第9話「それは、相容れない」
昔々、あるところに”魔女”がいました。その魔女は、深い森の奥に1人でのんびり暮らしていました。しかし、近くの村の人々は彼女のことを嫌っていました。何もしていない彼女を悪人に仕立て上げ、忌むべき対象として恐れていました。
ある日、その森に1人の少年が迷いこんでしまいました。魔女は、その少年を快く受け入れてあげました。おいしい料理をご馳走し、服を縫い直し、暖かい毛布を用意しました。魔女は、少年を大変気に入り、少年も魔女は怖くないものだと信じるようになりました。
翌日、少年は家に帰って家族にそのことを話しました。すると家族は、その日のうちに少年を教会へ連れて行き、地下牢屋に閉じ込めました。それでも少年は頑張って牢屋から抜け出して、あの魔女のところへ向かいました。その話を聞いた魔女は、酷く悲しみ憤りました。追ってきた村の人々を焼き殺し、自分の家に少年を保護しました。村の人々は、少年が魔女の生贄になったんだと考え、説得を諦めました。
少年は村の人々を恨み、魔女の弟子になると決意しました。魔女は少年に魔法を教え、共に自給自足の生活をしました。物覚えの良い少年は、徐々にいろんな魔法を覚えて上手く使えるようになっていきました。
それから十年ほどが経ちました。少年は青年になり、魔女は少し歳をとっていました。その頃、村の人々だけの言い伝えだった魔女の存在が国にまで知られ、国防軍が魔女の森に派遣されました。森に火をつけ動物たちを次々と殺していきました。それを見兼ねた魔女と弟子は、国防軍と戦いました。2人は魔法を駆使してどんどんと打ち倒していきました。しかし、軍隊の数は多く、次第に2人は押されていき、捕縛されてしまいました。魔女と弟子は、国民の前で公開処刑されることになりました。そして、弟子が斬首されるのを見てしまった魔女は、怒りのあまり我を忘れて暴走しました。王都に住む人々を殺し尽くした魔女は、悲しみに暮れて元いた森へ帰っていきました。
魔女は少年の墓標を作り、2つの魔導書と共に遺体を埋めました。魔女はそれから何十年、何百年と生き続けて、その墓を守り続けましたとさ。
目を覚ました。いつの間にか寝ていたようだ。何か夢を見ていたような気がしたが、きっと気のせいだ。地面に転がっていたタバコの箱を徐に掴み、一本取り出してライターで火をつけた。いつもと変わらない味を堪能し、ふうっと白い煙を吐き出す。その吐息は、大きな廃倉庫に反響することはなく消えていった。
2096年9月7日(金) 午後5時21分
久しぶりに呼び出された美楽は、何事かと思って宿題をすぐにやめて権視廟に向かった。そこには神妙な顔、ではなく困った表情で何やら話しているリーリヤ、アンナの姿があった。それを不審に思いながら、自分の席に座る。
「急いできたんですけど、もしかして事件じゃない感じですか?」
「まあそんな急用じゃないんだけどね。というかやっと重い腰を上げるっていうか。」
何かはぐらかして用件を言わないリーリヤを不思議に思い首を傾げる。その様子にアンナは、ため息をついて説明を始める。
「今回は、ティフレットの件だ。」
「ティフレットって、初めて会った時に酷いことしてきた人ですか?」
そういえば、魔女になってもうすぐで一年経つが、あれから会ってない人が2人、見たこともない人が1人いた。
「そうだ。君がここに来る前から、あいつは魔女の活動に消極的どころか、全く対応する素振りを見せない。私が見たのはたった一回、”空の刻”の時だけだ。その時も、まるで本気を出しているようには見えなかった。それなのにあいつは、”オレは一番強い”とか、”オレが出るまでもない”」とかほざいて全く顔を見せない。一番の問題児だ。そこで、リーリヤが君の出番だと思って今回招集したんだ。」
「私が、ですか?できますかねぇ。」
初めて会った時の印象は最悪だった。正直、あまり関わりたくないと思ったほどだ。しかし、それは一年前の美楽の考えたことだった。彼女は”包括”。全てを飲み込み享受する者。無理難題であろうとも、無意識に承ってしまう性分である。
