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煌々の魔女  作者: フクメイ(シャフツP)
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第4話「静弱」


 気づいた時には走っていた。今から起きるであろうことの全てを理解して、美楽はシスターの治療行為を無視して走っていた。さっき成功したことからくる自信ではなく、自分がやらねばならないという責任感から動いていた。アンナが何かをしようとしていたのには目もくれず、千切れんばかりに両手を広げた。その刹那、眼前に迫りくる爆炎の全てを体全体で受けた。痛みは無かった、五感も無かった、感覚なんてなかった。骨の髄まで焼きつくそうとするほのおのむれにあらがえなかった。しこうはていしした。つなわたりとはこういうものだった。いけにえはじぶんだった。


 もう、”生きて”いなかった。


 全ての衝撃を吸収し尽くした美楽は、ギリギリ人間の形を留めたまま、アンナの前で立ち尽くしていた。その様子に全員が唖然としていた。

 「美...楽......?」

 明らかに無事ではない様相に彼女はゆっくりと歩み寄る。

 「ちぇ、おいおいこんなの聞いてないぜぇ。あーやめだやめ。興を削がれたから帰らせてもらうぜぇ。」

 そういうと何かが飛び立ったかのような物音がし、発電所に燃え盛っていた炎は徐々に消えて行った。しかし、それらのことに思考を裂ける状況では無かった。アンナは、その唇を痙攣させつつ諦観した眼差しで”美楽だった何か”を見ていた。

 「シ、シスター、治療...を...。治療を、早く!急げ!」

 駆け寄ったシスターは、ソレの顔を見て驚愕した。微かに判別できそうな顔つきをしていたが、人間の顔では無かった。今にも崩壊しそうな体を、ゆっくりと寝かしつけて治療にかかる。シスターの能力は死者には通じない。治癒できるということは、まだ生きているということ。少しの希望でも縋りたいくらいだった。それを眺めることしかできないアンナとダーシャは、俯いて祈るしかなかった。

 「あの状況では、どうすることもできなかった。ごめんなさい...。」

 「いや、君の咎では無い。あの時私が後少しでも早くアレを出していれば済んだ話だった。私の責任だ。」

 まるでお通夜状態だった。酷く疲弊した精神は、判断力を鈍くさせる。もし魔人が、あの後も攻撃を続けていたらどうなっていたのだろう。全員がまともにあの場をくぐり抜けられただろうか。

 「アンナ、帰還して。この後の処理は警察機構がやってくれるわ。美楽は、生命状態がギリギリ継続できるまで治療を済まして、後は私が責任を持って病院まで送り届けるわ。後片付けは任せて。...アンナ?聞こえてる?」

 リーリヤの隠しきれていない感情があらわになる。

 「...了解、した。シスター、治療が済んだら知らせてくれ。私は引き続き周囲の警戒をしておく。後はリーリヤがやってくれる。」

 「わかりました!美楽ちゃん...お願い、戻ってきてっ!」

 焦燥に駆られているシスターを背に、アンナはその大きな身体を縮こませていた。圧倒的な力とプライド、責任感を持つが故にその出来事は彼女の心を深く抉っていた。会って間もないが、同じ”魔女”として生贄にされた哀れな人が傷つくことは、自身の信条に反している。

 その時、リーリヤがワープしてきた。その顔は焦りを超えた何かに追われているかの様な表情をしていた。すぐさま美楽に駆け寄り、焼け焦げた右手を握りしめる。踞ったリーリヤは悲しみと苦しみを混ぜた様な呻き声を発していた。

 「ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい...」

 まるで何かの呪文の様に、少女は謝罪をやめなかった。作戦時の冷静さは微塵もなく、今はただ飼い主を失って彷徨う犬猫の様にか弱く哀れな存在に見える。心の拠り所を失った少女は、感情の捌け口を求めて泣き喚く。それは誰から見ても居た堪れない状況であった。特に”リーリヤの過去”を知る者にとっては。

