第九十四話 嘘
菜月の話によるとぶつかってきた男の名は津村薫。
身長190センチ、体重90キロ、喧嘩が強く一般で言う『不良』に属するらしい。
菜月と同じクラスでしょっちゅう授業をサボっているとのことだ。
「はあ………」
「おい、流。帰らないのか?」
流が菜月が渡してくれた薫に関する事が書いてある紙を見ていると、帰りの支度ができたヨウが話しかけてくる。
「おう、帰るか」
いって流は鞄を持って歩きだした。
ヨウもそれに続く。
「今日はどうだった?」
不意にヨウが尋ねる。
「どうだったって……何がだ?」
「いや………『浮いた心』を失ってしまって辛くないか……?」
「ああ、そのことか。…………そうだな。はっきり言って辛い」
その言葉を聞いてヨウは「やはりか……」と呟いて俯いた。
流がこうなってしまったことに対して責任を感じているのだろう。
そんなヨウの表情をじっと見て、流はしばらく考えた後に口を開いた。
「まあ、確かに辛いことは辛いんだが……」
流が前を向いたまま話し始める。
「これもまた新鮮で結構面白くもあるな」
「え……?」
思わずヨウは顔を上げ、流の顔を見る。
「ほら、俺ってずっとナンパ者で通してきただろ?だから
結構今の状態も実は楽しんでいたりするんだよ」
言いながら流が笑顔を向けるが、ヨウはその流の顔をじっと見つめているだけだ。
流は思わずヨウの顔から目をそらしてしまう。
「流、今のは嘘だろう?」
ヨウが尋ねると流は何も返せずにじっと下に目を向けた。
「今、お前がこの時を楽しんでいたとしたら『取引』ではもっと別のものが奪われていたはずだ。いくらお前が口で楽しいと言ってもそれは本心ではない」
「で、でもな、ヨウ。楽しいことが全くないわけでもないんだぞ?」
「………そうだな。言い方を間違えた。……正確に言えば、お前は『浮いた心』を失ったことによって得したことは何一つ無いはずだ。『取引』はそのものがもっとも奪われたくないものを選ぶのだからな」
「……………」
何も言い返せない流。
ヨウの言っていることは図星だ。
だからこそ反論が浮かばない。
しばらくして、ヨウが突然フッと笑みをこぼした。
「………どうした?いきなり」
流が尋ねると、ヨウは「いや……」と呟きながら首を振り、流に微笑みを向けた。
「やはりお前は優しいな」
「………え?」
ヨウの言葉に流が思わずヨウの方に顔を向けてしまう。
「私が気落ちしていたからあんな嘘まで言って誤魔化そうとしてくれたんだろう?」
「…………えっと……それはだな……」
流は言い訳を考えようとするが、つい言葉をつっかえてしまう。
「ありがとう、流。………だがな」
一度礼を言ってからヨウは流を睨みつける。
「お前は少し人に気を使いすぎだ。私に対しても他の人に対しても。………お前は私のことを家族と考えてくれているんだろう?だったら私の前ぐらい、心を休ませろ」
言ってからヨウは自分の言っていたことに恥ずかしさを覚えたのか、頬を赤らめながら流から顔を背けた。
その様子を見て流が思わず笑みをこぼす。
「…………分かったよ。今度からはそうする」
言ながら流はヨウの頭を軽く叩いた。