「もちろん、私も同行するつもりだ。それに、一回だけでやつを説得できるとは思わない方がいい。問題児のあいつだが、私はなぜか嫌いになれないもんでな。どうにかしてあいつと協力体制を取りたいんだ。」
「わかりました!やってみます!」
美楽は無意識にそれを許諾してしまう。本心では後悔しつつ、これも人類を守ることの一環だと思って割り切る。
「じゃ、じゃあ任せたわよ?美楽。」
今更ティフレットのことについて考え始め、それを魔女になって1年目の美楽に任せようとしているのが申し訳ないのか、おどおどしているリーリヤが指示を出す。それに対して深く頷く。覚悟とまではいかないが、一筋縄ではいかないような気がした。
「まあ、私がついているから安心しろ。」
アンナの言葉に安堵し、憧れを抱く。その美楽の様子に嫉妬したかのように、リーリヤはふんっと顔を逸らす。
「では、早速向かうぞ。」
アンナと美楽は、ティフレットがねぐらにしている町外れの廃倉庫に向かった。
2人の魔女は廃倉庫に到着した。見るからに人気のない雰囲気で、壁や屋根の塗装は所々剥がれ落ちている。一部の壁には小さな穴が開いている。
「では、いくぞ。足元には気をつけてくれ。」
「はい!」
2人はボロボロの建物の中へ入っていった。もう既に夕暮れ時のせいで、中は薄暗かった。アンナに言われた通り、足元に気をつけて進む。工具や粗大ゴミが散らばっており、タバコの吸い殻も落ちている。大きなモーターを備えたような機械が錆びてそのまま放置してある。こんな寂れた場所があるとは思っていなかった。2人はどんどん奥に進む。
ふと落ちているタバコの吸殻を踏んだ瞬間、突然目の前が真っ暗になる。驚いた美楽はうわっと叫ぶ。
「zwei...」
視界が見えなくなったと同時に、耳元に謎の呪文のような囁きが聞こえた。異変を感じたアンナは振り返り、美楽を呼ぶ。しかし、今度は視界が戻るが何も聞こえなくなる。アンナが美楽に対して何か言っているのは見えるが、聴覚が働いていなくて聞こえない。突然の出来事に、その場で膝から崩れてしまう。
「大丈夫か、美楽!ちっ、ティフレット!そこまでにしておけ!」
聴覚が戻ったと思ったら、アンナの怒号が聞こえてくる。我に返り、アンナが見ている方を見やると、そこには重機の上で膝を立てて座っているシルエットが見えた。そのシルエットは、タバコを咥えてこちらを上から蔑むように見ていた。
「へいへい、お嬢様~。久しぶりだな、新人さんヨ。」
その顔を見て、美楽は嫌悪感を顕にする。初めて会った時のような対応、仕打ちにうんざりした。それを見かねてアンナが仲裁に入る。
「ティフレット、今日はお前と話がしたくてきたんだ。それ以上は美楽に手を出すな。」
「お嬢様のお願いなら仕方ないナァ。わーったよ、気の済むまでお喋りしよーぜ。よっと。」
ティフレットは重機の上から飛び降りて、華麗に着地する。改めて見ると、アンナとまではいかないが、明らかな高身長だった。破れた赤色のTシャツにデニムのショートパンツ、それにブーツという厳つい格好をしていた。アンナと面と向かって話し合おうとするのは、協力しようとする意思が感じられる。が、それと同時にこれまで指示に従わなかったのは、何かわけがあるのかと疑問を抱く。
「話って何だ?つまンない話ならお断りだぜ?」
「すまないが大当たりだ。そろそろご検討願いたいのだが?」
ティフレットは舌打ちをして、目を逸らした。
「いくらあんたの願いでもそれは聞けない。例え土下座してもな?いやして欲しくないんだが。騎士としてかっこよく振る舞ってほしいからナァ!」
「なぜだ。と言っても、どうせ面倒臭いと言うのだろう?」
「大当たり~なんちって。何回も言うが、オレが出撃するに値する相手じゃなきゃ従わネェ。ま、”空の刻”ぐらいか?もしくはあんたとタイマンする時かな?」
「味方同士で争うつもりはない。」