 シスターの治療によってどうにか命はつなぎ留め、完全ではないが多少の火傷は治すことができたタイミングで、遠くから警察・救急車両のサイレンが聞こえてきた。指示通り、リーリヤ以外は一旦権視廟に帰還し、”後片付け”と美楽の護送を行う。


 小柄な少女は、過去の思い出を投影したその人を、大切に抱きかかえていた。



 2095年10月25日(火) 午後2時14分

 目が覚めた美楽は、看護師と医者から軽く問診を受けた後、リーリヤにあの後のことを聞いた。自分以外の誰も被害を受けていないことを知り、胸を撫で下ろした。まだ十分に体を動かしきれない美楽だったが、奇跡的にも命に別状はないということでリーリヤは心底安心していた。

 「本当に無事で良かった。本当に...。心配したんだから。」

 彼女の言葉は若干の涙混じりだった。その様子がやけに愛おしく、同時に申し訳なく感じた。

 「ごめん、なさい。無理を、して。どうしても、みんなを。」

 「わかってる。あなたのことは私が一番理解してるから。ゆっくり休んで。」

 「うん、ありがとう。リーリヤ...。」

 その言葉に今までにない幸福を感じ、すっと目を閉じて眠りにつく。その様子を見ていたリーリヤは、我が子を見るような目で眺めていた。


 「もう、誰も失わない。あなたは私が守る。そうでしょ?□□□。」



 2095年10月30日(日) 午前11時20分

 悪性の能力かどうかは定かではないが、順調に回復していった美楽は、入院から約一週間で退院することができた。もうピンピンしているその様子に病院側も驚きだったが、”魔女”のことを知られるわけにはいかないため、特に何も言わず早々に去った。病院から出ると、リーリヤが迎えにきていた。

 「退院おめでとう、美楽。」

 「ありがとうリーリヤ!わざわざ迎えにきてくれたんだ。」

 「えぇ、伝えたいことがたくさんあるから。あなたの自宅まで送る間に、話しきらなきゃでしょ?」

 「うん、わかった。それで、その服って...うちの学校の制服...。」

 美楽の知っている黒いローブ姿のリーリヤではなく、制服を着こなした少女の姿がそこにはあった。

 「え!?うちの学校の生徒だったの!?知らなかったし見たことないんだけど!?え、もしかして年上だったり...するんですか?」

 「いやいや、あなたと同じ17歳よ。あと、今は休学してるから見たことなくて当然だよ。」

 「へぇ~、でも日本の学校に来るのは珍しいね。普通なら噂になるはずだけど。」

 「両親の仕事の関係でね。そこは企業秘密ってわけで。」

 企業秘密というのがよくわからなくて、曖昧な返事をしてしまう。そして2人は、美楽の自宅アパートに向けて歩みを進めた。

 「まぁとりあえず、今後について話すわね。1つ目は、コード=リンクのことについてよ。」

 コード=リンク。美楽はまだ慣れていないせいで、前回みんなに迷惑をかけてしまった。早速重要そうなことから話は進む。

 「あなたに慣れてもらうために、雫久と一緒に過ごしてもらおうと思ってるの。まぁ簡単に言えば、水原家に長期間宿泊してもろうことにしたわ。」

 「え?」

 全くもって予想外の発言に思わず足が止まる。初めて会った時からまともに会話したことがない。むしろ会話が難しそうな状況だったのに、いきなりほぼ初対面のような人の家に住み込みしろだなんて。

 「雫久の方には既に許可を取ってあるから、準備ができたらいつでも行っていいわよ。後で場所を教えておくわ。」

 「なんで雫久ちゃんはOKしちゃったの!?なんというか、気まずいっていうか複雑っていうか。」

 「まぁ、コード=リンクに慣れてもらわなきゃ今後の活動に支障が出るだろうし、雫久のことをより知って、上手くコミュニケーションを取れる様になることが目標ね。別に悪い子じゃないから、よろしく頼むわね?」

