第八十九話 約束
「………そういうわけだ」
一通り話し終え、流はそう言って大きなため息をついた。
「………………」
流の向かいのソファに座る由美は真剣な表情をしたまま固まっている。
しばらく間をおいてから、由美が口を開いた。
「流君は…………『浮いた心』を失ってどれくらい辛い?」
「え?えっと、そうだなぁ…………まあ、大したことないんじゃないか?別に死ぬわけでもないし………」
「流君、真剣に答えて」
適当に誤魔化そうとする流を由美が諫める。
逃げられないと悟ったのか、流は苦笑しながら首を振った。
「正直、かなり辛いな。死んだ方が全然マシな気がする」
「……………やっぱり」
流が小さな声で呟くと、由美は小さく息を吐いた。
「ねえ、流君は自分の命を軽く見すぎだと思うよ。誰かの命が助かれば自分の命は投げ出しても良い………その考えはすごいと思うけど、ボクは流君に生きてほしい。だからボクはもっと流君に自分を大切にしてほしいな」
じっと流を見つめる由美。
しかし流は由美から視線を逸らし、俯いた。
「何で……?何で頷いてくれないの?」
懇願するように由美が問いかける。
「……………その理由はお前も知ってるだろ?」
「…………!!」
流はその態勢のまま呟くと由美は一瞬顔を強ばらせ、そのまま俯いてしまった。
「……………」
「……………」
二人の間で長い沈黙が続く。
やけに時計の音だけが部屋の中で鳴り響いている。
しばらくして流がソファから立ち上がった。
「…………悪かったな。変な話をして」
「ううん………ボクが話してって……お願いしたから」
由美が震える声で呟きながら首を振る。
「……………ヨウを起こしてくる」
そう言って流はリビングから出るためにドアの方に足を向けた。
そしてドアノブを掴んだ瞬間、流の動きが止まった。
後ろから由美に抱きつかれたからだ。
「………流君……一つだけ約束して」
「……何だ?」
流がその体勢のまま尋ねる。
「もう……『取引』はしないって………」
「……………」
「お願い……」
言いながら由美が抱きつく力を強める。
しばらく口を閉ざしていた流だが、やがて諦めたようにため息をつき、
「……………分かった。もう『取引』はしない」
と呟き、頷いた。
流のその言葉は由美に伝えるための言葉と言うよりも、自分自身に言い聞かせるような声だ。
どんなに自分が傷ついても他人は傷つけさせない。
それが流の考え方だ。
だから他人を悲しませることもまた流の考え方に反するのだ。
由美は黙ったまま一度だけコクリと頷くと流から離れた。