第四十七話 母親
「おやおや。騒がしいと思ったら流君がいたのかい?」
流が焦れったくなってヒステリーを起こしたすぐ後に温厚な声が流の耳に入ってくる。
後ろを向くとそこには眼鏡をかけた見入るからに温厚そうな男が立っていた。
見たところ、美和子と同い年くらいであろう。
「雄一郎さん……」
「おっ、あなたじゃない。中の仕事は終わった?」
「終わったけどさ、その『あなた』っていうの止めない?使い方も若干間違ってるしさ」
苦笑しながら美和子に話しかける雄一郎。
「うーん。でも私は気に入ってんだよね」
「そんなこと言わずにさ……」
「流お兄ちゃんっ!!」
困ったように頭を掻く雄一郎の後ろから小さい女の子が流に向かって走ってくる。
流はしゃがんでその娘を抱き止めた。
「こらこら。転んだら危ないだろ?美空ちゃん」
その頭をなでながら流が優しい声で諫める。
「うん。ごめんなさい」
素直に謝る美空。
「流…お前……こんな小さい娘にまで手をだしていたのか」
ヨウが呆れた表情でそんな流を見つめる。
「待て。冷静に考えてみろ。どう考えても小さすぎるだろ」
「だから引いてるんだ。お前がそんな奴だとは思わなかったぞ」
「あのな……言っておくが俺はそんな無差別にナンパしたりなんかはしない!」
「流お兄ちゃん、みくをお嫁さんにしてくれる約束は?」
「………」
ヨウが無言のまま流から目を逸らす。
「だから違うって。小さい娘の言うことだろ!」
「え…?お嫁さんにしてくれないの?」
「いやいや、お嫁さんにしてあげるよ。うん、ちゃんと」
「………」
「だーっ!もうっ!俺にどうしろって言うんだよ!」
ついに流は頭を抱えて叫びだした。
「修羅場だな」
「うん、そうだね」
その光景を神田夫婦は端からおもしろそうに眺めていた。
「ふう、もう詰め込みも終わったみたいだね」
トラックの作業員たちの様子を見ながら美和子が呟く。
「もう、行くんですか?」
「うん。出来れば早い方がいいからね」
流の問いに雄一郎が答える。
「そうですか……」
寂しそうな表情で流が俯く。
「どうしたのさ。そんな暗い顔して」
そう言って美和子が流の方に手をおいた瞬間、流は美和子に抱きついた。
美和子も一瞬驚いたものの、すぐに落ち着きを取り戻して体の力を抜く。
「なっ!?おい流!お前なにして……」
ヨウが慌てて駆け寄ろうとすると美和子に手で制止させられる。
美和子はそのままその手を流の頭に持っていき、その髪をなでた。
「ったく、流君は甘えん坊さんだねぇ」
流の体をを抱きしめながら美和子が呟く。
「美和子さん……」
「ん?なあに?」
わざとからかうような口調で美和子が答える。
流は自分から美和子から離れると、そこから一歩下がり、
「今まで、ありがとうございました!」
と言って頭を下げた。
一瞬呆気にとられるが、美和子は小さく笑うと、
「どういたしまして。また遊びに来るからね」
そう言って体を雄一郎たちの方に向けた。
雄一郎、美空とも別れを告げ、神田一家は全員トラックに乗り込んだ。
やがてトラックは発進し、その姿は見えなくなった。
「なあ、流」
「何だ?」
ヨウがトラックの言った先を見たままで流に声をかけ、流も同じ体勢のまま返事を返した。
「なんか、お前様子が変だったぞ」
今度は流の顔を見、ヨウが尋ねる。
「………母親代わりだったんだ。あの人」
流がその体勢のまま語り出す。
その表情は無表情のままでも、どこか寂しげに見られた。
「とは言ってもまた会えるんだろう?だったらいいじゃないか」
「……そうだな」
そう呟いた流の顔にはもう先程の寂しさはなく、いつもの表情に戻っていた。
「はあ。腹減ったな。そろそろ朝飯にするか」
「…ああ。朝からいろいろありすぎたからな」
互いにそう言って二人は家の中に入っていった。