 「指示されたからにはちゃんとやりますよー。うーん緊張してきたな。」

 他人の家に泊まるのは、小学生の時の祖母の家以来久しぶりだ。

 「雫久のこと、よろしくね。それじゃあ2つ目のことを話すわよ。今回の魔人の件なんだけど、初めて対峙したやつだったわ。今まで火を扱える魔人は未確認だったけど、これであいつらは全員揃ったとこちらは予想しているわ。」

 神妙な雰囲気で言葉を繋げていくリーリヤは、既に”魔女”としての顔となっていた。

 「なんで全員揃ったってわかるんですか?」

 「今こちらが確認している魔人は4人。()(うみ)(ほのお)、そして空。人間が古来から恐れてきた自然を具現化した怪物たち。人間を排除することを地球の意思として、地球の代弁者として君臨する災厄。直接人間には手出しできないという制約がついてもなお、人類への憎悪は消えることはない。私たちが相手をしようとしているのはそういう奴らよ。」

 いつの間にか、鋭い眼光で真面目に話していたリーリヤが隣にいた。その目には、心の奥深くに秘めている怒りでは表し難い感情が宿っていた。

 「もしあいつらが揃ったとすると、そろそろ本格的に動き出すかもしれない。いや、もう既に動き出しているかもしれないわ。無理を言っているのはわかってる。だけど、いま一度あなたの命を人類に捧げてほしい。これは、私たちにしかできないことだから。」

 リーリヤは立ち止まり、美楽の方を期待の眼差しで見つめている。それに応える様に、正面から向き合い口を開く。

 「わかった。私は”包括”らしく、”生贄”らしく立ち向かってみせるよ。まだ未熟だけど、守り切ってみせるよ。」

 その誓いを聞いて、リーリヤは安心して顔を緩める。

 「そうこなくっちゃ、ヴィーナさん?」

 ふと笑みが溢れ、また歩き出す。今度こそ、正真正銘”魔女”としての人生がスタートした。


 アパート前に着いた2人は、別れを告げた。

 「それじゃあ、これから整理とか調査とかあるから今日はここでお別れね。明日にはまた招集をかけると思うから、よろしくね?んじゃ、またね。」

 「わかった!じゃあまた明日。」

 歩き出したリーリヤの背中は、少し寂しそうだった。そんな後ろ姿を見送り、階段を上がる。久しぶりの自室にどこか心が躍る美楽は、無意識に「FLower’s SCore」のプレイリストを再生していた。鼻歌に乗せて自分だけの世界に入る。ほぼベッドの上だったせいか、あまり疲労感は溜まっていないし眠くもない。特に何も考えずにぼうっとしていると、久しぶりに聞く声が。


 「あなたの体は一つだけ。替えの効かない魂の容れ物。魔女を選んだからには、その務めを果たして。」


 またもや意味深な言葉を連ねて脳内に語りかけてくる。会話はできないようで、一方的に話しかけてきて、こちらを困惑させて聞こえなくなる。魔女の弊害と思ってあまり気にしないようにしているけど、耳障りとまではいかないものの迷惑はしている。誰かと話している時には来ないからまだマシだと割り切る。明日にはまた招集が来るため、今日はゆっくりしておこう。そう思った。



 2095年10月31日(月) 午後5時3分

 退院明けだったため、学校は休んだ。朝から暇ではあったためいつ招集されても良かったが、雫久が登校していたため放課後からになった。

 権視廟に着くと、リーリヤと雫久が待っていた。

 「体調は大丈夫?」

 2人からの心配そうな表情をいなすかのように軽く返事をする。

 「うん、もう大丈夫だよ。じゃあ話そうか。」

 自分の席に座り、雫久の家への長期宿泊についての話をする。

 「今回は伝えてある通り、美楽に早くコード=リンクに慣れてもらうために、雫久のとこに長期間預けさせてもらうわ。具体的には決まっていないけど、大体1ヶ月から2ヶ月くらいを予定しているわ。あぁ、別に自宅に戻っちゃいけないとかないから、用事があれば帰ってもいいわ。でも、あくまでコード=リンクに慣れてもらうためだから、できるだけ雫久とコミュニケーションを取るように。質問はある?」

