鈴木家③
午後4時過ぎ、誰も居なかった鈴木家のドアがカチャリと鳴った。
由美が大きなスーパーの袋を抱えて、入って来る。
急いで昨年の暮れにボーナスで買った特売の大型冷蔵庫に食品を詰めると、小さなアイスの箱を持って二階に上がっていく。
「大洋、只今。元気になった?」
その声に、まだぼうっとした顔で大洋が目を開けた。
ベッドの中の息子の小さな額に手を当てる。
熱はまだまだあるが、昨日よりも見返す目がしっかりしていて、由美は少し安心する。
「ほら、冷菓の実買ってきたよ」
華やかなアイスの箱を見せると、小さな口がバカっと開いた。
二、三個その中にアイスの実を入れると、
「美味しい・・。
残ったの夜に食べるから、誰にも食べさせないでね。
特に大地兄ちゃんには食べられないように見てて」
その言葉に、なんだか由美はちょっと幸福になった。
急いで降りて台所で夕ご飯の支度。
5時過ぎには美優紀が、8時頃には大地が慌ただしく帰宅した。
子供たちが食事をして入浴して・・・・いつもと変わらない夕方の光景。
そして疲れ果てた一郎が帰宅したのは、ほんど日付が変わる頃だった。
「おかえりなさい。お仕事お疲れさまでした」
「うん、やっと区切りがついた。
又、来週から大変だが、一応、山場は超えたと思う・・」
疲れてぐったり椅子に座ったまま動かない一郎に、由美は冷たいビールを置いた。
酒のつまみを数点置いて、ガス台でスルメをあぶり始める。
(あなた、頑張ってね。
まだ、住宅ローン15年あるから、それまで体を大事にして・・。
子供たちが成人して、結婚するまではね。
そうしたら・・・、やっと一緒にゆっくりできるわね)
あれから一週間が過ぎた。
今日はインフルエンザの熱も下がって、元気一杯の大洋が家を出る所だ。
「行ってらっしゃい」
まだ不安そうな顔で、由美は大洋を送り出す。
「何日も熱が出たのだから、用心するのよ。
今日は遊びたくても、早めに帰ってくるのよ」
「・・・ママ、行ってきます」
長い母親の注意を聞こえないふりをして、大洋は玄関を出る。
その後ろに、ちゃっかりと心配性のご先祖様が付いていく。
今日は、昨日までべったり世話をしていた福ちゃん、ご隠居。
ご隠居は俺よりちょっと後、福ちゃんよりちょっと早い。
それと、なんだか応援要請された俺、亥之吉。
仲良く集団登校で列を作ってあるく子孫の後をのんびり付いていく。
「まぁ、あの車。もう少し速度を下げなさい。
ここは一方通行の細い道です。配慮しなさい」
福ちゃんが、あいかわらず細かく注意している。
福ちゃんはわりかし最近にご先祖になったから、最近の事情に詳しい。
姿はまだ、お婆ちゃんのままだ。
多分残した孫が心配で、ずっと心配性のお婆ちゃんをやっている。
気が済んだら、年相応の姿に戻るんだろう。
結構美人なので、俺は若くなった福ちゃんに会えるのが楽しみだ。
「先生お早うございます!」
学校に着いて、子供たちがバラバラと校舎に入って行く。
一緒にぞろぞろと俺等みたいのが付いていく。
関から廊下に入ると、すぐ上に上がる階段がある。
4年生は2階だから階段を登るのだが、実は階段の下の暗がりに顔色の悪い子供がこちらを睨んでいた。
生きているものから、悪霊と呼ばれる奴らだ。
そいつが時々子孫の足を引っ張ったり、手を引いたりするので我々ご先祖たちは用心している。
近くに行きそうになる子孫を、付き添いのご先祖がガードする。
うっかり者の大洋の同級生の正ちゃんが、昨日のテレビの話に気を取られて階段下に入りそうになる。
突然ご先祖の一人が、正ちゃんの先に進み出ると正ちゃんに向かって振り返る。
振り向いたご先祖の顔は・・・・凄い怖い顔!!!!!
瞬間、正ちゃんはびくっと体を震わせて、急いで階段下から離れる。
「・・・あそこ怖いよね?」
「???」
話しかけられた大洋は、首を傾げる。
福ちゃんがその小さな手を握って、ゆっくりと誘導する。
大洋は結構カンが良くて、こうして先導しなくても危ない処には行かないご先祖想いの優等生。
そこ行くと大地は何処にでも突っ込んでいくけれど、怖いものなんて見ないからある意味凄い奴だ。
「何か居た?」
「大ちゃん知らないの?