「オレを味方と思ってくれてんだ!嬉しいね~。」
ティフレットは無邪気な子供のように喜ぶ動作をする。
「私はお前の戦闘力を信用している。だからこそ、その力を十分に奮ってほしいんだ。人類のために、な?」
「だーかーらー、それが気にくわねえ。何でヒトのために命かけなきゃならねンだよ。」
「それは私たちも同じだ!それを理解して戦っているんだ!」
アンナの語気が強くなる。
「そりゃあんたはお嬢様だからサ。こんな惨めで残酷なシステムのための家柄なんだから、そう考えるのは必然だろ?」
その言葉で堪忍袋の緒が切れたアンナは、大剣を取り出してティフレットの眼前に突きつける。
「貴様!言葉には気を付けろ。今ここでその首をはねてやってもいいんだぞ!」
アンナのその眼光は、まさに”敵”を見るかのように鋭かった。それに対して、ティフレットは余裕の表情で受け答えをする。
「別にはねてもいいんじゃないか?まあ、その代わりにまたどっかの誰かが”生贄”になるけどナ。」
棘のある憎たらしい言い方にアンナは歯軋りをするが、また被害者が増えてしまうと考えると反論できない。
「それに、せ~っかくお嬢様の大事な大事なお兄ちゃんの情報を持ってんのにナ~。」
その言葉にアンナは目を丸くする。すぐに向けていた大剣を仕舞い、焦り口調で聞き直す。
「兄上の!?何か知っているのか!?」
「ああそうだ。今どこで何をしているか。どんなザマになってるか。」
「どういうことだ。兄上に何があったんだ!?」
自分の兄の話になった途端に表情が変わったアンナは、ティフレットに詰め寄る。
「教えてもいいけど、後悔すんなよ?」
「大丈夫だ。というかその言い方、まさか...!?」
2人が何を話しているのかさっぱりわからない美楽だったが、何やら核心を突くような話題になっている。アンナの様子が変だと思っていたら、次の言葉で豹変する。
「そうだ。あんたの兄こと、フェリブル・レオ・フェルディナントは...魔人だ。」
その言葉にアンナは固まる。後悔しないと言ったが、それは嘘だった。前言撤回だった。ティフレットはアンナにしつこく接し何かと拘る代わりに、兄のことについて調べていた。フェルディナント家から突如失踪した兄のことが気になっていたアンナは、少しでも情報を得ようと魔女活動とは別で彼を探していた。その兄が、今”魔人”であると伝えられ、アンナは言葉にならない呻き声をあげていた。困惑と後悔、誠に信じられないその真実にアンナは目を背けたくなった。
「アンナさんの、お兄さんが...魔人っ!?」
”魔人”という言葉に反応した美楽は、無感情と化したアンナの背中を見ていた。
「残念ながら、オレは嘘はつかねぇ質なんでな。それに、この情報は信憑性が高いと保証するぜ?」
「...どういうことだ?」
現実を受け止め切れずに固まっていたアンナが口を開いた。ティフレットは神妙な面持ちになり、声のトーンを落として呟いた。
「そこのガキと顔が似ているやつに聞いたのサ。私の情報と交換でな。」
美楽はいきなり話が自分に向いて動揺する。自分と顔が似ている人物は1人しかいない。その姿を頭に思い浮かべた瞬間だった。
「久しぶりね...。もう一年前かしら...?」
その声を聞いて咄嗟に後ろを見る。そこには、群青色の衣装を纏った少女が立っていた。目元はフードで見えないが、その風貌と声で全てがわかる。その眼前の恐怖の対象に、美楽は一瞬反応が遅れてしまうが、すぐに立ち上がって彼女を睨む。その横を、何かが通り過ぎて行った。その弾丸は、少女に当たる寸前で歪むような音を鳴らして、軌道を変え壁に衝突した。それは、無意識にアンナの拳銃から放たれたものだった。
「ティフレット...貴様裏切ったのか!!」
アンナは振り返ってティフレットを問い詰めようとするが、代わりに空の刻が返事をした。
「待って...今日は別に...戦いに来たわけじゃ...ないの。あなたたち魔女と...交渉の確認を...しに来たの...。」
「交渉だと?」
アンナは構えていた拳銃を降ろし、話を聞こうとした。