 「うーん。あ、なんて呼んだらいいかな?ていうかいくつ?明らかに年下のように見えるけど。」

 あまりの真面目さに欠ける質問にリーリヤと雫久は拍子抜けする。

 「えぇ?まぁなんて呼んでもいいんじゃない?年齢は12歳の中学1年生。あ、確か12月じゃなかったっけ、誕生日。ちょうどいい機会だから、お祝いしてあげましょう?」

 「そーなんですか!?じゃあ雫久ちゃんって呼んでもいいかな?」

 雫に視線を向ける。すぐに目を逸らされてしまったが、首を縦に振ってくれた。

 「よーし決まり!ていうか、そんな年齢でも魔女に選ばれるのはなんか可愛そうというか、酷いというか。」

 「そんなこと言われても、誰かが決めるんじゃないからどうしようもないわ。そう考えると、雫久は結構精神的には十分成熟しているのかしらね。」

 「私よりもメンタル強いんじゃない?普通こんなの耐えられるわけないよー。」

 そう言われて、恥ずかしくて本に顔を隠してしまった雫久を見て、少し愛おしく感じた。

 改めて、今回のことも真面目に取り組もうと決心する。自分のせいで他の魔女どころか人々が危険に晒されては駄目だ。こんな小さな少女までが、魔女の作戦行動の要となるような状況を簡単には容認してはいけない。


 いけない?”包括”なのに?


 何を言っているの。まるで自分の中に2人いるように反発してきた。道徳的、倫理的に反するものは容認してはいけない。自分は人間らしいことは擁しているつもりだ。どうしてこんなことを今一瞬思ってしまったのか。

 いや、忘れよう。



 2095年11月4日(金) 午後4時03分

 放課後、中等部校舎に行って雫久を迎えにいく。久しぶりに入った中等部校舎は、何も変わっていなかった。基本構造は高等部と変わらないため、あまり懐かしむことは無かった。雫久のいる教室に向かう途中、珍しいものを見るかのように何人かの生徒に目を向けられた。高等部の生徒が中等部にいくのはそんなに珍しいことなのか、と若干疑問に思いながら足を進める。

 「えーと、確か7組って言ってたような。にしてもみんな元気だなぁ。」

 ふとグラウンドを見ると野球部員たちの掛け声が聞こえ、同時にトランペットの綺麗な音色が聞こえてくる。昔から変わらないこの学校風景は、一つの日本文化として他区から称賛をよく受ける。日本っぽく言えば、”趣のある”ということだろうか。

 「7組はここか。雫久ちゃーん、迎えに来たよー。」

 開きっぱなしのドアから身を乗り出して中を見渡す。一番奥の窓際で、本を読む少女が目に入る。教室に1人座っている少女に、暮れ出した夕陽の斜線が覆いかぶさり、半透明なカーテンが更に趣深い雰囲気を醸し出す。美しい以外の言葉が出てこない美楽は、思わず見惚れてしまう。黙り込んでいる美楽に気づいた雫久は、本を片付けてバッグを提げる。はっと我に戻った美楽は、雫久が目の前まで来ている事に驚く。

 「あはは~、ごめんね。じゃあ、帰ろっか。」

 頷いた雫久は特に何も言わず歩き出した。それについて行くように美楽は足を動かす。


 道中全く喋らずに歩き続けていた美楽は、少し複雑な感情になりつつも歩き続けた。そうしていると、美楽がたまに買い物に来る商店街に入った。”水原書店”と書かれた看板の前で立ち止まった雫久は、チラッと美楽を見てから店内へ入っていった。外見は少し古めかしく、小規模の書店のようだった。

 「へぇー、雫久ちゃん家って本屋なんだ。とりあえずお世話になるから、親御さんに挨拶しなきゃ。」

 あまり広くはない店内を見渡し、昔の書物ばかりが陳列されているのに気付いた。雫久は、レジ横の扉を開けて中に入っていった。そのままついて行こうとしたら、レジカウンターの中で椅子に座っていた年老いた男性と目が合う。

