第八十話 感動
「おい、流!?」
慌てて明が走りよってくる。
その声に反応して流は上に乗っている小さい子を立たせてから体を起こした。
「もう飛び出すんじゃないぞ」
「………?」
流が諭すようにそう言うと、その子は首を傾げた。
(まあ、まだ飛び出してないからな……)
その様子を見て流が苦笑いしながら心の中で呟く。
先ほど転がっていったボールは明が拾ったらしく、明はその子にボールを手渡した。
その子はうれしそうにお礼を言うと、友達の方に走り去っていった。
見送ってから、明が流の方に向き直る。
「大丈夫か?」
「ああ、大丈夫だ」
それを聞いて明は安心したように息を吐いた。
緊張の糸がほどけたのか、顔の表情がゆるむ。
そうなると今度は呆れた表情で流を見てきた。
「……で?おまえは何してんだ?」
その表情のままで明が尋ねる。
流はその問いに思わず苦笑してしまう。
未来のことを知らない者から見たら、流の行動は明らかに不自然だ。
「そうだなぁ……」
流はズボンに付いた土を払いながら呟く。
そこであることに気づく。
「あ………こりゃ、すごいな」
自分の右腕を見ながら流はため息混じりにそう言った。
「?……どうし…って、うわ……!」
明が流の腕を見て顔をしかめる。
制服の袖は破け、腕の皮膚は擦れてそこから血が流れ出ている。
それは伝って指から滴り落ちるほどの出血量だ。
「お前、大丈夫だって言ったじゃないか」
「……さっきは気づかなかったんだ」
じっと明がその傷を見つめる。
そして心配そうな表情で流の顔を見ながら口を開いた。
「お前……それ痛くないのか……?」
「……いや、滅茶苦茶痛い」
「じゃあ、もっと痛そうな顔しろよっ!早く病院行くぞ!」
「いや、こんなもん、唾付けときゃ治るって」
「治るわけ無いだろ!変な冗談言ってないで早くしろ!」
そう言って明が流の手を引っ張って歩き出す。
「……………」
流も無言のまま引っ張られていく。
しかし、数歩歩いたところで突然流が足を止めた。
「?……おい、流。どうし……」
明が言いかけたところで、流が明の体を抱き寄せた。
それはいつものふざけたものではなくて、明が無事であることに対しての喜びから来るものだ。
先ほどまではあまりにいつも通りすぎて明が再び戻ってきたという実感が得られなかったのだ。
「……良かった。本当に無事だったんだな。……本当に良かっ……がふっ!」
呟いている途中で明の膝がわき腹に入る。
たまらず流はその場でうずくまった。
「ななな……何すんだお前はっ!!」
明が顔を赤くしながら叫ぶ。
「またか!またなのか!?またいつものやつか?」
「う……お前……せっかく人が感動していたのに……」
わき腹を押さえながらよろよろと流が立ち上がる。
「でも、明。お前、何か反応が過剰じゃないか?」
「あ……いや、これはその……朝に母さんにからかわれたから……その、変に意識してたからと言うかなんというか……」
ごにょごにょと呟く明。
「何言ってんだ?良く聞こえないぞ?」
「………ああ、もう!そんなことどうでも良いだろ!それよりも病院行くぞ、病院!」
そう言って再び明が流の手を引っ張る。
すると流が何かに気づいたように足を止めた。
「あっ、その前に一ついいか?……あの自転車、人のだから返さないとな」
「え……返すって…あれをか?」
明の一言に流が固まる。
よくよく考えてみればあれほど派手に転けて無事なはずはない。
「明……あの自転車、無事……なんだよな?」
極力そちらに目を向けないようにしながら流が明に尋ねる。
「自分で見ろよ。百聞は一見にしかずって言うだろ?」
明に言われて頷いてから恐る恐る自転車が転がっている方を見る。
「……………」
そこには案の定かなり壊れている自転車があった。
「神は俺の善行を見ていなかったのか……」
ガクリと膝を折ると、流は小さな声で疲れたように呟いた。