第七十九話 挑戦
先ほどまでシンと静まり返っていたはずの周りが一気に騒がしくなる。
場所は商店街。
周りにはいつも見慣れている風景が広がっている。
「おい、流。どうした?急に固まって」
すぐ真横から洋平に話しかけられる。
「え?ああ。えーと……」
「流っ!!」
流がボーっと考え始めたとき、再び真横から、今度は大きな声があがった。
声の主はヨウだ。
「何をボーっとしているんだっ!?早く行けっ!」
「…………っと、そうだった……!」
流は一瞬間をおいてから頭を振り、意識を戻す。
そして辺りを見回してから適当に置いてある自転車をつかんだ。
鍵が付いていないことを確認してから流はその自転車に跨る。
「あ、ちょっとあんた!それ俺の自転車……」
「悪い、ちょっと貸してくれ!」
その自転車の持ち主であろう男の前で手を合わせてそれだけ言うと流は洋平の方に顔を向けた。
洋平はさすがに訳が分からないと言った様子で、不審な目で流を見ている。
流は『取引』で記憶がそのままだが、洋平は数時間前、つまりこのときの記憶しか無いのだ。
「洋平、後は頼めるか?」
真剣な表情で流が尋ねる。
一瞬、間を置いてから洋平は呆れた表情で大きなため息をついた。
「ったく……おまえの考えてることは相変わらず分かんねぇな」
その言葉を聞いて流は苦笑するとペダルを踏み込んだ。
「あっ!おいっ!待てって……」
「まあまあ。落ち付けよ」
最後にこっちに走って追いかけてこようとする男を取り押さえている洋平の姿が自分の背中越しに見られた。
(間に合えっ!)
心の中で叫びながら流は一心にペダルをこいだ。
商店街を抜け、大通りからでると少し道が狭くなる。
そしてしばらく走ると今度は大きく曲がる。
そこにはちょっとした住宅街のようなものがあり、ここまで来るともう公園が視認できる距離だ。
しかし時間もおそらくあと十数秒しかないはずだ。
流は疲れが頂点に達しようとしている足に活を入れ、さらにペダルを踏み込んだ。
と、そのすぐ後で公園からボールが出てきた。
ボールの向かう先には明が立っている。
(確か事故の原因は……)
その考えが頭に浮かんだときにはすでに口が動いていた。
「明っ!動くなっ!!」
明がビクッと体をふるわして流の方に顔を向ける。
おそらく今ので明の意識はボールから流に移ったはずだ。
次に流は視線を公園の方に戻す。
明はボールを追って飛び出した子供を助けて車にひかれたのだ。
ということは公園から子供が飛び出してくるはず。
流は腰を浮かせペダルを漕ぐのをやめた。
自転車が今までの勢いで勝手に走っていく。
(そろそろだ……!)
流が公園の入り口の少し前に来たところで、子供が勢い良く飛び出してきた。
それに合わせ、流は自転車のハンドルを切り、急ブレーキをかける。
それと同時に体全体のバネを使って自転車から飛んだ。
実際は『飛んだ』と言うよりも『投げ出された』の方が近いかもしれない。
しかしそれでも十分流の狙い通りだ。
流は飛び出した子供を守るような形で抱え込み、そのまま勢い良く地面を転がった。
そのすぐ横を大きなトラックが猛スピードで通り過ぎる。
「………!!」
一瞬、恐怖に顔をひきつらせる。
まるで時が止まったかのように辺りが静まり返った。
おそらくそれは一瞬なのだろうが、流にはそれはとてつもなく長い時間に感じられた。
やがて、流はゆっくりとその場で仰向けに転がった。
「…………っはあ!はあっ、はあっ……!」
そしてため込んでいた息を一気に吐き出し荒い呼吸をする。
緊張の糸が切れたのか、大きなため息を一つ付いた。
流は首だけ上げ、自分の体の上にいる子供のほうに視線を向ける。
何が起こったのか分からないのか、キョトンとしている。
「はは………ははは…………何とか、なったか……」
それだけ呟くと、流は子供から空に視線を移した。
今日は晴天。
まるで何事も無かったかのように清々しい空だ。