 「雫久の友達かね?どうぞ。」

 「あ、ありがとうございます。」

 雫久の祖父であろう人物に、許可をもらい扉の先に進む。入ってすぐ右手側に階段があったが、雫は正面のもう一つのドアから外に出ていた。こっち、と言わんばかりのつぶらな瞳で見ていた。ついていくと、狭い路地裏のような場所から奥の住宅へ入れるようだった。こんなところに入り口があるのかと疑問に思っていたら、ふと透明感のある声が聞こえてきた。

 「ここ、裏口。」

 「あ、そうなんだ。って今喋ったよね!?」

 今まで一言も話さなかった雫久が、突然喋り出した事に心底驚く。そんな様子の美楽を無視して、雫久は裏口のドアを静かに開けた。中に入ると、すぐ横にはキッチンがあり、奥にはこたつがちらりと見えた。正面玄関ではなく、こんなところから入っていいのかと心配になったが、すぐに誰かが駆けてくる足音が近づいてきた。

 「おかえり、雫久。あ、お友達きたのね!いらっしゃい、話は聞いてるわ。どうぞ、中に入って。」

 雫久の母親が、丁寧な対応で話しかけてきた。どうやら美楽が来ることは家族共々了承されているらしいが、流石に魔女のことは話していないと思われる。そう考えると、この家族の前では自分はどんな立場でいればいいのだろうと考えつつ、挨拶をする。

 「あ、はじめまして。藤鳴第一学校高等部の、芦花 美楽って言います。ご迷惑おかけするかもしれませんが、よろしくお願いします。」

 「こちらこそ、わざわざ雫久の相手になってもらってありがとうね。さっ、入って入って。」

 失礼します、と言って靴を脱ぐ。こんな裏口から入るのは失礼だとは思うが、それは気にしないでおこう。それに、おそらくこのタイプの母親は世話を焼きたいだろうから、それにしっかり甘えた方がかえって無礼ではないだろうと考えた。

 木造の住宅はどこか懐かしさを感じる。確か祖母の家がそうだったはず。木の香りというか雰囲気というか、木造の建築物は古来の日本という感じがして好きではある。キッチン、リビングを通って階段を上る。案内されたのは”雫久”と書かれた札が掛けられている部屋だった。

 「ごめんねぇ、部屋の空きがなくって。雫久からもOKが出たから、一緒の部屋でいいかしら?」

 「はい!大丈夫です。」

 部屋に入ると、先に来ていた雫久が学校バッグから荷物を出していた。雫久の折れそうなほど細い腕や足を見て、改めてこの状況の異常さを知る。こんなか弱く小さな少女に、人類の命運をかけられていることがおかしい。だが、この事実をどうしようが変えられないことに悔しさを感じる。そう思うと、こんな感情は今までの人生では無かったものだ。自分のことには関心は無かったが、他人に対しては感情を抱けた。でもそれが、何か問題のあることでは無かったが、自分にはどこか関係のないことかのように思っていた。その頃と比べたら、今の自分は成長していると言えるだろう。

 そんなことを考えていたら、突然頭に軽めの衝撃がくる。片付けている雫久から何も言わずにコード=リンクを繋いできた。若干慣れてきたものの、まだ違和感が頭に漂っている。

 (早く、慣れる、ために。常に、繋ぐ。リーリヤさんに、言われた。)

 脳内に直接雫久の声が響く。これがコード=リンク接続状態での会話か、と関心しつつも、自分でも脳内で会話してみる。

 (わかった。あ、ちゃんと会話できてる?これでいいの?)