「そう...。あなたの兄の情報を...あげる代わりに...そこの魔女の情報を...頂いたの...。こちらとしては...等価交換だと思うの...だけれど...良かったかしら...?」
空の刻は首を傾げてアンナに返事を促す。それに対しアンナは、またもやティフレットを問い詰めようとした。
「お前、リーリヤや私に相談せず勝手にやったのか!?」
「オレはお嬢様のために尽くしただけなんだけどなー。損してるのはオレだけだし。」
「そういう問題ではない!!」
「でも、兄ちゃんのことを知りたいだろ?」
ティフレットは小声でアンナに諭そうとする。改めて自分の立場を整理し、それを渋々受け止めた。
「っ!?...わかった。」
再び空の刻に向き直り、曇った表情ながらも空の刻に自分の意思を伝えた。
「では、その交渉を承った。」
「ふふっ...交渉成立ってわけね...。それじゃあ...あとはその人から...聞いて...。」
空の刻は、目線をアンナから美楽に向けて来た。
「また近いうちに...会いにくるわ...。楽しみにして...おいてね...。」
そう言い放つと、フィンガースナップをして微粒子になって消えていった。美楽は、その様子を黙って見ていた。”また会いにくる”その言葉に恐怖を感じたが、すぐにそれを決意へ変換させる。もう何もできない自分ではない。もうただの人間じゃない。その意思を持って、空の刻が消えるまで睨み付けていた。それが消えてから、美楽は緊張が解けて溜め息をついた。アンナは振り返らずにティフレットに言葉を放った。
「それで?兄上の情報はそれだけか?全部話してもらうぞ、ティフレット。」
「へいへい。久しぶりの出勤だな~。」
ティフレットはそっぽを向きながら、適当に返事をした。それを背中で感じてから、アンナは美楽に目線を向けてきた。
「美楽、帰るぞ。」
「は、はい!」
すっかり暗くなってしまった廃倉庫の中で、3つの影は消えていった。
権視廟についた3人は、既に待機していたリーリヤに今の話をしようとする。しかし、アンナは開口一番に美楽へ断りを入れた。
「君はもう帰宅してもいい。あとのことは私たちに任せてくれ。」
「えっでも!」
「いいから、これは私の問題だ。君に背負わせるわけにはいかない。また明日召集するかもしれないから、帰ってゆっくり休んでおいてくれ。」
美楽は自分の無力感に嘆きながらも、あまり首を突っ込むのはよくないと感じ、それにに従うことを選んだ。
「わかりました。じゃあ、また明日。」
「あぁ、情報が整理できたら共有する。」
美楽は、他の3人の視線を感じながら帰宅した。美楽が帰ったのを確認し、リーリヤがティフレットに重い口調で話しかける。
「久しぶりね。無事に闘志が燃えてきたのかしら?」
それに対し、アンナが代わりに答えた。
「いや、それとは別件だ。しかも重要事項のな。」
それを聞いてリーリヤは目を細めた。事態は思わぬ方向に向かっていると感じ取る。アンナは、先程の出来事について話し出した。
2096年9月8日(土) 午前10時2分
2分遅れてやってきたティフレットを含めて、9人全員が権視廟に揃っていた。美楽は初めて全員が揃う光景を目の当たりにして、物珍しさを感じた。あの日いなかった最後の1人を覗き込むように見る。美楽とは違う学校の制服らしいものを着ており、ツインテールで可愛らしいリボンを付けていた。暗い装飾の室内の中で、1人だけ異彩を放っていた。美楽より年下のような幼さを感じる顔立ち、まるで魔女とは程遠いシルエットをしていた。その視線に気づいた”アミ”と呼ばれていた人物が鋭い眼光で睨んできた。それにビビって萎縮する美楽を横目に、リーリヤは本題を切り出した。
「やっと全員が揃ったことに感激したいところだけど、今日は重要な話があるから後回しにするわ。集まってもらったのは外でもない、魔人についてよ。新たな情報を得たからみんなに共有するわ。」
”魔人”というワードに全員の表情が一層険しくなった。
