第七十一話 違和感
「ただいま」
疲れ気味の声で言いながら流が家に入る。
「……………」
中から話し声がする。
玄関に鞄をおき、声のする方に歩き始める。
やはりヨウが独り言を呟いているとは考えにくい。
そうなると……
「やっぱり……」
リビングのドアを開けて流が中の風景を見た途端、そう呟いた。
中に居たのはヨウと流の兄である透だった。
「流。お帰り」
「ああ、ただいま」
とりあえず、ヨウとの挨拶を交わす。
そしてその後で透の方に目をやった。
「やあ。1ヶ月ぶり」
「ああ」
透が手を挙げると、流も手を挙げて挨拶を交わす。
「……………」
ヨウは黙って二人のやりとりをみている。
なにも知らない人がこの情景をみてもなにも感じないだろう。
しかし少しの間だが流と生活を共にしてきたヨウにはこのやりとりに違和感を覚えていた。
そしてさらに気がかりなことがヨウにはあった。
それはヨウが前に流に透のことについて訊いたときのこと。
『居る場所は……どこかほっつき歩いて遊んでいるんだろ』
確かに流はそう言った。
しかし先程までの透の姿を見る限りとてもそうは思えなかった。
透は今は着替えてしまっているものの、先程まではスーツ姿だった。
とてもほっつき歩いて遊んでいた姿には見えない。
「こいつは…」
「いや、分かっているよ。水名ヨウさんだよね」
流がヨウの紹介をしようとすると、透がそれを言葉で遮って笑顔をヨウの方に向けた。
「なんだ、知ってたのか。じゃあ、紹介はいらないな」
「うん。そうだね」
話がヨウを抜かして勝手に進んでいく。
ヨウは確かに名前を透に明かしたが、それ以外はなにも教えていない。
つまり透にとってヨウは『素性のしれない女』となっているはずだ。
それなのになにも訊いてこない。
「それじゃあ、僕は夕飯作るから二人ともくつろいでいてくれて良いよ」
「ああ」
「あ…ありがとうございます。透さん」
流の対応に違和感を覚えつつ、ヨウが透にお礼を言う。
すると透は思い出したようにヨウを見た。
「そうそう。僕に対しては敬語を使わなくて良いよ」
「え…?」
「それと呼ぶときも『透』でいいよ」
「いや、それはさすがに……」
「他人行儀なのはあまり好きじゃないんだ」
「そうは言われても……」
しばらく論争が続く。
結局、流が提案して呼び方は『透さん』の敬語は無しになった。
そして透も不公平だと言うことでヨウのことを呼び捨てにするようにした。
みんなが夕飯を食べ終えると、透が後かたづけをし始める。
「私も手伝おう」
後かたづけはいつもヨウの仕事なので、それをお見てそう言ってヨウが横に並ぶ。
すると
「大丈夫だよ。僕はこういうのが得意なんだ」
と言って丁寧に透はそれを断った。
その後も透は部屋の掃除、洗濯等の家事もてきぱきと行っていく。
その間、流とヨウはリビングでずっとテレビを見ていた。
流は手伝おうともせず、ヨウは度々手伝おうとしていたのだが、すべて断られてしまったのだ。
それらすべてを終え、透はリビングのソファの上でようやく一息ついた。
「お疲れさま」
礼儀としてヨウはお茶を入れ、透の前に差し出す。
「お。ありがとう」
透が笑顔で礼を言うと、出されたお茶をすすった。
そしてそれを一度テーブルにおくと大きなため息をつく。
かなり疲れている様子だ。
そんな様子を見ながらヨウも流の隣に腰掛けた。
「兄貴、明日も仕事か?」
透が一息ついたのを見計らって流が尋ねる。
(仕事……?)
ヨウの頭の中で疑問が浮かぶ。
『遊んでいる』
確かに流は前にそう言った。
ヨウは流の方に視線を送るが、流は視線を合わせようともしない。
やはりいつもと違う。
「うん。だから今日はもう寝るよ」
お茶を一気に飲み干すと、眠そうに呟きながら、透はソファから立ち上がった。
「お休み」
笑顔でそれだけ言うと透がふらふらとドアの方に歩いていく。
「ああ」
「おやすみ」
流とヨウも透がリビングから出ていく姿を見送りながら返事を返した。