 (できてる、聞こえてる。)

 深くため息をついた。これくらいの会話をしただけで疲労感が溜まる。これをこの1ヶ月間続けなければならないと考えるとゾッとする。果たして1ヶ月で慣れるだろうか、ましてやこの体は持つだろうか心配する。とりあえず自分の荷物を置く。部屋を見ると、特に何かあるわけでもない質素な部屋。好きなものは何もないかのようにグッズがあるわけでも、特別な小物なども置いていない。少女の部屋はまるで”個性”がないかのような佇まいをしていた。

 「ここ、教えて。」

 いつの間にか自分の机で勉強を始めていた雫久が、脳内に話しかけてくる。どうやらこの調子が彼女の日常らしい。その切り替えの速さに若干うんざりするようなものがあるが、要人であり可愛らしい見た目に心が安らぐものがあるため、そこには目を瞑る。

 

 途中から脳内での会話に疲れて普通に話しかけていた。雫久に数学を教えていると、インターホンが微かに聞こえ、雫久の手が止まる。

 (お父さん、帰ってきた。)

 「あ、ほんと?挨拶しとかなきゃ。迎えにいこ?」

 (私は、いい。ご飯できたら、行く。)

 俯いた雫久は、何かを嫌がっているような顔で首を振った。詮索するのは不味そうな雰囲気だったので、気になりつつも部屋を後にする。ドアを閉めてから、部屋の前で立ち止まる。他人の家族に干渉するつもりはないが、何か引っかかるものがある。単に、雫久が父親を苦手としているわけではなさそうな感じがする。話を聞こうとは思わないが、もしかしたら今後支障が出るかもしれない。とりあえず、そのことは後にしよう。

 階段を降りると、スーツ姿で体格のいい男性が靴を脱ごうとしており、母親が荷物を持っていた。

 「あ、こんにちわ!今日からお世話になります、芦花 美楽って言います!」

 「おぉ、君が雫久の言ってた子かね。ようこそ、水原家へ。」

 渋く年季の入ったような声で、アンナとまではいかないものの180cmはありそうな長身に少しビビる。恐る恐る差し出された手に握手を返すと、その見た目とは裏腹に優しい”父の手”をしていた。こんな雰囲気から雫久が苦手な要素は微塵もないように見える。

 「さぁ、もう少しで晩ご飯が出来上がるから待っててね。」

 上機嫌の母親は、鼻歌を歌いながらキッチンに戻って行った。

 リビングで待っていると、雫久が2階から下りてきた。何の気なしに美楽の隣の席に座り、しばらくの無言が続く。我慢の限界が来たかのように、無意識に口を開いてしまう。

 「あの、さっきのことなんだけどさ。」

 (それは、言えない。)

 「えっ、ご、ごめん...。」

 やはり不穏な空気になってしまって、少し後悔する。できるだけ良好な関係でいたいため、できればこの口を慎んでおけばいいものの、美楽の唇は加減を知らない。気まずい雰囲気になりつつも、笑顔の母親が料理を次から次へとテーブルに並べていく。それを見ていると、余計になんとも言えない空気になる。

