5 魅了
まったりと過ごすユリウスの耳に、爆発音が届いた。同時にレテシアがユリウスの前に出て守りの態勢に入る。
「侵入者です。玄関が爆破されました。」
「うわぁ・・・誰だろ。嫉妬かな。」
「いいえ、私よ怠惰。」
背後から女性の声が聞こえたとユリウスが認識した瞬間、レテシアはユリウスの腕を引いて、ユリウスと自分の居場所を交換した。同時にユリウスは振り返って、侵入者が強欲のアーシェだと知る。長い青の髪と鋭い緑の瞳。上半身はほぼ人間と同じだが、下半身は魚で人魚のような姿をしているセイレーンだ。
「一体何の用、強欲。気のせいでなければ殺気を感じるんだけど?」
「あら、感覚はしっかりしているのね。もちろん、半殺しにしてあげようと思ってきたの。感謝しなさい?」
「感謝する要素が全くないね。」
会話をしながら、ユリウスは強欲の要件に見当をつけてため息を飲み込んだ。
半殺しというのは冗談ではないだろうが、まさかそれだけのために来るとは思えない。このタイミングであれば、前の会議で話した「憤怒」の件についてなのは明白だ。
「あら、私に半殺しにされるなんて、とても光栄なことよ。人間にはもったいないくらいのね?」
「私を魅了する気?」
アーシェはレテシアと似たような能力を持っている。それが、歌声を相手に聞かせることによって魅了し、相手を自由に操ることができるというものだ。
「あら、歌のおねだり?ごめんなさいねぇ、あなたのような者に聞かせる歌声は持ち合わせておりませんの。怠惰には水攻めで十分よ。」
「ユリウスさま、おさがり下さい!」
アーシェがウォーターボールを放ち、それをレテシアが風魔法で壁を作って防いだ。
「女の子に守られて、あなた本当に情けないわね。本当に勇者だったのかしら?」
「なら、これなら文句はありませんか。」
ゴウッと唐突に現れた炎がレテシアを包み、炎が消えるとそこには男姿のレテシアがいた。レイオールの姿になったが、ユリウスの中ではレテシア男版という認識だ。
「あら、便利なものね。未熟者でも性別くらいは変えられるのね?それで、どうするつもりなのかしら。まさか、私に勝てると思っているの?この、大罪の強欲アーシェに。」
大きな口が弧を描く。鋭い緑の目はあざけりの色しかない。
ユリウスはゆっくりと深呼吸して、目の前に立つレイオールに命令する。
「さがって、レテシア。」
「レイオールです。ユリウスさま。申し訳ございませんが、さがることはできません。」
「いくら強欲でも、殺すつもりはないでしょ。でもそれは、私なら・・・レテシアなら殺すかもしれない。」
「・・・さがりません。」
「まぁ、上司思いの良い部下ね?あなたにはもったいないわ、怠惰。」
「そうだよ。とても忠義のある部下でね、あなたとは大違いだと思わない、強欲?」
「あら、あなたに言われたくはないわ、怠惰?魔王様が殺されたというのに、弱音ばかりはいて何もしない、あなたになんてね。」
「・・・」
「お得意のだんまり?本当にあなた、なんで大罪なのかしら。魔王様のことは尊敬しているけど、あなたを大罪にした判断だけは疑ってしまうわ。」
「それ以上、ユリウスさまを侮辱しないでいただきたい!魔王様は、ユリウスさまを必要としていました。人間、元勇者、弱かったとしても、ユリウスさまは必要とされて怠惰の地位についたのです!あなたがどうこう言えることなんてありません!」
レイオールから殺気が放たれる。
「あなた、少し調子に乗りすぎではないかしら?そう、怠惰の部下ね。本当にそっくり、調子に乗っているところがね、本当にそっくりね!」
怒鳴り声と共に、ウォーターカッターが放たれる。レイオールは先ほどと同じように風の魔法で防ごうとするが、かなりの魔力をこめたらしいウォーターカッターが5つ放たれて、一つ二つと防いで魔法が保てなくなる。残り3つが、レイオールを襲う。
レイオールは間に合わないことを承知で、もう一度風魔法を発動させるために魔力を練り、固まった。
目の前に、ユリウスの背中が現れたからだ。
「ユリウスさま!」
「っ!」
ウォーターカッターがユリウスとレイオールのすぐそばを通って、背後の壁をえぐった。
アーシェが手を抜いたわけではなく、ユリウスが自分たちに当たるウォーターカッターの部分だけを斬ったのだ。
「強欲、いい加減にして。」
「この程度の魔法を破ったからって、偉そうな口を利かないでくれるかしら?」
ガキンっと、ユリウスは手に持っていた剣を床に打ち付けた。その態度を見て眉をしかめて次の魔法を繰り出そうとするアーシェだが、その時ユリウスの姿を見失った。
「!?」
