第八十八話 侵入
流は朝食を作るため、台所のあるリビングに入った。
「あ、流君。おはよう」
ブロンドの髪を後ろでまとめていて、美少女といっても全く違和感のない容姿の待ち主、草野由美が流ににっこりと笑いかけながら朝の挨拶をした。
「ああ、おはよう」
流も返事を返し、そのままソファに腰掛けた。
彼女は台所にいて、そこで何やら作業をしている。
「うわっ、冷蔵庫の中身がほぼ空っぽ……」
由美が冷蔵庫を開けて呟く。
「ああ、昨日はヨウが夕飯作ったからな」
「ヨウさんが……?」
意外そうな表情で由美が流を見る。
「ん?ああ」
「何か良いことでもあったの?」
「……いや、別にそうでもないけどな」
一瞬だけ間を空けて流が答える。
何か良いことがない限りはヨウが料理を作ることはない。
由美の中でもそういう位置づけになっているようだ。
「ふーん」
呟くと由美は作業を止め、流の方に歩み寄って隣のソファに腰掛けた。
「って、何でお前ここにいるんだよっ!」
「良いじゃんそんなの。気にしない、気にしない」
流が今気づいたようにつっこむと由美は笑顔のまま答えた。
「それ気にしないってどんだけ寛大なんだよ……。で、どうやって入ってきた?お前は」
「うん?玄関からだよ」
「玄関……?」
毎日家の鍵は閉めているはずである。
すると考えられる要因は………。
「由美、警察って何番だっけ?」
「うん?110番だよ。………って、待ってよーっ!」
流がソファから立ち上がって電話の方に歩き出すと、由美が慌てて流の元に駆け寄りそのまま流の飛びついた。
「どわっ!」
「わー!」
流は焦りの表情を浮かべながら、由美は笑顔のまま二人とも倒れ込んだ。
「って、今のわざとだろ!お前」
「あははははは!」
由美の下で仰向けになっている流が全力でつっこむが、由美はいつものように笑うだけだ。
「とりあえず、110番通報だな」
「ボクはふつうに玄関が開いてたから入ってきただけだよ〜」
「………まあ、そうだろうな」
納得したように流が頷く。
おそらく、昨日疲れすぎて鍵を閉め忘れただけだろう。
「それにしてもお前は………」
すぐに飛びついてくる由美に文句を言おうとするが、流は今の状況を見て口を閉ざした。
今の状況、流が仰向けになり、由美がその上にのしかかっている状態。
つまり、『浮いた心』を失っている流としてはあまり冷静でいられる状態ではない。
「ゆ……由美、ちょっとどいてくれないか……?」
「うん?」
流の胸に顔を押しつけていた由美が顔を上げて流の顔を見る。
それがちょうど上目遣いになってしまい、流は余計にドギマギしてしまう。
「いや、……その…こ、こういう状況はあまり……良くない。だから……そこをどこうな」
羞恥心からか、流はひどく空回りしている。
「流君……?どうしたの?なんだかいつもの流君らしくないよ?」
「お……お前の言いたいことはよく分かる。だけどな、とりあえず……そ、そこをどいてほしいんだ」
「……………」
「ど、どうした?早くどいてくれ」
「………ねえ、流君」
由美はいつもの陽気な様子ではなく、真剣な表情で流の顔を見た。
「昨日、何かあったの?」
「……………」
由美の問いかけに流の表情がひきつる。
「何か良いことがあったんだよね?それでそれは鍵をかけ忘れちゃうほど疲れることで、こんな怪我を負うことだったんだよね?」
言いながら、流の包帯が巻いてある方の腕をそっとなぞる。
「それで、流君の性格を変えちゃうようなこと………ねえ、何があったの?教えてよ……」
言って、由美は流の胸に顔を埋めた。
泣いているのか、微かに由美の肩がふるえている。
おそらく、由美には大方の予想がついてしまっているのだろう。
「…………分かったよ。昨日あったこと、全部話すよ」
諦めたようにため息をつくと、流はそう呟いた。