 「美楽ちゃん、今日はご馳走を準備したから、いっぱい食べてちょうだいね!」

 「わざわざありがとうございます!うわ~おいしそう。」

 続々と出てくる料理たちに目を丸くして、まだかまだかと待ちわびていた。


 「ご馳走様でした!こんなにも美味しいものをたくさん食べたのは久しぶりです!」

 一人暮らしの美楽は、一般家庭のような料理には疎く、食べる機会は少なかった。

 「一人暮らしなんでしょ?私も20代の頃は一人暮らしだったのよ、色々大変なのよね~。自炊はしなきゃいけないのが一番苦労するところよね~。」

 「そうなんですよー!」

 なぜか雫久の母と美楽が意気投合して話が盛り上がる。人知れず席を立って自室に向かおうとする雫久に、父親が声をかける。

 「もう戻るのかい?風呂に入る時は母さんに言うんだぞ。」

 立ち止まった雫久は、振り返らずに軽く頷いた。再び歩き出した彼女の後ろ姿を、心配の眼差しで見つめる父親は、ため息を漏らした。


 すっかり話し込んでしまった美楽は、既に午後7時を過ぎていた事に気づく。

 「はっ!もうこんな時間になってる!」

 「お風呂は雫久の後に入ってもらってもいいかしら~。」

 「わかりましたー。」

 キッチンで母親の食器洗いを手伝いながら、返事をする。そこで突然、後ろから渋い声が聞こえてきた。

 「すまない、美楽くん。雫久が風呂に入っている間に話したいことがあって、いいかな?」

 「あ、いいですよー。」

 何の話をされるかは大体想像がついた。まだ、初日だと言うのにそんなことを聞いてもいいのかと思ったが、自ら話すと言うのだから、それを聞く他ならない。別に仲が特段悪いわけでもないだろうし、過去に何かがあった系の話だろうと予想する。でも、現段階で具体的に何があったかは想像できない。

 「あなたには、雫久のことを知る権利があるし、私たちからもお願いしたいことがあるからねぇ。」

 隣で片付けをしている母親から呟くように聞こえたその言葉は、美楽の手を止めさせた。



 一人暗がりの中で少女は、腕枕をして何もない質素な壁を見つめていた。自分が犯した過ち、あの悲惨な情景、咎められない罪、全てを塞ぎ込んだ少女は、心の拠り所を失った。慰めて欲しいわけでもない、気にかけて欲しいわけでもない、共感して欲しいわけでもない。行き場を失った怒りと悲しみは、少女の中から忽然と姿を消した。そして、人類の命運さえも背負えるほどに、その少女は他に何も無かった。同情なんて歪なものは聞き飽きた。自分を世紀の悪役に仕立て上げたくなる程の重圧を、その小さく何もない心で抱え込み、少女は涙を流した。






 常闇に満ちたその壊れかけの建造物は、あらゆる自然の住処になっていた。

 「おい、空の刻さんよぉ。新人の魔女が入ったってんなら情報くれたっていいだろぅ?なぜ教えなかったぁ。お陰でテンション爆下がりなんだぜぇ?」

 機嫌の悪そうな自然から火花が飛び散った。

 「あら...伝えるのを...忘れていたわ...。ごめんなさいね...。」

 小柄で物静かな自然が謝罪をする。

 「ごめんなさいぃ?こちとら魔女4人も仕留め損なったんだぁ。何か詫びがあってもいいんじゃないかぁ?」

 機嫌の悪そうな自然は、小柄で物静かな自然の腕を手荒に掴む。

 「てめぇみたいなガキは不味そうだが、どうだひとつ喰われねぇか?」

 そこに冷静沈着な自然が仲裁に入る。

 「やめなさい、そもそもあなたが勝てるお方ではない。」

 機嫌の悪そうな自然は、掴んだ腕を乱暴に払い除けた。

 「ちっ、えらそーにぃ。」

 冷静沈着な自然が忠告をする。

 「我々は仲間ではない、一種の同盟のようなものだ。みな目的は同じだが、そのための手段は違う。それを心得て置きなさい。」

 機嫌の悪そうな自然は、地べたに座り込む。

 「へいへいお真面目さんよぉ。だが次は失敗しねぇ。あいつらなんざ俺一人で十分だぁ。」

 小柄で物静かな少女はクスクスと笑い出す。

 「あなた...面白い人ね...。あ、人では無かった...わね...。」

 機嫌の悪そうな自然は、炎の鎌を小柄で物静かな少女の首元に突きつける。

 「口に気を付けろ、ガキ。空だかなんだかしらねぇが、舐めてると肉片残さず焼き尽くすぞ。」

 またもや小柄で静かな少女はクスクスと笑い出す。

 「せいぜい...精進してね...応援してるわ...。」

 歩み寄ろうとした冷静沈着な自然を手で制して、小柄な少女は囁く。

 「あのお人形さん...どんな面白いことを...してくれるのかしら...。楽しみだわ...。」

 更に機嫌が悪くなった自然は、舌打ちをして闇夜に消えていった。


 小柄で静かな少女は呟いた。

 「”完成された”あなたと...早く会いたいわ...。ふふっ。」

 常闇に満ちたその壊れかけの建造物は、未だそこに立っていた。




 第4話 「静弱」  終



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