第四十九話 天然
「すいません!これで勘弁してください!」
そこにいたのは頭を下げた情けない姿の流。
手には財布が握られている。
「流……?」
意外そうに呟く水月。
菜月も驚いた表情をしている。
「この二人、俺の妹でどうか許してやってくれませんか?」
そう言って顔だけ上げる。
男はしばらく流の顔を見下ろしていたが、やがて舌打ちをしてそのまま背を向けた。
「俺は金が欲しかったんじゃねえよ……」
そう呟くとその男は流たちに背を向けて歩きだしていた。
「はあ……」
気が抜けたようにため息をつく流。
水月も疲れた表情をしている。
「?…あれ?私に話があったんじゃないの?あの人」
菜月一人、事情がわかっていないようで、おろおろしている。
「なあ、水月。…もしかして菜月ちゃんって天然?」
「そうね。私も今回のことで確信できた」
そう言うと流と水月はその場でしゃがみこんだ。
三人は喫茶店に入り、水月と菜月が隣同士で座り、その向かいに流が座った。
「でも、よくあんな恐いのに立ち向かえたね、菜月ちゃんは」
流が感心したように呟く。
「う〜ん……私は別に恐くなかったですけど…」
「ま、この子、いまいち世の中が分かってないみたいだから、たぶんそのせいでしょ」
水月が菜月の言葉に説明を加える。
「そんなことないよ!だってあの人優しそうな目してたもん!」
「……菜月ちゃんは鼻の効く小動物か何かか?」
思わず呟く流。
「違います!ちゃんとした人間です!」
「そうね。それがが妥当なところかも。私も流の意見に賛成」
「そんなぁ……お姉ちゃんまで…」
菜月が涙ぐむ。
「よしよし泣かない泣かない」
「そうそう。女の子は泣いてる顔より笑った顔の方が似合ってるだぞ」
流と水月が二人して菜月の頭を撫でる。
「むぎゅう」
すると、二人の腕の重みに耐えきれなくなって菜月の顔がテーブルに墜落した。
「やっぱ菜月ちゃんは可愛いなあ」
「あんたが言うと恐ろしく危ないわね」
流が菜月の姿を見て嬉しそうに呟くと、すかさず水月が突っ込む。
「そんなことよりも」
ふと、お思い出したように呟く水月。
「私たちってあんたの妹だったんだ?」
いたずらっぽく笑いながら水月が流を見る。
おそらく先ほどのことを言っているのだろう。
「いや、あれはとっさに思いついたものでな…」
「妹だったら『お兄ちゃん』って呼んだ方がいい?」
「おまえが使うと殺傷能力がありそうだな…」
そう言いながら流は水月の体全体を見回す。
長い髪に整った顔立ち、そして悪くないスタイル。
どこからどう見ても美少女と呼んでも過言ではないルックスだ。
次に菜月を見る。
肩口の当たりで切っている髪。
そして活発そうでどちらかというとかわいい系の顔立ち。
そんな二人に『お兄ちゃん』と呼ばれているところを想像してみる流。
「悪くないかもな……」
流がニヤケながら呟く。
「はい、菜月。こういう奴は危険だから近寄っちゃだめよ」
流を指で指しながら水月が菜月に告げる。
「流先輩に……?」
「う〜ん。そうだねぇ。…じゃあ、流がこういう顔しているときは近寄っちゃだめ。分かった?」
「うん。分かった」
「よしよし。菜月は素直だね」
再び水月が菜月の頭を撫でる。
「って、人が妄想している間に勝手に話を進めるなよ!」
流は現実から戻ってきたようで、水月を菜月のやりとりに口を挟む。
「ん?何のこと?」
「『何のこと?』じゃねえよ!今、菜月ちゃんに変なことすりこんだろ!」
「えっ!?私何かすりこまれちゃったの?」
慌てて水月を見る菜月。
「そんな訳ないじゃない」
そう言って水月がさわやかな笑顔を流と菜月に向ける。
「やっぱり。お姉ちゃんがそんなことする訳ないよね」
「水月……お前、なんか菜月ちゃんのこと洗脳してないか?」
「さあ?気のせいじゃない」
「気のせいなもんか。つーか、早く訂正しろ、さっきのこと」
「訂正もなにも私なにもすりこんでないって言ってるじゃない」
「そんなこと信じられるか!」
いつまでも続く問答に疲れてきたのか、水月は一つ大きなため息をつくと自分の席を立ち、流の隣に腰を下ろした。
そして流にすり寄って
「お願い……信じて…」
目を潤ませながら上目遣いでそう呟いた。
「くっ……!」
一瞬顔をゆがませる流だが、すぐに不適な笑みを作り出した。
その笑みはまるで勝ち誇っているかのようだ。
「お前のその攻撃は何度も見てきている。残念だったな。もう俺には通用しない」
流がそう言ったすぐ後に水月が言葉を付け加える。
「お兄ちゃん……」
それを聞いた流の体は電撃でも走ったかのように一瞬ふるえてから硬直した。
水月がそれを見てニヤリと笑う。
そしてもう一度、
「信じて……お兄ちゃん」
「がふっ!」
今度は効いたらしく、流はそのまま机に突っ伏した。
「どう?信じてくれる?」
「……ああ、信じる。もう言わないよ」
流は机に突っ伏したままそう答えた。
「?…お姉ちゃんのお兄ちゃんが流先輩って事は…」
考え込んでいる菜月。
それを見て流が水月の方に目を向ける。
「おい、今の教育はまずかったんじゃないのか?」
「……そうかも」
苦笑しながら水月が頷く。
「流先輩は私のお兄ちゃん…?」
どうやら答えにたどり着いたらしく、菜月は無邪気な笑顔を流に向けた。
そして…
「お兄ちゃんっ!」
そう呟いていた。