「昨日、ティフレット、アンナ、美楽が空の刻と対峙した。ティフレットは自分の情報を交換材料にして、アンナの兄の情報を空の刻と交渉していた。そこでたまたま3人が揃ったところで、空の刻は交渉の確認をしにきた。戦闘にはならなかったからいいけど、とても危険なことを無許可で行ったとして、ティフレットには強制的に戦闘への参加を課したわ。まあそんなことはよくて、本題に入るわね。アンナの兄こと、フェリブル・レオ・フェルディナントは...魔人”黒の刻”だということが判明した。」
その言葉を聞いて、美楽はアンナの方をチラッと見る。アンナは若干目線を下に落とし、複雑な感情が入り混じった表情をしていた。
「私たちは、炎の刻と地の刻を除いた残り2人と把握していたけれど、向こうはまだ隠し球があったみたいね。それで、彼が魔人になった経緯や現在の状況等の情報は、整理が出来次第伝達するわ。それよりも、最も恐ろしいのは彼の能力。他の魔人はそれぞれ自然を司る能力だけど、彼は名前の通り”暗闇や影”そのものを操るわ。アミが負の感情をエネルギーに変換するように、彼は私たちの知り得ないエネルギーを扱う。非常に危険な存在であることは間違いないし、今後いつ姿を現すかわからない。各々それらを理解して、これから魔女活動を行って。アンナには、彼のことについて更に調べてもらう予定だから、不測の事態に彼女がいないことがあるかもしれないわ。それも肝に銘じておいて。今日の主な報告は以上よ。何か質問とかあるかしら?」
リーリヤのその言葉に反応し、シスターが手をあげた。
「さらっと流したと思うんですけど、ティフレットさんの情報って私たちも知らないことですよね?」
「そうよ。そこのおバカさんは、私たちにすら教えてない自分のことを敵に渡しちゃったわけ。」
「おいおいその言い方はねえだろ~?オレは親愛なるアンナお嬢様のためにやったってのによ~。」
相変わらず足を組んでだらしない格好のティフレットは、そのギザ歯が見えるように口をへの字にして言い放つ。その反応にリーリヤは思わず溜め息を漏らした。
「では、私は早速調査をする。...家族のことが気になる。母上らと連絡を取らねば。」
そう言うと、アンナは席を立って早々に退出して行った。今回の件で気の毒と思いつつ、美楽はかける言葉が見つからなかった。そのあとは各自解散となり、美楽は自宅に戻ってベッドに倒れ込んだ。アンナのことが気になるが、自分では足手まといになりそうな予感がした。同時に、ティフレットのことも気になっていた。嫌悪感を抱くような態度や性格だが、誰も知らないと言う彼女の素性が知りたかった。まだ自分の知らないこの”魔女システム”のことも、他の魔女のことも聞きたいと思った。美楽の悪性は”包括”。例えどんな人であっても、美楽は今まで嫌いになることは無かった。しかし、初めて他人に嫌悪感を抱いた。そのことが不思議であり、ムズムズしていた。ティフレットに改めて会おうと美楽は決めた。
2096年9月10日(月) 午後4時17分
ティフレットに会いに行くのを雫久に止められたが、なんとしてでも会いたいと説得をして1人で向かった。ニューヨーク市郊外にあるその廃倉庫は、いつ見ても不穏な雰囲気だった。中に入り、ティフレットの名前を呼んだ瞬間、前回と同じように視界が真っ暗になる。驚きつつも混乱しないように、その場に立ち止まって俯いてこれが治るのを待つ。視界が治ったと思ったら、左上からティフレットの声が降ってきた。
「はっはっは!!一人で来るとはいい度胸じゃあネえか!ガキが何の用だ?」
重機の上に座っているティフレットに、美楽は真面目な顔と声で答えた。
「あなたのことが知りたくて来たんです!あなたのこととか、私がまだ知らないこととか!」
美楽の答えに呆気に取られたのか、ティフレットはぽかんと口を開けて咥えていたタバコを落とした。そして、倉庫に響くような大笑いをした。
「お前面白いな!気に入った!だけどオレの素性は教えられねえ、それ以外のことだったらなんでも教えてやるよ。」
