第九十話 説得
「よっ、明」
流が明に一般的な挨拶をする。
明はその一般的な挨拶に返事をするでもなく一瞬肩を震わせたかと思うと、流から一気に間合いを取った。
「………………」
じっと流の方を見る明。
流の方は何となくこの結果の予想ができていたのか苦笑を浮かべている。
普段の流の明に対する態度を見ていれば、この行動は明らかに不自然だろう。
少ししてから何もしてこない流を不自然に思ったのか、明は流の動きに注意をしながら歩み寄ってきた。
「って、少し警戒しすぎじゃないか?」
そんな明の行動を見ていた流が思わずつっこんだ。
「いや、何か企んでいるんじゃないかと私なりに解釈したんだ」
「何も企んでないって……」
呟きながら流が両手をあげる。
「………じゃあ何で何もしてこないんだよ」
「何もしてこないって言うと?」
「う……それは……その…だ、抱きついてきたりとか」
自分から言うのは恥ずかしいのか微妙にドモリながら説明をする明。
いつもの流ならばここで「可愛いなあ」の様な言葉を発して明を抱きしめたりするのだが、今ではそれもできなくなってしまっている。
「大丈夫だ。今日はそういう気分じゃないんだ」
「えっ………そ、そうなのか。そうかそうか……あはは……じゃあ、しょうがないな」
少し、物足りなさそうな表情を浮かべながら明が笑う。
そして少し視線を落として流の腕に目をやる。
「怪我、大丈夫か?」
「ん?ああ、これくらい何ともない。まあ、後は残るだろうけど、怪我は男にとって勲章みたいなもんだしな」
「お前、いつの時代の人間だよ………」
呆れた表情で明が呟く。
「まあ、派手に転んだしな。自転車は壊れるわ怪我はするわで泣きっ面に蜂だったな、昨日は」
「それでも、巻き込んだ子供に怪我はなかったんだから良しとしておいたらどうだ?」
「全くだ……」
苦笑いを浮かべながら流が頷いた。
前を歩く二人の様子を見ながら由美が口を開く。
「ねえ、ヨウさん。ボクね、流君から全部聞いたよ。『取引』のこととか昨日あったこととか……全部」
「!…………そうか……」
ヨウは一瞬表情を浮かべるが、何か思うところがあったのか首を振りながら呟いた。
普段の由美と流のやりとりを見ていれば、互いの隠し事などすぐに分かってしまうような関係であることは一目瞭然だ。
「なんで……何で、あんなに自分を犠牲にしちゃうんだろうね、流君は………」
由美が嘆くようにして呟くと、ヨウは大きく息を一つついてから口を開いた。
「いいか由美。直接『取引』をした私が言うのもおかしいものなんだがな。あいつはあいつの意志で私と『取引』をしたんだ。別に自分から自分を苦しめようと思ってやったことじゃない。確かにあいつが『取引』をする事でお前のように苦しむ人間もいる。だけどそれと同時に助けられる人間もいるんだ」
「でも、『取引』さえなければ、流君は………」
そう言いかけたところで由美は慌てて口を閉ざした。
その先を言ってはまずいと思ったのだろう。
「確かに流のとった行動は正しいものとは言いがたいかもしれない。現に私も流の行動には軽い怒りすら覚えている」
そう言ってヨウが苦笑する。
「だが、絶対に悪いものとも言い切れない。実際あいつのおかげで何人か救われているからな。…………まあ、簡単に言えばあいつのとった行動を全否定はしないでやってくれって言うことだ」
「………………うん」
話し終えるとヨウは流の方に目をやった。
今少し離れたところで明と話している。
しかしその表情はいつもとは違い、微妙に難くなっている。
ふつうの女の子と話すことにも抵抗が生まれてきてしまっているのだろう。
そんな流の様子を見て、ヨウは呆れた表情で大きなため息をついた。