第八十三話 浮いた心
「さて、じゃあまず『取引』の交換条件になったものの話からだ」
「ああ」
真剣な表情で頷く流。
この話題は流も聞きたかった話題だ。
先ほどから気になっていたこと、絶対に『取引』が関係しているはずだ。
「お前が失ったもの、それは……………『浮いた心』だ」
「……『浮いた心』?」
意味の分からない単語が出てきて流の頭に疑問符が浮かぶ。
「ああ、そうだ。簡単に言うと……いや、行動で示した方が分かりやすいな」
そう言ってヨウは少しからだを移動させて流に体を寄せた。
「な……何だよ……?」
「流、私を抱きしめてみろ」
戸惑う流をよそにヨウはそんなことを言い出した。
「なっ!何言ってんだ、お前……」
「いいから抱きしめてみろ。いつもお前がやっていることだろう?」
ヨウの顔は至って真剣だ。
「……………」
流は固まったままだ。
抱きしめようとする気配すら見せない。
嫌だ、というわけではない。
単純に言ってしまえば恥ずかしいのだ。
やがて、ヨウが口を開いた。
「こういうことだ。……『浮いた心』とは簡単に言えばナンパな心。それが『取引』によって無くなれば、人間に元々備わっている羞恥心と言うものが出てくる。それが今のお前の状態だ」
そこで一息おいて、
「つまり、もうお前はナンパなことはできない」
そう結論づけた。
「待て待て待て!でも、俺は一回……そう、『取引』した後だ。明を抱きしめたぞ」
流は認めたくないのか反論する。
ヨウは少し考えた後、納得したように頷いてから答えを出した。
「それは『純粋な心』だったからだろう」
「……は?」
また別の単語が出てきて流の頭に再び疑問符が浮かぶ。
「何も恋愛ができなくなるわけじゃない。相手を抱きしめたいと本能的に思ったならば、それは抱きしめることはできる。しかしそういう行動を作為的にはできないと言うことだな。って、またお前分かっていないだろう?」
流の表情をみてヨウが指摘する。
「ああ」
素直に頷く流。
ヨウは面倒くさそうにため息をついてから説明を始めた。
「簡単に説明するぞ。たとえばお前が本当に心から好きな女がいたとする。そういう場合には全く抵抗もなくそういう行動ができるはずだ。……しかし、特にそういう気持ちもなかった場合、抵抗が生まれる。まあ、だいたいこういうことだ。分かったか?」
「……ああ」
分かっているのかいないのか、流は難しい表情をしたまま頷いた。
「おい、本当に分かっているのか?」
「分かってるよ。………俺にとって確かに最悪の条件だ」
「?……どういうことだ?」
ヨウが訊くと、流は首を振って何でも無い、と呟くようにして答えた。
こういう時の流は決まって暗い表情をする。
それは今回も同じだ。
「……そうか」
「……………」
「……………」
ヨウの相槌を最後に二人の間で沈黙が流れる。
どれくらいの時間が経ったのだろうか。
しばらくしてヨウが意を決したように口を開いた。