閑話 馬
馬はまだ名前がない。
若者は名前が必要だと思っているのだが、似合う名前がなかなか見当たらない。
名付け自体は特に老人にも、馬にも断られなかった。
なので、ブレダン家からの帰り支度の最中、皆で考えてみた。
アイナス「ペロリセン」とか?
「ヒヒン…」
老人「ゲゴルクエル」とかどうかの。
ブルブルブル。
若者は、見た目は馬だが、中身は絶対に馬ではないだろうという感じがしている。
その感覚に釣り合う名前があればいいのだが。
「実はもう名前があったりするのかな?」
若者が馬の背中を軽く撫でながら話しかける。
すると馬は、「今は特にないので、良いのをつけてくださいよ。」という雰囲気を醸し出す。
若者は、相変わらずのやたら具体的な雰囲気を感じ取りつつ、今は、ということは昔はあったのかな?とも思いつつ、「頑張って考えるよ」と言葉を交わす。
そして老人に、
「馬の名前って、何か法則的なものってあるんでしょうか。」
と聞いてみた。
すると老人ではなくアイナスが、
「オスの馬なら最後に「ド」とか「ダ」をつけて、メスなら「ネ」とか「ヌ」とかつけるの多いですけど、厳密ではないですよ。」
と答えてくれた。
若者は、ペロリセンはかなり良いと思うんですけど…と言っているアイナスを横目で見つつ、借りている屋敷の一室の本棚に目を止める。
そして、何か名前の参考になるものがあれば、と物色を始める。
すると物色を始めてしばし、一冊の本が目に留まる。
「おお、その本か。懐かしいの。」
「古い本なんですか?」
「魔導初心者用の教本でな、まあ、それほど昔ということでもないの。」
「今も使われているんですか?」
「いえいえ、今はこれですよー。執筆編集改稿改竄捏造すべて師匠一人で作った、最強の教本です!」
といってアイナスが持っているのは、中々豪華な装丁の、厚めの本である。
改稿はさておき捏造は流石にまずいのでは…と思う若者だが、流石にそこはアイナスの冗談だろうと思うことにして、折角なのでアイナスから借りてパラパラとめくっていくと、とあるページで手が止まる。
「魔導の中興の祖であるヘリウォードの用いた術式や陣の展開は、主に正確さと速さを重視しているが、実際の戦いではあえて正確さを重要視せずに手数や範囲で押し切ることも多い…そもそも速さに関しても、本人が分かっていても直せなかったと思われる箇所が散見される…」
「ああ、今でも導心ヘリウォードって言ったら、魔導の神様みたいな存在ですよ。」
若者の手元の本を横から覗き込んだアイナスが言う。
「そうなんですね。でもこの書きぶりだと、まるで改善の余地があるかのようで。」
「そりゃもう、師匠が全部検証済みですからね。」
「え?」
椅子に座ってのんびり寛ぐ老人を見つつ、何故かアイナスがふんぞり返りながら、
「魔導に関しては本当にすごいんですよ、師匠は。」
と言うと、「それ以外はただの面倒くさがりのお爺さんですけどね。」と付け足す。
聞こえとるぞ、聞かせてますもん、という会話を聞き流し、改めて老人の凄さの一端を垣間見る若者。
ただ、今はそれよりも気になることがある。
「この、ヘリウォードという方なんですが…」
「なんじゃ?」
「あの馬と関係がありますか?」
「ん?」
「いや、馬の名前の件で…この名前が妙にしっくりくる感じがして…。」
理由があるわけではないが、妙に似合う感じがするのだ。
「そうじゃのう。関係は…多分無いの。」
「導心ヘリウォード自体が数百年以上前の人ですよ。絶対無いですよねー。」
まあ、そうですよね…と言いつつも、何かが引っかかる若者。
しかし、考えても分かるはずもなく、とりあえず、馬がヘリウォードという名前をどう思うか、聞いてみることにした。
すると馬は、
「あー…その名前でもいいですけど…、もう少し考えてもらってもいいすかね?」
という雰囲気を若者に伝える。
そう言われる(言われてはいないが)と、躊躇せざるを得ない若者は、じゃあもう少し考えるよ、と馬に言葉を返すのだった。
そして、
「よくよく考えたら、名前の好みを本気で馬に聞くってあんまりないですよね。」というアイナスの呟きに対しては、素直に同意する若者だった。