あそこで何人もの子が、引っ張られたって噂になっているよ。
去年卒業した6年生の中に足を引っ張られて転んで、その後足の痛みが取れないから病院行ったら骨の病気で足、切ったんだって。
あの場所は呪われている。捕まったら呪われて死ぬって有名だよ」
正ちゃんは手を握り締めて、無理して低い声を出して怖そうに言い放つ。
大丈夫さ。
あいつはもうすごく薄くなって、生きた人間に災いをもたらすほど強くない。
多分、『ご先祖』でもない彼らはあそこから離れられないまま、どんどん薄くなって消えていく。
大洋の教室は4-3。
2階に上がってすぐの部屋だ。
あっという間に、教室は子供と俺等で一杯になる。
子供たちについている俺等は、皆にこにこと機嫌が良い。
なんたって子供は可愛いからな。
ましてや、自分たちの子孫になると格別。
ちょい不細工も、おバカの所もみんな可愛い。
何人かの心配性が一生懸命、自分の子孫の世話を焼いている。
ほとんど毎日参観日。
俺も他のご先祖様と一緒に、可愛い大洋の平和な日常を楽しんでいる。
ああ、何て平和なんだろう・・。
「それで福ちゃん、俺を呼んだ理由って言うのは、アレ?」
俺は帰り道に、大洋が道草をくっている公園のすぐ先にある木のうっそうと茂った小道から覗いている黒っぽい何かを指さして言った。
「そうなの・・」
福ちゃんは、首をすくめて黒い影を凝視する。
確かにアレは学校の階段下に居るような、いつか消えてしまう様な物じゃない。
悪意と恐怖を吸って、人に取り付けるくらいに肥大した『悪いモノ』だ。
見ていると、話が終わった大洋がいきなり駆け出して、その悪いモノの潜む小道を突っ切っていく。
瞬間的に守護霊と俺等が手を出して大洋をガードしようとするが、身構えていた悪いモノは瞬時に数メートルを飛んで、大洋の背中に着地する。
「ああっ!」
福ちゃんが俺の手を右手で強くつかんで、残った手で胸を叩く。
「だからわざわざ来てもらったのに・・。
あいつが又、大洋にくっついた!」
恨めし気に睨む福ちゃん。ちょっと可愛い・・。
大洋の背中の上のモノが、こっちを見てニタッと笑った。
うん、しっかりしがみ付いていて只のご先祖様には取れない。
ムキになった守護霊が悪いモノを引っ張るが、そんなんじゃ取れない。
「大洋君どうしたの?」
急に眩暈がしたのかしゃがみ込んだ大洋を覗き込む様に、友達の正ちゃんが問いかける。
「ごめん、気持ち悪い・・・」
俺は福ちゃんに尋ねる。
「福ちゃん、さっき又って言ったよね?
既に取りつかれていたって事だよね?その時はどうやって振り切った?」
聞かれて福ちゃんが眉を寄せる。
「そう、アレに捕まって具合悪くなって・・。
家に帰って暫くしたら、不思議と居なくなったの・・・」
「そうだろうね。
まあ、見ていなよ」
やがて大洋と正ちゃんはゆっくりと家に向かって動き始め、家の近くの十字路で別れた。
「大洋君大丈夫?」
「うん、ちょっと楽になった。」
手を振ってバイバイすれば、鈴木家はすぐだ。
気持ち悪いのを我慢して、大洋がやっと家の門を潜る。
『おかえり!!!』
玄関から一斉に十数人の我等が顔を出す。
その途端、大洋についていた悪いモノが小さく飛びのいた。
『さあ、草臥れたろう。早くお入り』
『今日は楽しかったかい?』
『晩御飯は大洋の好きなオムライスだよ』
悪いモノは中に入っていく大洋に必死にしがみ付くが、迎え出た我等の間をすり抜ける内に小さくなり、結局、玄関ドアの前でポトリと落ちた。
そのぐったりとしたモノは、慌てて門まで飛びのくと恨めし気に玄関に入る大洋を見送った。
「ほら、無事落ちたろう。
仏壇があって、俺たちみたいなご先祖が元気な家には全体に結界が張ってあって、よっぽど強い者じゃなきゃ弾かれるんだよ」
心配そうに俺の腕を掴んでいた福ちゃんは、やっと笑った。