テディは深く息を吐き出すと腕組みをしてアリソンをみた。彼は固まる。体幹がしっかりしている騎士たちと似て、ただ立っているだけなのにふらつくことがない。両足をしっかりと地面につけて、どちらかに体重が偏ることもない。表情だけでなく体も微動だにしない。アリソンは周囲の空気まるごと固まってしまったのかと思った。呼吸をしても肺に空気が届かないのではないかと思うほどに。
しばらくしてテディが小さく息を吸って、ようやく空気が動きだす。遠くのほうで鳥が羽ばたく音がする。
「わかった。テイミングを教えてやる。ただし俺は忙しいからな。教えられるのは少しずつだ。それにそんなにすぐ身につくものでもない。わかったな」
アリソンは頷いた。が、ビーは咳払いをして、
『あなたそんな偉そうな態度だと萎縮するでしょ。ちゃんと教えないと口添えしないわよ』
「ああ、わかった」
テディは深くため息を吐いた。
次回更新は土曜日です。