「動かないで。」
「な、いつの間に!?」
背後からユリウスに剣を突きつけられたアーシェは、これにはさすがに動揺した。身じろぎしようとしたアーシェの首筋に剣があたる。
「私は弱い・・・大罪の誰一人だって私には倒せない・・・けど、元勇者だってことを、忘れ過ぎじゃないの、強欲。」
「・・・確かに、少し見くびっていたようね。でも、残念ね。」
アーシェは首筋に当てられた剣にかまうことなく、ウォーターボールを放った。ユリウスはすぐさまそれをよけて、レイオールの前に移動する。
「確かに、あなたを殺すのは難しそうだけど、それはあなたも同じでしょう、怠惰?」
「・・・最初からそう言っているよね。私が大罪を傷つけるのは無理な話なんだって。」
「本当に、あなた驚くほどに弱いわ。・・・なのに、半殺しにはできないわね。もういいわ、どうせあなた答える気もないのでしょうし、今日はこれで失礼するわ。」
「待って。」
「何よ?まさか、やり合いたいの?」
「・・・強欲、人間の村に行くのはもうやめた方がいいよ。」
「何を言っているのかしら?まさか、また弱気なことを言うのではないでしょうね?」
「決戦は、魔王城で行う。色欲が間引きしてくれたようだけど、まだ間引きが足りない。だから、私が一気に間引くことにするよ。」
「まさか、あなたが動くの?」
その言葉にユリウスは首を横に振った。
「私は動かない。ただ、魔王城で勇者たち・・・まず初めに、勇者の隠れ蓑たちを待って、叩く。」
「やっぱり、動くのね。・・・それで、そのために私の行動が邪魔ということ?」
「強欲だけじゃなく、大罪たちには行動を控えてもらいたいの。あなたたちでは、絶対に勇者には勝てないから。」
「・・・ふっ。正直に言えば、鼻で笑ってしまうようなことをあなたは言っているわ。でもね、お手並み拝見することにするわ。だって、あなたがそういうってことは、遂に嫉妬が動くってことでしょう?」
「それは、どうだろうね。」
ユリウスは剣を鞘に納めた。レイオールはいつでもユリウスをかばえるような位置に移動する。
「嫌ね、もういじめる気はないわ。なんだかおもしろいことを怠惰が提案したって、私、他の大罪たちに伝えて来るわ。嫉妬が出ないのなら期待はできないけど、少しでも面白い見世物にしなさいね、怠惰。」
「面白いかどうかはわからないけど、勇者のことをよく知れるいい機会にはできると思うよ。」
アーシェは鼻で笑って、来た時と同じように部屋を出て行った。
「レテシア、だ」
「ご無事ですか、ユリウスさま!」
「え、うん。」
大丈夫かと聞く前に逆に聞かれたユリウスは苦笑いをしながらレイオールの状態を見る。すると、レイオールの右手の甲から血が流れているのに気づいた。
「怪我してる!早く手当てしないと。」
「では、手当していただいてもよろしいですか、ユリウスさま。」
レイオールの目が怪しく光って、ユリウスの思考にもやがかかる。
「あ・・・うん、もちろん。」
「え、ユリウスさま!?」
「手当・・・救急箱はどこだっけ・・・」
ユリウスの思考にかかったもやは晴れない。魅了状態にかかったままだ。このようなこと初めてで、魅了をかけた張本人であるレイオールの方が驚き固まる。
ちょっとした悪戯心で、魅了をかけて舐めて治してもらうと思った・・・と笑い合う予定だったレイオールは混乱状態に陥った。
「ゆ、ユリウスさま!正気に戻ってください!」
「え?・・・正気って、いつも正気だよ?」
青い瞳は眠そうに伏し目がちで、そこにユリウスの意思はないように見える。魅了を解けばいい話だが、混乱状態のレイオールは慌てふためいてその考えが出てこなかった。
「なんで、いつもかかったとしても一瞬なのに!あーどうすれば・・・いや、これはチャンス・・・いえいえ、やはりこういうのは本人の同意がなければ・・・しかし、同意なんて一生もらえないなら・・・最後のチャンス・・・」
「一体何をするつもりよ。」
「何って、そんなこと俺の口からは・・・あれ?」
だらしのない顔をしたレイオールが固まって、恐る恐るユリウスを見た。そこには、不審人物でも見るような目をしたユリウスが立っていた。
「まさか、演技?」
「・・・だとしたら?」
「も、申し訳ございませんでしたぁぁあああーーーーー!」
ボキッと、音を立てて、レイオールは深々と頭を下げた。
「とりあえず、女の子に戻って。あと、魅了禁止ね。」
「はい!すぐに戻ります、すぐに、直ちに!」
今度は水の渦に包まれてレイオールからレテシアへと姿が変わった。それを見て、ユリウスはほっと息をつく。
危なかった・・・