ティフレットは美楽のことを深く気に入ってくれたらしく、その様子に美楽は嬉しいような複雑な気分になった。とりあえず、まずは自分の知らない人のことを聞いてみる。
「じゃ、じゃあ!え~と、8番目と9番目の人のこと教えてくれますか?」
「あ~?お前まだ知らねえのか?もう一年経ったろぉ?」
「いや~、会う機会ないし、中々聞こうにも聞けないし、なんか失礼かなって。」
「ほーん、オレに聞こうとするのはいいんだ。」
ティフレットは横目で美楽を睨んだ。うっかり失言してしまい、美楽は思わず口を両手で覆った。何か身の危険を感じて、一瞬恐怖した。
「はっはっ!そんな怯えんなって!もう余計なことはしねーよ。お嬢様に怒られるからな!」
表情を崩し、美楽を弄ぶかのように揶揄う。美楽はほっとしたようにため息をつく。ティフレットは足元に置いてあった箱から新しいタバコを手に取り、ライターで火をつけた。穴の空いた壁から見える小さな空を見ながら、言葉を続けた。
「しゃーねーな教えてやるヨ。まず第8の魔女・イナド、あいつはあの売れっ子アイドルの、聖 アリサだ。」
「え!?よくテレビに出てるあの!?権視廟で見た時、確かに何処かで見たことある可愛い顔だなって思ってたけど...。」
「良い反応するねェ、感情豊かな奴は好きだゼ?それで、悪性は”無垢”。能力は精神攻撃の無効化、それと千里眼もどきだ。どんな距離でどんな遮蔽物があろうとあいつにはどんなものでも丸見えで筒抜けだ。それで一番厄介なのが使用する武器は弓、それに矢のストックは無限ときた。遠距離戦では到底勝ち目なし。射た矢は当たるまで縦横無尽にいつまでも追いかけてくる。キラキラアイドルのくせに、やってることはたちが悪すぎる。このオレも流石に分が悪いって感じだな。」
その説明を受けた美楽は目を丸くしていた。まさかアイドルという人の目に触れる有名人でさえ、魔女に選ばれるとは思いもしなかった。今まで会議に来なかったのは、きっとアイドル活動で忙しかったから、と合点がいく。驚いている美楽を横目に、ティフレットは目を細めた。
「だが、本当にヤベー奴は第9の魔女・イサドの方だ。聖 アミ。悪性は”独占欲”。アリサの姉であり、最強のボディーガード。そして、アンナお嬢相当の戦闘力がある。」
その言葉を聞いて、美楽は息を飲んだ。憧れのアンナと同じくらいの強さ。炎の刻の時に圧倒的な力を見せた、あのアンナ並に強い人物。何もかもが気になった。
「能力は、自分の負の感情をエネルギーに変えて、操れるってもんだ。簡単に言えば、あいつが”幸せ”を感じている時以外は文字通り無敵ってこった。謎の黒い禍々しいエネルギーを自由自在に操って、攻撃にも防御にも使える。その強度はお嬢の鎧を傷つける程だ。あの鎧は攻撃を無効化するが、あいつの扱うエネルギーはどうやら物理どころかヒトでは計り知れないものらしい。それに、あいつは常にナイフを所持しているから投擲も近距離戦もお茶の子さいさい。姉妹揃って魔女になんかなっちまって、おまけに人間とは思えないものまで持ってやがる。だが、あいつらの詳しい過去とかはよく知らねェから、本人に勇気出して聞いてみるんだな。これがお前の知りたがってた情報だ。」
その情報の濃さに混乱する。自分とは全く違う人の境遇に驚愕する。やはり、魔女に選ばれる人には深い業らしきものがある。自分にはそんなものはないという不安めいたものが浮かび上がり、改めてどれだけ自分が”普通”なのかを痛感した。それを隠すように、ティフレットに次の質問を投げる。
「あ、ありがとう、ございます。...あの、さっき自分のことは教えられないって言ってたんですけど、どうしても気になるんです!少しでもあなたのことを知りたくて。なんでかは自分でもわからないんですけど...。初めて会うタイプの人だからかな?なんかすみません...。」
その質問にティフレットは表情を変えずに、斜め上を向いたまま。徐に加えていたタバコを手で取り、長く白いため息を漏らした。
