第二十一話 仕返し
今日からHRではなく本当の授業が始まる。
そのせいか登校していく生徒達の背中には疲れが見られる。
朝ごはん代わりにカツサンドを齧りながら登校している男子生徒、川瀬流もやはり同じように背中から疲れた雰囲気を漂わせていた。
「ふう……」
学校が近くなってきたためか食べかけのカツサンドを袋に戻し、それを鞄に仕舞い込んだ。
『休み時間以外では食べ物を食べるのは禁止』などの厳しい校則があるわけではない
いや、むしろ授業中でも食べているものもいるほどだ。
そんな事をしていてもこの学校では怒られることはない。
この高校は伸びるものは伸びる、落ちるものは落ちるという考え方にをしているのだ。
しかしそんな事を言ってもやはり先生からは良く思われない。
だから基本的に先生とは仲良くしておきたい流はこうして最低限の礼儀をわきまえているのだ。
「おはよう、川瀬君♪」
校門まで来たところで陽気な声が後ろから聞こえ、背中を軽く叩かれる。
この声には聞き覚えがある。
今現在で流がもっとも苦手としている女の子だ。
(たまには反撃もしないとな……)
そう考えながら流は振り向き様に少女の体を抱きしめた。
「わっ……!」
流の後ろにいた少女、桜葉沙織はこれにはさすがに驚いたのか、小さく声を漏らす。
沙織はどうにかして離れようと力を入れたりしてみているが、全く抜け出せる気配がない。
「さ……さすがにこれは恥ずかしいね。周りの人も見てるし……」
「………」
赤面している沙織に対して流は全く気にした様子もなく無言のまま抱きしめている。
「いつまで……こうしてるの……?」
本気で恥ずかしがっているのか、耳まで真っ赤になっている。
「大丈夫。もうすぐ突っ込み役が来るから」
そう呟くと、流は抱きしめる力を抜き、少しだけ沙織の体を押して自分の体から離した。
その瞬間、沙織の目の前を何かが凄まじいスピードで通り抜けた。
「だふっ!」
それが流の顔面に当たり、奇妙な声をあげて流の体が吹き飛ぶ。
地面に落ちてから2回転ほどした後、その勢いは止まった。
「朝っぱらから何してんだ、お前は!」
沙織の隣に立つ少女、河野明が流に向かって叱咤する。
どうやら先程の攻撃は明が流に放った蹴りのようだ。
流は自分の意識を確かめるようにして頭を振りながらゆっくりと体を起こした。
「ったく……相変わらず明は俺にメロメロだな」
「何で蹴飛ばしたのとそれが関係あるんだよ!」
「いや、だって嫉妬してるんだろ?俺が沙織に抱きついたから」
「違う!私は沙織を助けただけだ!」
「あれ?お前って沙織と名前で呼び合うほど仲良かったっけ?」
思い出したように流が呟く。
「え?ああ、同じクラスだしな。席も近いからよく話すんだ」
「なるほど……友人でありながらも恋敵か。中々に燃えるシチュエーションだな」
「ああ……って、違うって言ってるだろ!分かりづらい表現するから思わず頷いちゃったじゃないか!」
「つい本音が……って奴か?」
にやりと笑いつつからかう流。
それを見て明は悔しそうな表情を浮かべると
「だあー!沙織っ、こいつを何とかしてくれ!」
と言って沙織に話を振った。
「え?わ……私?」
突然話を振られた沙織が戸惑う。
ずっと二人の話を聞いて楽しんでいた沙織はよもや自分に話が回ってくるとは思っていなかったのか、流と明の顔を交互に見ている。
「えっと……じゃあ、なんかお互い両思いみたいだからこの際諦めて付き合っちゃうとか」
「………」
「………」
その言葉を聞いて二人が黙り込んだ。
「あ……あれ?」
そんな二人を見て沙織が一歩後ずさる。
少し間をおいてから先に明が動き出した。
「沙織……何度言ったら分かるんだ?」
明がゆらりと体を揺らしながら沙織に一歩近づく。
「私は……流の事は……」
ゆっくりと近寄りながら沙織の肩に手を置いた。
そしてそのまま顔を近づけて
「何とも思ってないんだあああああ!」
思い切り叫んだ。
「ひゃっ!」
その声に驚いて沙織が尻餅をつく。
辺りにいた生徒が明の声に皆振り返ったが、触れてはいけない雰囲気を悟ったのか皆見て見ぬふりをした。
「まあ落ち着け」
そんな明を後ろから流がそっと抱きしめた。
「なっ!?」
慌てて振りほどこうとするが、明の力では男に流に敵うはずもない。
そして流はそのまま手を下にずらしていき、手のひらを明のわき腹に当てた。
「お前の弱点はここなんだよなあ」
いやらしく笑いながら流が明の耳に囁く。
「あ……ま、待て流。そ……そこは」
「問答無用!」
そう叫んでその指を動かし始めた。
「ぎゃはははは!ちょ…まっ、待てっあっははははは!」
涙を流して笑い続ける明とそれを後ろで押さえつけながら明のわき腹に当ててある指を楽しそうに動かす流。
そんな二人を見ながら沙織が小さくため息をついた。
(川瀬君……何がしたいんだろう?)
そんな事を思いつつ苦笑する。
もうすでに予鈴が鳴っているというのに流は手を止める気配がない。
「先に行ってるよ、二人とも」
一応声を掛けてみたものの果たして彼らの耳に届いているかどうか。
沙織が彼らに背を向けて歩き出す。
そしてしばらく歩くと後ろから明の笑い声に混じって怒声が聞こえてきた。
振り返ってみるとそこには流と明のほかに体育教師がいる。
あの後、明は完全な被害者なので問題はないが、流は不純異性交遊がどうとかで説教を受けてしまうはずだ。
しかしおそらく流はそれすらも楽しんでいるのだろう。
全てを楽しむ男……沙織はこれまでの彼の行動から密かに流の事をそう定義づけていた。
「面白い人」
体育教師に怒られている姿を見て笑いつつも沙織は誰にも聞こえない声でそう呟いた。