「何度も言うが、教えられねェ。別にお前が味方であろうと敵であろうと、好きだろうと嫌いだろうと関係ない。だが、お前がオレのことを気になる理由は知ってる。ま、教えないケド。」
その言葉に美楽は肩を落とした。その様子を見たティフレットは、今度は小さくため息を漏らして、口を開く。
「まあ、オレにとってどいつもこいつも特別だが、お前だけは特別とは違うものを感じる。”異常”とは違うな...。はぁ、仕方ねェから少しだけヒントをやるよ。」
それを聞いて、美楽はティフレットの方を改めて見上げた。
「権視廟に行く時のセリフにある”蒼海の灯籠”ってあるだろ?あれはオレが考えたんだぜ?スゲーだろ!!」
唐突によくわからないことを言われ、美楽はきょとんとする。さっきまでの暗い雰囲気が全て吹っ飛んだ。その顔を見てティフレットは廃倉庫に響く程大きな声で笑った。眉を寄せて首を傾げる美楽を無視して、笑い続けた。
「やっぱお前面白いな。思った通りの反応をしてくれるからヨ。あ、褒めてるぜ?」
なんだか複雑な気持ちになり、嫌悪感とは違う何かが美楽の心でうずうずしていた。
「結局、何も教えてくれないんですね。」
「なんだよ、拗ねるなって。久しぶりにヒトと喋ったんだ、もう少しお話しよーぜ。」
穴の空いた壁から注がれる光から考えると、まだ夕方にはなっていないらしい。美楽は溜め息をついて、もう少しティフレットと話すことを決めた。
それから1時間以上、ティフレットと他愛のない話をした。もうすぐ日が落ちるという時間になり、置いていたバッグを持ち上げて帰る仕草をした。
「今日はありがとうございました。その、なんか悪い人だと思ってたんですけど、とりあえず私の味方だってことはわかりました。」
「おいおい別れ際に言うことじゃねぇだろォ。辛辣だなァ。ま、楽しかったぜ。」
不満顔のティフレットを見て、美楽は少し頬が緩む。
「それじゃ、また暇な時に来ますね。」
「次来るときはもっと面白い話を持ってきてくレよ?」
顔が少し優しくなったティフレットを横目に、廃倉庫を後にする。外に出ると、既に日は落ちていて残光だけが街を照らしていた。
そして、帰路につく。
2096年9月29日(土) 午前11時28分
その日、美楽はまたティフレットの廃倉庫を訪ねていた。初めて訪ねた時から、大体2日に1回ペースで会いに行っては世間話をした。ティフレットはあまりテレビやネットの情報を見ていないらしく、美楽の持ってくる話をいつも興味津々に聞いていた。
「今日も懲りずに来たのか~?」
「嫌なら帰りますけど?」
「冗談に決まってンだろぉ?ほら、早くなんか話題をくれよ。」
会う回数を重ねるたびに、初めの嫌がらせが減っていった。次第にティフレットは美楽との会話を楽しみに待っていることに気づき、自分の行動は間違っていなかったと改めて確信した。
「えーと、じゃあ今こういう飲み物が流行ってて...。」
美楽がスマホの画面をティフレットに見せようとした瞬間だった。後ろから殺気のようなものを感じ、鳥肌が立つ。ティフレットはいつの間にか長槍を持って、警戒の表情をしていた。
「てめぇ、何しに来た。」
美楽は恐る恐る後ろを振り返る。そこには、深い群青色の衣装を纏う少女が立っていた。ソレが視線に入った瞬間に、臨戦態勢を取る。ソレは許してはならない、自分の敵、人類の敵。そして、ソレは今まで会った時と違って、明らかな殺意を示していた。その口元が、少し緩んだ。
「楽しいお話の...途中で...ごめんなさい...ね。久しぶりね...まだ1ヶ月も...経ってなかったわね...。」
「今日は、何の用...?」
ソレは、目を細めて小さな口で呟いた。
「そろそろ...見るだけじゃ...飽きたの...だから...」
ソレは、ゆっくりと瞬きをした。ソレは、自信の周りに静電気を発生させ、地面に魔法陣を展開させた。
「あなたを...」
ソレは、右腕を前方に向けた。
「壊さなきゃ。」
第9話「それは、相容れない」 終